その境界線は。
高町なのはを全力全開で愛していく。そんな小説を書いてます。
求めるままの逃亡 2007/12/08
いつだってタイトルに迷う。
タイトルを決めなければ、内容も迷走するから困りものです。だから手を抜けないのがタイトル。かといって本文も手なんて一切抜けないし抜く気もないぞっ"((`へ´))"
それでもタイトルをぱっと考えられる人はやはり凄いですね。
いくつかなのティアの小説は書きましたが、原点であるティアナがなのはさんに心を触れられた瞬間を書いていなかったことに気づき、書いてみました。というと大げさですけど(笑
少し長い話ですが、よければ続きよりどうぞ。
求めるままの逃亡
日常が崩れるのなんてほんの一瞬だと思った。
だがそれは実に慎重に、静粛に意識を削られているだけで、本当は一瞬でなどなかった。自らが逃避から生み出す錯覚がそうさせたに過ぎず、繰り返しある日常を歩いていて気付かぬままに年を重ねていくようなものだった。
だからそれは当然の事象。
私ティアナ・ランスターという人物が、高町なのはに惹かれていくのは、スバルと知り合った時点で決定づけられていたのだった。
出会ってしまえば、もうやり直しはきかない。
ごめんね、スバル。
寝言で愛しいあの人の名前を呼ぶ親友の表情に、意図せずして謝罪が零れる。そうやって罪悪感を霧散させるしかない自分の弱さに呆れ、そして額に優しく手を乗せた。
ごめんね、スバル。
「あの人は、誰か一人のものになるなんてことは絶対にないだから、やっぱりあたしでよかったのよ」
言い訳じみた呟きを吐きだし、私は部屋を出た。
◇
六課に入隊した当初、私はスバルに何気ない装いでこんなことを尋ねられた。
「あたしね、なのはさんのことが好きだよ」
「ふうん」
ベッド下段の自分のベッドに腰掛けて、足をぶらぶらと空中で遊ばせていた。私は横目で一度見るだけで、あとは鼻で相槌を打ちながらクロスミラージュを磨く。親友は続ける。
「ティアはなのはさんのこと好き?」
「そうね、嫌いじゃないわ。でも好きでもない」
エリートの気持ちなんて所詮凡人の自分になど分かりはしないと決めつけていた私は、その後スバルが懸命になのはさんの良さや素晴らしさを語っていたけれどすべて聞き流していた。
はじめはスバルの言う『憧れのなのはさん』というものが如何ほどのものかと思っただけだった。スバルが事あるごとに口にする名前が、自分にとっても重要なもののように感じられ始めたのは、そんなに遅くはなかった。
八神部隊長に誘われて六課に入った時も、笑顔が印象的な人だ、というくらいにしか特に思うことはなく、本当にこの人のどこにあのエースオブエースとまで云わしめた実力が備わっているのか疑うほどだったのだ。もっともそのような浅はかな連想は、初日の訓練で壮大な音を立てて崩れてしまったけれど。
白い防護服に身を包み、かつ可愛らしい容貌をしたなのはさんが空から降りてくる様は、さしずめ天使といったところか、とごく自然にそんな感想が浮かぶ。隣でやたらと気合を入れているスバルを横目に銃弾を確認、素早くリロードできるように準備する。いざ開始されると体が追い付かないほど上下左右に振られる。彼女の前では自らの足が固定されているのと同じだった。圧倒的な力が、それでも抑えられたものだと知った時は背筋が凍った。と同時に自身に絶望していた。
エリートばかりが集うこの六課の中で唯一の凡人である自分。
焦りに背中を押された自身を戒めるように、酷く悲しげな表情で撃ち抜いてくれたのがなのはさんの優しさだったと気付いた時、兄の死以来初めての涙が出た。
きっと彼女は、教え子である私が自分の気持ちを分かってくれず、その場で誰よりも悲壮な思いに胸を詰められたはずだった。私の身を案じてくれていた。強くなれるようにと試行錯誤しながら訓練を考えてくれていた。だというのに私といえば、自分の焦りに任せて突き進み、誰も傷つけたくないなんて謳っておきながらスバルを誤射しかけ、暴走を止めてくたなのはさんの手を傷つけた。矛盾だった。
夜、海の見える場所で抱き締めてくれた時になのはさんの優しさに触れて、ようやく分かった気がした。
雲上人でしかなかったあの人が近くに見えた。近づいてくれたのは向こうからだった。肩を引き寄せ、頭を撫でてくれた。染み入るようにゆったりと揺れる波の音を近くに聞きながら、涙が止まらない私の背中をなのはさんは温めてくれる。
そこに言葉はなく。ただ想いだけが注がれていて、私はただ心が安らぐのを感じていた。
そんな中、兄が思い浮かんだ。こんな風に優しく抱きしめてくれたのは、兄だけだったような気もする。両親は物覚えつく以前に亡くし、それ以降私には頼る人などいなかった。死んでしまった後でさえ兄が心の支えだった。
「ティアナ、寒くない」
今は違う。なのはさんがこうして、一度冷え切った心には暖かすぎる声をかけてくれる。決して事務的なものと勘違うことはない。
だってなのはさんだから。
「今日はゆっくりと休んで、そして明日からまた訓練を頑張ろう」
「一緒に」
なのはさん。
「あたしと一緒に寝て下さい」
今晩だけでいいと、なのはさんにそう告げた。
彼女を困らせる気は殊更になかったけれど、だけど困らせてしまっていたかもしれない。だが一度吐き出した言葉を引き下げる気もなかった。
「いいよ」
その言葉を聞いてからは、尚更に。
遊びでいいと思っていた。それならば彼女にはフェイト隊長がいるのだからと心を抑制することが出来た。なのに彼女はその夜抱きしめてくれた後、事も無げに言ってくれたのだ。――好きだ、と。
そして、嬉しさよりもまず一人の女性の存在がきにかかった。
フェイトさんはどうしたんですか。臆病者が問うと、フェイトちゃんも好きだよ、と臆病者の愛する人が答えた。
「それ二股って言いません?」
「そうかな」
「そうですよ」
「ううん、ティアナは私のこと嫌い?」
「だったら休みの日に書類仕事請け負ってまで貴女の傍にいようとしません」
「ふふ、そうだね。ありがとう」
遊びならばこんなにも苦しくなることはないのに――。
巧くはぐらかされて――いや、自分からはぐらかされに行った私は、結論を出すことを率先して拒んでいた。誰にも使われていない部屋でこっそりと逢瀬を交わし、暇を見つけては唇を合わせる。腰に手が回ると、これから起こる行為への期待に全身が打ち震える。
耳元に愛の言葉を囁かれる度、彼女と視線が紡がれる度に元々脆弱だった自制心は崩れ落ちていった。
彼女しか見えない。彼女以外見えなくてもいいとさえ思う程、彼女を愛してしまっていた。スバルのことが脳裏を掠めることもあるけれど、止めるまでには至らない。
「ティアはなのはさんのこと好き?」
ジュエル・スカリエッティ事件を過ぎた頃、スバルは以前と同じ問いを投げかけた。
流石に訓練にも慣れて自主練習も始められた頃でもあった。確かな手ごたえを感じつつ、私はクロスミラージュを磨く。
「色々あったけどさ、あたしはなのはさんのこと好きなんだ。もう憧れじゃないよ。今度は自分がなのはさんを護れるようになりたい」
背後では意気揚々とスバルが両手で握り拳を作り、打算一つも見えない笑顔でいた。私となのはさんとの関係を知ってか知らずかはわからない。いつの間にか横に立ち、真摯な眼差しを向けてきて、作業の手が止まる。
「好きよ」
クロスミラージュを机の上に置くと、私はスバルに向き直った。
「でもあたしの方は、あんたのいう好きじゃない」
だって遊びでいいなんて、こんな歪んだ感情を誰が認めてくれるというのか。
椅子の背に凭れて天井を仰ぐ。持て余すほどの膨大な波に押し切られるまま、私は途方に暮れるしかなかった。
◇
濡れた草の上に座っていた。
ずっと頭を回らしている。過去のことを振り返りながら苦笑いを浮かべるのがここ最近の日課だった。
訓練の際のなのはさんの表情は、当然ながらあの人と話す時とは違う。とうの昔に分かっていたことだけれど目にする度その事実に打ちのめされる。言葉では埋まらない不安が群をなして夜毎襲ってくる。
吐く息が白く濁り、形のない靄が空中浮遊する。
寒い。
だけどどうしようもなく寒いのは当然だった。こんな夜更けにも関わらず、外で一時間も座っている。
草木も寝静まり、空では今は滅びてしまったかもしれない幾つもの星が明滅を繰り返す。
どこからか季節の虫の音が、葉が風に掠れる音と重なって聞こえてくる。昼間はあんなにも明るく開けた場所のように思えた広場も、今見れば閑寂としたものだった。物静かで、ふとすれば趣のあるこの場所も綺麗な虫の音も、全てが私の関心外にあった。
私の意識はただ一点。小さな歩幅で歩いてくる人にのみ注がれている。
「ティアナ」
六課フォワードメンバーの教導官であり、スターズ分隊隊長であり、一応の恋人であるなのはさんにだけ。
彼女と会っている時は、将来の夢だって忘れる。そんなことを本人に言えば絶望され、見放されてしまうに違いないだろうけれど。
「最近元気ないみたいだから少し心配になったんだけど、悩みでもあるのかな」
彼女はいつもの微笑を口元に湛え、語りかける。
彼女は部屋着のままだったのか、薄着でいた。夜は冷える。いくら長袖を着ていてもシャツ一枚では風邪を引いてしまうだろう。私は羽織っていた上着を彼女の肩にかけた。
「ありがとう」
「いえ。それと心配ないですよ」
え、と彼女は首を傾げた。少女のような仕草に、さっきの質問です、と口元に笑みを浮かばせつつも返しておく。
「そうなんだ」
「そうですよ」
「それならよかった」
お互いに淡白なやり取りを交わす。が、自分は湧き上がる感情を抑えるのに精一杯だった。ここのところまともに話す機会もなかったなのはさんが目の前にいて、それなのにやはり素っ気無い。
この逢瀬だってその取り繕いでしかないのではないか。そう考えないこともなかったが、彼女はそんな人ではない。考え直して頭を振る。
「ティアナ?」
「あ、いえ。さ、寒いですね」
「ごめん、上着返すね」
私は馬鹿か。彼女に気を遣わせてどうするんだ。
顔の前で両手を振って慌てて遮り、大丈夫と安心させて見せる。
不自然なほど気遣われてしまい、先ほど抑えたはずの感情が再び湧き上がってくる。恋人同士だというのに、どうして私たちはこんなにも気遣い合っているのだろう。悲しくなって、自分でも思わぬ言葉が口から零れ出た。
「あたしのこと好きですか」
思わぬ?
違う。ずっと考えていた。
「どうしたの」
「なのはさんに言ってほしいんです。まだ好きでいてくれてますか」
「好きだよ」
「……名前と、一緒にお願いします」
「ティアナのことが好きだよ」
「じゃあどうしてですか」
ずっと、考えていたんだ。そればかりを反芻し、今日だってミスショットをしてしまって。自分の一番卑下すべき行動を自らしてしまった。同じ失敗を繰り返すなんて三流以下がすることであるというのに、よりによって自分がしてしまうなんて。
だというのに頭では、彼女に厭きられるかもということばかりが埋め尽くしていた。
でも、だって狂いそうになる――。
「フェイトさんと同じ部屋でなんて寝ないでくださいよ」
好きな人が、別の女の人と一緒に寝ているなんて、頭がどうにかなりそうだ。
「なのはさんが嫌だと言ってくれるなら、私はすぐにでも部屋を出られます。だからなのはさんも今すぐ部屋を代わって下さい」
「……ティアナ、それは困るよ」
眉を下げ、首を横に振る。
「あたしのことを好きでいてくれるなら、フェイトさんのことなんて忘れてくださいよ……っ」
それは絶叫でしかない。腹の底から叫びを上げたはずなのに、か細く揺れる声しか出てこなかった。自分だけを見てほしいとその気持ちで張り裂けそうなのは本当なのに、一方で彼女に嫌われたくないという気持ちが必至の訴えを引き寄せる。
「ティアナ」
ビクリと肩を震わせる。俯いたまま、私は応えることも出来ずに自らの爪先を睨んでいた。
――嫌わないで。
声に出せないままに叫ぶ。嫌わないでほしい。彼女に嫌われたら私はきっと生きていけないから。でも、それなら言わなければよかったのだろうか。答えなど求めなければもっと長く彼女と平穏にいられたのかな。
今すぐにでも駈け出して部屋に閉じこもってしまいたい衝動を、拳を握り潰すことで抑える。濡れた草の上にポタリ、紅い雫が滴り落ちる。
「ティア――」
「ごめんなさい」
「……え」
言いかけた言葉を遮るようにした突然の謝罪に、彼女は途惑いを隠さない。
「我が侭、でしたね。ごめんなさい」
もう言いません。だからそんな困った顔をしないでください。
だがそれは心の中だけに留めておくべき言葉。させたのは自分だった。
私は彼女に背を向け、六課宿舎の自室に向かう。
いつの間にか空は曇り、あれだけ活発に明滅していた星の光はこちらに届くことなく、代わりに月が半身を覗かせていた。深緑の草を伝う紅い雫が、月光に照らされている。それはまるで火に炙られたかのように、赤黒く鈍光りを放っていた。
一週間が経ち、手の平の傷が治った頃、六課では一切の滞りなく訓練が行われていた。日が暮れるまで続けらた本日の訓練を終えると、くたくたになった自身の体をベッドのある部屋にまで向かわせるべく歩く。辺りは既に薄っすらと闇のベールがかけられている。だが私は空を見上げる気力もないまでに疲れ果てていた。
訓練中はずっと無心で体を動かしていた。もちろん周囲の声は聞き届けいていたし、以前のように周りが見えずに暴走するということはない。そうであれば真っ先にあの人に見放されていただろう。無心とは何も考えないことではなく、雑念を取り払うこと。食事の時、クロスミラージュの手入れをしている時、ベッドに入った時には嫌でも潜り込んでくるのだから、せめて訓練の時にくらい忘れていたかった。だから体を動かした。戦闘以外の思考が入り込まないように。
背中をとんとノックするような声が聞こえて振り向く。随分と久しぶりに聞いたような気がする声。つい先ほどまで聞いていたというのに、現実味が希薄だった。
なのはさんは顔を僅かにだけ綻ばせ、そこに立っていた。
呼ばれたのは、生活感の皆無な部屋だった。だが生活に必要なものは揃っており、生に無頓着な人が住んでいるのだと言われれば納得しそうである。しかもそれなりの広さがあり、今寝起きしている部屋の二倍はあった。白い天井に真新しい壁紙。どうして彼女が私をこの部屋に連れてきたのか、その意味を模索しながら周囲を見回していると、一枚のボードが目についた。この部屋でコルクのボードだけが異彩を放っていた。
アーモンドカラーのコルクの縁をで黒で囲ったボードを茫然と眺めていると、ふと手に一つの温かみが宿っていることに気づく。見れば自身の右手は彼女に包まれていた。
「私たちの部屋だよ」
言葉の意味を捉えかねていると、眺めていたボードを指差した。
「あそこには写真を貼るんだよ。今まで私たちが生きてきた記憶、これから作っていく楽しい時間を貼るの」
彼女はそのまま視線をずらしながら説明する。
「そこの台所で料理を作ってあげる。ティアナのためだけに作る料理だよ」
部屋でも一際大きな家具に目をとめると、彼女はこちらを振り返った。
「そして、それほど広くはないけれど二人が一緒に眠るには十分のベッド」
「なのはさん……?」
「時間はかかっちゃったけどちゃんと用意したよ。私とティアナの部屋。……もうティアナのいないところで、他の人とは一緒に寝ない。約束する。ティアナが受け入れてくれるのなら、ここで二人一緒に住もう。あと少しで一年が経ち六課は解散してしまうけど、私はこれからもティアナと一緒にいたいよ」
「なのはさん、でもフェイトさんは」
「ティアナは誤解しているみたいだけど、フェイトちゃんとは肉体関係の交情なんて持っていないから。好きの種類について考えるのは難しいけれど、体を重ねていたいと思うのはティアナだけ。曖昧な部分が沢山あって、ティアナに辛い思いばかりさせてしまうどうしようもない私だけど、それだけは確かだよ」
触れ合った彼女の左手が震えていた。平静を保っているようで、全身が緊張で強張っていることを知る。不安なのは自分だけではないと気付かされ、私は彼女の何を見てきたのだろうと嘆いた。
「それじゃ駄目かな。ティアナの心を安心させてあげられない?」
「そんなことないっ」
自分こそなのはさんの心に安寧を与えられていなかった。心休まる時間を、あげられなかった。求めるばかりで、そのくせ怖くなったら逃げていた。
どうしようもない人間は自分の方だったのだ。
「そんなことなんて、ないです。なのはさんと居られるだけで幸せだったんです。欲張ったあたしが全て悪い……」
「ティアナ」
俯きかけていた顔を上げさせるように、両頬を包まれた。彼女の端麗な顔が近付いて、私は身動きが危うく取れなくなって――。
「聞きたいのはそんな言葉じゃないよ。今聞きたいのは一つだけ。この部屋で一緒に住んでくれるか、それだけなの。それだけで十分だから、ねえ、お願い。……答えて」
頬に宛がわれた彼女の両手を解く。眉をしかめる彼女を無視するよう、襟首に手を回して引き寄せた。言葉とは裏腹な弱々しい声を聞いてはもう止まらなかった。自制は利かない。堪らず顔を寄せ、唇の端に自らの唇で触れると、私はゆっくりと体を離した。
「答え、解りましたか」
「……唇じゃない」
「それは、貴女の同意を得られればいつでも」
「今すぐに」
「……はい」
真剣な表情で、冗談みたいな遣り取り。唇を重ねて、私はようやく腕の中に彼女を収めた。
二度と離しはしないと何にでもなく誓いを込めて。
◇
「ティア……」
その晩は移転の為に荷物をまとめていた。幸い私物と呼べるものは少なく、準備に要する時間は少なくて済みそうだ。なのはさんも今頃は部屋で片付けていることだろう。それともフェイトさんと話をしているだろうか。手を動かしながらも様々なことが浮かんでくるが、今までとは違い頭の中はすっきりとしていた。手の平の傷が消えてしまったように、それは喪失だった。
そんな中でスバルの悲痛な声を聞き、振り向くと両腕をだらりと下げたままこちらを見詰めていた。普段なら「何よ」と軽い憎まれ口でも叩いたのだろうが、そうもいかない。
「出て行っちゃうんだね」
後ろめたさが自分から言葉を削り取る。私は頷くだけで再び作業に戻った。
荷物は入り口付近に一纏めにしておき、一段落ついたところで大きく息をついた。椅子に座って見れば、少しぎこちない笑顔と共にスポーツ飲料を差し出してくれている。受け取ると、スバルはベッド下段に座った。話をするときのお互いの定位置。
ごめん、と私は言った。
「あんたに嘘、吐いてたわね」
「何の事かな」
「もう気付いてるんでしょ、なのはさんのこと」
「そりゃあティアがここを出ていく理由を聞けば分かるけど、でも嘘って何」
「以前聞かれた、なのはさんへの好意よ。あのときは好きじゃないって言ったくせにって」
「まあね、思わないわけじゃないよ。でもティアなりの考えがあったんだろうし、気にしてはいないかな」
「そう、あたしは気になってたけど、無駄な気苦労ってわけね」
そうだね、とスバルは笑う。私もつられて笑いそうになってとどめた。
「……ごめん、スバル」
会話を割る一瞬の静寂の後、改めて頭を下げる。
「なーんで?」
「あんたの好きななのはさんとっちゃったから」
「別にあたしのものじゃないからそれこそ謝られても困るよ。それにあたし、ティアには幸せになってほしいんだ」
「でも、スバル」
「あたしにとってのなのはさんは、なのはさんにとってのフェイトさんだったから」
「え――」
「だから、ね、ほら」
荷を詰めたバッグを差し出される。反射的に受け取って、そのまま扉の方に押しやられた。
「部屋は別れちゃうけど、同じ隊のメンバーだもん、これからも良いパートナーだからね!」
追い出されたような格好だったけれど、親友は間違いなく背中を押してくれたのだと気付く。
いつも阿呆面でいたスバルが、自分よりも余程大人びで見えて、これから先の不安が胸に少しだけ宿っていた。
扉を閉じる。数分ほど凭れていた後、扉から背中を引き剥がした。馬鹿な親友の泣き声も聞いてしまったし、自分は進まなければいけないのだ。逃げられはしない。
新たな部屋に向かうべくエスカレーターに足を向けようとすれば、そこになのはさんがいた。肩に掛け直し損ねたバッグが床にこぼれる。近づいて分かった。
なのはさんの瞳が赤く染まっている。
もう迷いなどなかった。私は荷物を拾うこともせずに駆け寄った。かけるべきは謝罪ではないと分かっていたけれど、それでもかけずにはいられない『ごめんなさい』という言葉。人通りの少ないとはいえゼロではない場所で、だけれども躊躇うことなく抱き寄せる。有無を言わさず、隙間など出来ないくらいに強く抱き締めた。胸の中で小さくもがくなのはさんがなんだか可愛くて、嫌がっていないことだけを確かめると、次の長いエレベーター到着の知らせが入るまでそのままの格好で過ごした。
電信音が鳴ると体を離し、お互いの荷物を拾い合って乗り込む。
なのはさんの荷物は少なかった。目に見える荷物は、そう、自分よりも少なかった。だがきっと彼女の心が背負うものは自分よりも多いのだろう。
両手は塞がり、手を繋ぐことはない。それでも繋がっていると思えたのは、微笑みをくれたからに違いない。
もう自分は二度とはこの笑顔から逃げたりはしない。
部屋を出る際に投げかけられたスバルの言葉が浮かぶ。
――ティアはなのはさんのこと好き?
そんな簡単な問い、誰に対してだって言える。満面の笑顔で返してあげられる。
「大好きよ」
隣で首を傾げるなのはさんに何でもないと誤魔化して、私は今度こそ笑った。
× あとがき ×
ティアナは本当にいろいろなことを抑制してばかりです。そんな描写が多かった。語彙の貧相な自分ではそれがつらくもあり、楽しくもあったりしました。
やたら前置きが長いですが、とどのつまりこれはティアなのだったんだ。
途中、別に無理に恋愛に関連づけなくてもいいのではないかな、などという考えが浮かびました。それは自分の中でしっかりとなのティアが確立されてなかったからかもしれません。これでようやくなのティアが見つかった気がする。
と謎な言葉を吐き出してみたところで、あとがきです。
結末は悩みました。。きっと陰でなのはさんが泣いたし、フェイトさんも泣いた。だからこそ報われないまま終わらせることも出来たけど、これは違うなと思って、ティアナが幸せを掴めるような結末で終わらせました。報われないティアナも好きだけど、苦労して努力して空回って、それでもいつか幸せになれるのがティアナでもあると思って書きました。
どうだろう、少しでも伝わっていると良いです。
タイトルを決めなければ、内容も迷走するから困りものです。だから手を抜けないのがタイトル。かといって本文も手なんて一切抜けないし抜く気もないぞっ"((`へ´))"
それでもタイトルをぱっと考えられる人はやはり凄いですね。
いくつかなのティアの小説は書きましたが、原点であるティアナがなのはさんに心を触れられた瞬間を書いていなかったことに気づき、書いてみました。というと大げさですけど(笑
少し長い話ですが、よければ続きよりどうぞ。
求めるままの逃亡
日常が崩れるのなんてほんの一瞬だと思った。
だがそれは実に慎重に、静粛に意識を削られているだけで、本当は一瞬でなどなかった。自らが逃避から生み出す錯覚がそうさせたに過ぎず、繰り返しある日常を歩いていて気付かぬままに年を重ねていくようなものだった。
だからそれは当然の事象。
私ティアナ・ランスターという人物が、高町なのはに惹かれていくのは、スバルと知り合った時点で決定づけられていたのだった。
出会ってしまえば、もうやり直しはきかない。
ごめんね、スバル。
寝言で愛しいあの人の名前を呼ぶ親友の表情に、意図せずして謝罪が零れる。そうやって罪悪感を霧散させるしかない自分の弱さに呆れ、そして額に優しく手を乗せた。
ごめんね、スバル。
「あの人は、誰か一人のものになるなんてことは絶対にないだから、やっぱりあたしでよかったのよ」
言い訳じみた呟きを吐きだし、私は部屋を出た。
◇
六課に入隊した当初、私はスバルに何気ない装いでこんなことを尋ねられた。
「あたしね、なのはさんのことが好きだよ」
「ふうん」
ベッド下段の自分のベッドに腰掛けて、足をぶらぶらと空中で遊ばせていた。私は横目で一度見るだけで、あとは鼻で相槌を打ちながらクロスミラージュを磨く。親友は続ける。
「ティアはなのはさんのこと好き?」
「そうね、嫌いじゃないわ。でも好きでもない」
エリートの気持ちなんて所詮凡人の自分になど分かりはしないと決めつけていた私は、その後スバルが懸命になのはさんの良さや素晴らしさを語っていたけれどすべて聞き流していた。
はじめはスバルの言う『憧れのなのはさん』というものが如何ほどのものかと思っただけだった。スバルが事あるごとに口にする名前が、自分にとっても重要なもののように感じられ始めたのは、そんなに遅くはなかった。
八神部隊長に誘われて六課に入った時も、笑顔が印象的な人だ、というくらいにしか特に思うことはなく、本当にこの人のどこにあのエースオブエースとまで云わしめた実力が備わっているのか疑うほどだったのだ。もっともそのような浅はかな連想は、初日の訓練で壮大な音を立てて崩れてしまったけれど。
白い防護服に身を包み、かつ可愛らしい容貌をしたなのはさんが空から降りてくる様は、さしずめ天使といったところか、とごく自然にそんな感想が浮かぶ。隣でやたらと気合を入れているスバルを横目に銃弾を確認、素早くリロードできるように準備する。いざ開始されると体が追い付かないほど上下左右に振られる。彼女の前では自らの足が固定されているのと同じだった。圧倒的な力が、それでも抑えられたものだと知った時は背筋が凍った。と同時に自身に絶望していた。
エリートばかりが集うこの六課の中で唯一の凡人である自分。
焦りに背中を押された自身を戒めるように、酷く悲しげな表情で撃ち抜いてくれたのがなのはさんの優しさだったと気付いた時、兄の死以来初めての涙が出た。
きっと彼女は、教え子である私が自分の気持ちを分かってくれず、その場で誰よりも悲壮な思いに胸を詰められたはずだった。私の身を案じてくれていた。強くなれるようにと試行錯誤しながら訓練を考えてくれていた。だというのに私といえば、自分の焦りに任せて突き進み、誰も傷つけたくないなんて謳っておきながらスバルを誤射しかけ、暴走を止めてくたなのはさんの手を傷つけた。矛盾だった。
夜、海の見える場所で抱き締めてくれた時になのはさんの優しさに触れて、ようやく分かった気がした。
雲上人でしかなかったあの人が近くに見えた。近づいてくれたのは向こうからだった。肩を引き寄せ、頭を撫でてくれた。染み入るようにゆったりと揺れる波の音を近くに聞きながら、涙が止まらない私の背中をなのはさんは温めてくれる。
そこに言葉はなく。ただ想いだけが注がれていて、私はただ心が安らぐのを感じていた。
そんな中、兄が思い浮かんだ。こんな風に優しく抱きしめてくれたのは、兄だけだったような気もする。両親は物覚えつく以前に亡くし、それ以降私には頼る人などいなかった。死んでしまった後でさえ兄が心の支えだった。
「ティアナ、寒くない」
今は違う。なのはさんがこうして、一度冷え切った心には暖かすぎる声をかけてくれる。決して事務的なものと勘違うことはない。
だってなのはさんだから。
「今日はゆっくりと休んで、そして明日からまた訓練を頑張ろう」
「一緒に」
なのはさん。
「あたしと一緒に寝て下さい」
今晩だけでいいと、なのはさんにそう告げた。
彼女を困らせる気は殊更になかったけれど、だけど困らせてしまっていたかもしれない。だが一度吐き出した言葉を引き下げる気もなかった。
「いいよ」
その言葉を聞いてからは、尚更に。
遊びでいいと思っていた。それならば彼女にはフェイト隊長がいるのだからと心を抑制することが出来た。なのに彼女はその夜抱きしめてくれた後、事も無げに言ってくれたのだ。――好きだ、と。
そして、嬉しさよりもまず一人の女性の存在がきにかかった。
フェイトさんはどうしたんですか。臆病者が問うと、フェイトちゃんも好きだよ、と臆病者の愛する人が答えた。
「それ二股って言いません?」
「そうかな」
「そうですよ」
「ううん、ティアナは私のこと嫌い?」
「だったら休みの日に書類仕事請け負ってまで貴女の傍にいようとしません」
「ふふ、そうだね。ありがとう」
遊びならばこんなにも苦しくなることはないのに――。
巧くはぐらかされて――いや、自分からはぐらかされに行った私は、結論を出すことを率先して拒んでいた。誰にも使われていない部屋でこっそりと逢瀬を交わし、暇を見つけては唇を合わせる。腰に手が回ると、これから起こる行為への期待に全身が打ち震える。
耳元に愛の言葉を囁かれる度、彼女と視線が紡がれる度に元々脆弱だった自制心は崩れ落ちていった。
彼女しか見えない。彼女以外見えなくてもいいとさえ思う程、彼女を愛してしまっていた。スバルのことが脳裏を掠めることもあるけれど、止めるまでには至らない。
「ティアはなのはさんのこと好き?」
ジュエル・スカリエッティ事件を過ぎた頃、スバルは以前と同じ問いを投げかけた。
流石に訓練にも慣れて自主練習も始められた頃でもあった。確かな手ごたえを感じつつ、私はクロスミラージュを磨く。
「色々あったけどさ、あたしはなのはさんのこと好きなんだ。もう憧れじゃないよ。今度は自分がなのはさんを護れるようになりたい」
背後では意気揚々とスバルが両手で握り拳を作り、打算一つも見えない笑顔でいた。私となのはさんとの関係を知ってか知らずかはわからない。いつの間にか横に立ち、真摯な眼差しを向けてきて、作業の手が止まる。
「好きよ」
クロスミラージュを机の上に置くと、私はスバルに向き直った。
「でもあたしの方は、あんたのいう好きじゃない」
だって遊びでいいなんて、こんな歪んだ感情を誰が認めてくれるというのか。
椅子の背に凭れて天井を仰ぐ。持て余すほどの膨大な波に押し切られるまま、私は途方に暮れるしかなかった。
◇
濡れた草の上に座っていた。
ずっと頭を回らしている。過去のことを振り返りながら苦笑いを浮かべるのがここ最近の日課だった。
訓練の際のなのはさんの表情は、当然ながらあの人と話す時とは違う。とうの昔に分かっていたことだけれど目にする度その事実に打ちのめされる。言葉では埋まらない不安が群をなして夜毎襲ってくる。
吐く息が白く濁り、形のない靄が空中浮遊する。
寒い。
だけどどうしようもなく寒いのは当然だった。こんな夜更けにも関わらず、外で一時間も座っている。
草木も寝静まり、空では今は滅びてしまったかもしれない幾つもの星が明滅を繰り返す。
どこからか季節の虫の音が、葉が風に掠れる音と重なって聞こえてくる。昼間はあんなにも明るく開けた場所のように思えた広場も、今見れば閑寂としたものだった。物静かで、ふとすれば趣のあるこの場所も綺麗な虫の音も、全てが私の関心外にあった。
私の意識はただ一点。小さな歩幅で歩いてくる人にのみ注がれている。
「ティアナ」
六課フォワードメンバーの教導官であり、スターズ分隊隊長であり、一応の恋人であるなのはさんにだけ。
彼女と会っている時は、将来の夢だって忘れる。そんなことを本人に言えば絶望され、見放されてしまうに違いないだろうけれど。
「最近元気ないみたいだから少し心配になったんだけど、悩みでもあるのかな」
彼女はいつもの微笑を口元に湛え、語りかける。
彼女は部屋着のままだったのか、薄着でいた。夜は冷える。いくら長袖を着ていてもシャツ一枚では風邪を引いてしまうだろう。私は羽織っていた上着を彼女の肩にかけた。
「ありがとう」
「いえ。それと心配ないですよ」
え、と彼女は首を傾げた。少女のような仕草に、さっきの質問です、と口元に笑みを浮かばせつつも返しておく。
「そうなんだ」
「そうですよ」
「それならよかった」
お互いに淡白なやり取りを交わす。が、自分は湧き上がる感情を抑えるのに精一杯だった。ここのところまともに話す機会もなかったなのはさんが目の前にいて、それなのにやはり素っ気無い。
この逢瀬だってその取り繕いでしかないのではないか。そう考えないこともなかったが、彼女はそんな人ではない。考え直して頭を振る。
「ティアナ?」
「あ、いえ。さ、寒いですね」
「ごめん、上着返すね」
私は馬鹿か。彼女に気を遣わせてどうするんだ。
顔の前で両手を振って慌てて遮り、大丈夫と安心させて見せる。
不自然なほど気遣われてしまい、先ほど抑えたはずの感情が再び湧き上がってくる。恋人同士だというのに、どうして私たちはこんなにも気遣い合っているのだろう。悲しくなって、自分でも思わぬ言葉が口から零れ出た。
「あたしのこと好きですか」
思わぬ?
違う。ずっと考えていた。
「どうしたの」
「なのはさんに言ってほしいんです。まだ好きでいてくれてますか」
「好きだよ」
「……名前と、一緒にお願いします」
「ティアナのことが好きだよ」
「じゃあどうしてですか」
ずっと、考えていたんだ。そればかりを反芻し、今日だってミスショットをしてしまって。自分の一番卑下すべき行動を自らしてしまった。同じ失敗を繰り返すなんて三流以下がすることであるというのに、よりによって自分がしてしまうなんて。
だというのに頭では、彼女に厭きられるかもということばかりが埋め尽くしていた。
でも、だって狂いそうになる――。
「フェイトさんと同じ部屋でなんて寝ないでくださいよ」
好きな人が、別の女の人と一緒に寝ているなんて、頭がどうにかなりそうだ。
「なのはさんが嫌だと言ってくれるなら、私はすぐにでも部屋を出られます。だからなのはさんも今すぐ部屋を代わって下さい」
「……ティアナ、それは困るよ」
眉を下げ、首を横に振る。
「あたしのことを好きでいてくれるなら、フェイトさんのことなんて忘れてくださいよ……っ」
それは絶叫でしかない。腹の底から叫びを上げたはずなのに、か細く揺れる声しか出てこなかった。自分だけを見てほしいとその気持ちで張り裂けそうなのは本当なのに、一方で彼女に嫌われたくないという気持ちが必至の訴えを引き寄せる。
「ティアナ」
ビクリと肩を震わせる。俯いたまま、私は応えることも出来ずに自らの爪先を睨んでいた。
――嫌わないで。
声に出せないままに叫ぶ。嫌わないでほしい。彼女に嫌われたら私はきっと生きていけないから。でも、それなら言わなければよかったのだろうか。答えなど求めなければもっと長く彼女と平穏にいられたのかな。
今すぐにでも駈け出して部屋に閉じこもってしまいたい衝動を、拳を握り潰すことで抑える。濡れた草の上にポタリ、紅い雫が滴り落ちる。
「ティア――」
「ごめんなさい」
「……え」
言いかけた言葉を遮るようにした突然の謝罪に、彼女は途惑いを隠さない。
「我が侭、でしたね。ごめんなさい」
もう言いません。だからそんな困った顔をしないでください。
だがそれは心の中だけに留めておくべき言葉。させたのは自分だった。
私は彼女に背を向け、六課宿舎の自室に向かう。
いつの間にか空は曇り、あれだけ活発に明滅していた星の光はこちらに届くことなく、代わりに月が半身を覗かせていた。深緑の草を伝う紅い雫が、月光に照らされている。それはまるで火に炙られたかのように、赤黒く鈍光りを放っていた。
一週間が経ち、手の平の傷が治った頃、六課では一切の滞りなく訓練が行われていた。日が暮れるまで続けらた本日の訓練を終えると、くたくたになった自身の体をベッドのある部屋にまで向かわせるべく歩く。辺りは既に薄っすらと闇のベールがかけられている。だが私は空を見上げる気力もないまでに疲れ果てていた。
訓練中はずっと無心で体を動かしていた。もちろん周囲の声は聞き届けいていたし、以前のように周りが見えずに暴走するということはない。そうであれば真っ先にあの人に見放されていただろう。無心とは何も考えないことではなく、雑念を取り払うこと。食事の時、クロスミラージュの手入れをしている時、ベッドに入った時には嫌でも潜り込んでくるのだから、せめて訓練の時にくらい忘れていたかった。だから体を動かした。戦闘以外の思考が入り込まないように。
背中をとんとノックするような声が聞こえて振り向く。随分と久しぶりに聞いたような気がする声。つい先ほどまで聞いていたというのに、現実味が希薄だった。
なのはさんは顔を僅かにだけ綻ばせ、そこに立っていた。
呼ばれたのは、生活感の皆無な部屋だった。だが生活に必要なものは揃っており、生に無頓着な人が住んでいるのだと言われれば納得しそうである。しかもそれなりの広さがあり、今寝起きしている部屋の二倍はあった。白い天井に真新しい壁紙。どうして彼女が私をこの部屋に連れてきたのか、その意味を模索しながら周囲を見回していると、一枚のボードが目についた。この部屋でコルクのボードだけが異彩を放っていた。
アーモンドカラーのコルクの縁をで黒で囲ったボードを茫然と眺めていると、ふと手に一つの温かみが宿っていることに気づく。見れば自身の右手は彼女に包まれていた。
「私たちの部屋だよ」
言葉の意味を捉えかねていると、眺めていたボードを指差した。
「あそこには写真を貼るんだよ。今まで私たちが生きてきた記憶、これから作っていく楽しい時間を貼るの」
彼女はそのまま視線をずらしながら説明する。
「そこの台所で料理を作ってあげる。ティアナのためだけに作る料理だよ」
部屋でも一際大きな家具に目をとめると、彼女はこちらを振り返った。
「そして、それほど広くはないけれど二人が一緒に眠るには十分のベッド」
「なのはさん……?」
「時間はかかっちゃったけどちゃんと用意したよ。私とティアナの部屋。……もうティアナのいないところで、他の人とは一緒に寝ない。約束する。ティアナが受け入れてくれるのなら、ここで二人一緒に住もう。あと少しで一年が経ち六課は解散してしまうけど、私はこれからもティアナと一緒にいたいよ」
「なのはさん、でもフェイトさんは」
「ティアナは誤解しているみたいだけど、フェイトちゃんとは肉体関係の交情なんて持っていないから。好きの種類について考えるのは難しいけれど、体を重ねていたいと思うのはティアナだけ。曖昧な部分が沢山あって、ティアナに辛い思いばかりさせてしまうどうしようもない私だけど、それだけは確かだよ」
触れ合った彼女の左手が震えていた。平静を保っているようで、全身が緊張で強張っていることを知る。不安なのは自分だけではないと気付かされ、私は彼女の何を見てきたのだろうと嘆いた。
「それじゃ駄目かな。ティアナの心を安心させてあげられない?」
「そんなことないっ」
自分こそなのはさんの心に安寧を与えられていなかった。心休まる時間を、あげられなかった。求めるばかりで、そのくせ怖くなったら逃げていた。
どうしようもない人間は自分の方だったのだ。
「そんなことなんて、ないです。なのはさんと居られるだけで幸せだったんです。欲張ったあたしが全て悪い……」
「ティアナ」
俯きかけていた顔を上げさせるように、両頬を包まれた。彼女の端麗な顔が近付いて、私は身動きが危うく取れなくなって――。
「聞きたいのはそんな言葉じゃないよ。今聞きたいのは一つだけ。この部屋で一緒に住んでくれるか、それだけなの。それだけで十分だから、ねえ、お願い。……答えて」
頬に宛がわれた彼女の両手を解く。眉をしかめる彼女を無視するよう、襟首に手を回して引き寄せた。言葉とは裏腹な弱々しい声を聞いてはもう止まらなかった。自制は利かない。堪らず顔を寄せ、唇の端に自らの唇で触れると、私はゆっくりと体を離した。
「答え、解りましたか」
「……唇じゃない」
「それは、貴女の同意を得られればいつでも」
「今すぐに」
「……はい」
真剣な表情で、冗談みたいな遣り取り。唇を重ねて、私はようやく腕の中に彼女を収めた。
二度と離しはしないと何にでもなく誓いを込めて。
◇
「ティア……」
その晩は移転の為に荷物をまとめていた。幸い私物と呼べるものは少なく、準備に要する時間は少なくて済みそうだ。なのはさんも今頃は部屋で片付けていることだろう。それともフェイトさんと話をしているだろうか。手を動かしながらも様々なことが浮かんでくるが、今までとは違い頭の中はすっきりとしていた。手の平の傷が消えてしまったように、それは喪失だった。
そんな中でスバルの悲痛な声を聞き、振り向くと両腕をだらりと下げたままこちらを見詰めていた。普段なら「何よ」と軽い憎まれ口でも叩いたのだろうが、そうもいかない。
「出て行っちゃうんだね」
後ろめたさが自分から言葉を削り取る。私は頷くだけで再び作業に戻った。
荷物は入り口付近に一纏めにしておき、一段落ついたところで大きく息をついた。椅子に座って見れば、少しぎこちない笑顔と共にスポーツ飲料を差し出してくれている。受け取ると、スバルはベッド下段に座った。話をするときのお互いの定位置。
ごめん、と私は言った。
「あんたに嘘、吐いてたわね」
「何の事かな」
「もう気付いてるんでしょ、なのはさんのこと」
「そりゃあティアがここを出ていく理由を聞けば分かるけど、でも嘘って何」
「以前聞かれた、なのはさんへの好意よ。あのときは好きじゃないって言ったくせにって」
「まあね、思わないわけじゃないよ。でもティアなりの考えがあったんだろうし、気にしてはいないかな」
「そう、あたしは気になってたけど、無駄な気苦労ってわけね」
そうだね、とスバルは笑う。私もつられて笑いそうになってとどめた。
「……ごめん、スバル」
会話を割る一瞬の静寂の後、改めて頭を下げる。
「なーんで?」
「あんたの好きななのはさんとっちゃったから」
「別にあたしのものじゃないからそれこそ謝られても困るよ。それにあたし、ティアには幸せになってほしいんだ」
「でも、スバル」
「あたしにとってのなのはさんは、なのはさんにとってのフェイトさんだったから」
「え――」
「だから、ね、ほら」
荷を詰めたバッグを差し出される。反射的に受け取って、そのまま扉の方に押しやられた。
「部屋は別れちゃうけど、同じ隊のメンバーだもん、これからも良いパートナーだからね!」
追い出されたような格好だったけれど、親友は間違いなく背中を押してくれたのだと気付く。
いつも阿呆面でいたスバルが、自分よりも余程大人びで見えて、これから先の不安が胸に少しだけ宿っていた。
扉を閉じる。数分ほど凭れていた後、扉から背中を引き剥がした。馬鹿な親友の泣き声も聞いてしまったし、自分は進まなければいけないのだ。逃げられはしない。
新たな部屋に向かうべくエスカレーターに足を向けようとすれば、そこになのはさんがいた。肩に掛け直し損ねたバッグが床にこぼれる。近づいて分かった。
なのはさんの瞳が赤く染まっている。
もう迷いなどなかった。私は荷物を拾うこともせずに駆け寄った。かけるべきは謝罪ではないと分かっていたけれど、それでもかけずにはいられない『ごめんなさい』という言葉。人通りの少ないとはいえゼロではない場所で、だけれども躊躇うことなく抱き寄せる。有無を言わさず、隙間など出来ないくらいに強く抱き締めた。胸の中で小さくもがくなのはさんがなんだか可愛くて、嫌がっていないことだけを確かめると、次の長いエレベーター到着の知らせが入るまでそのままの格好で過ごした。
電信音が鳴ると体を離し、お互いの荷物を拾い合って乗り込む。
なのはさんの荷物は少なかった。目に見える荷物は、そう、自分よりも少なかった。だがきっと彼女の心が背負うものは自分よりも多いのだろう。
両手は塞がり、手を繋ぐことはない。それでも繋がっていると思えたのは、微笑みをくれたからに違いない。
もう自分は二度とはこの笑顔から逃げたりはしない。
部屋を出る際に投げかけられたスバルの言葉が浮かぶ。
――ティアはなのはさんのこと好き?
そんな簡単な問い、誰に対してだって言える。満面の笑顔で返してあげられる。
「大好きよ」
隣で首を傾げるなのはさんに何でもないと誤魔化して、私は今度こそ笑った。
× あとがき ×
ティアナは本当にいろいろなことを抑制してばかりです。そんな描写が多かった。語彙の貧相な自分ではそれがつらくもあり、楽しくもあったりしました。
やたら前置きが長いですが、とどのつまりこれはティアなのだったんだ。
途中、別に無理に恋愛に関連づけなくてもいいのではないかな、などという考えが浮かびました。それは自分の中でしっかりとなのティアが確立されてなかったからかもしれません。これでようやくなのティアが見つかった気がする。
と謎な言葉を吐き出してみたところで、あとがきです。
結末は悩みました。。きっと陰でなのはさんが泣いたし、フェイトさんも泣いた。だからこそ報われないまま終わらせることも出来たけど、これは違うなと思って、ティアナが幸せを掴めるような結末で終わらせました。報われないティアナも好きだけど、苦労して努力して空回って、それでもいつか幸せになれるのがティアナでもあると思って書きました。
どうだろう、少しでも伝わっていると良いです。
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アリサ×なのは

comments
良い話も悲しい話でも、ティアナの思いがとても良く表現されていて、面白いと心から言えます♪
次も頑張って下さいね☆(少し感動して泣いちゃったのは内緒♪)
スバルとフェイトの後押しには、トドメをさされました。
ハッピーエンドは私も好きです。
ただなのはさんが天然撃墜王ですから、ヒロインにとって、主人公(なのは)とトゥルーエンドへの道は果てなく遠いというか。
三角関係(これは四角ですがw)にこれという解決法なんてない。それこそ三人とも恋人にするとかでなければ。
だから「黒なのは」ならともかく、本編基準のなのはさんならはそんな選択肢はできないと。面白いと言ってくれたのは、ティアナの辛い思いを察して下さったからですね。
本当にありがとうございます。これからもがんばります!
>二番目にコメントをくれた方
そこまでいっていただけると、書いた本人としては歓喜に咽ぶしかなく。。ありがとうございます。
ただ幸せなだけの物語にならないよう心がけました。だからきっと背景まで読み取っていただけたのなら、苦味も味わってしまうだろうと思います。ティアナからは見えないフェイトさんの心情など。
これからも精進しますゆえ、お暇があったらまた読みにきてやってください。
>ユリかもめさん
はたしてフェイトはなのはの背中を押したのかどうか。むしろ優しいなのはさんは、フェイトを慰めたのではないか。
なのはの服の裾をひっぱることもできず、俯いたままただ背中を見送るフェイトの頭をなでて、なのはがごめんと呟く。見上げるフェイトに、一言だけ呟いて部屋を出る。
「大好きだよ、フェイトちゃん」
引き留めない優しさが、なのはには何よりも痛かった。優しさはなのはを傷つける。
……とか、そんなやりとりを想定していたりします。ティアナからは見えない部分なので書けませんでしたがおそらく。
読んでいただき、ありがとうございました。
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