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2019-11

別の世界を願うなら―1

第1話「名もなき詩人1」
0.悠遠なる熱の続き。
なのはとティアナの物語。パラレルです。
「名もなき詩人」前編。長くなったので泣く泣く分けることに。
まだ長いかもしれませんが、ちょっときりがつかなかったので。

――高町なのははその日、一人の少女を見つけた。
なのはは少女の中に自分を見るが、しかし根本的な何かが違っていた。
やがてなのはは少女の中に見ているのが自分ではないことに気づく。
でもそれはずっと後のことだった。

なのはとティアナ出会いの話。
もしよろしければ続きよりどうぞ。



 別の世界を願うなら

 1.名もなき詩人1


 秋も終りの日。そんな寒い日。少女は自分の目の前に、無彩色のまま立っていた。
 私をライトが照らしていた。虹色――いや、色が重なりすぎて無色にも近いライトの色だ。あるいは黒。それが自分の顔を照らしつけ、焼きつくような暑さをも感じてしまっている。私は左手で持ったマイクに向かって必死に叫んでいる。足を動かす度、右側で一纏めにした髪が軽快に揺れては、観客で一層の騒ぎが起こる。名前が聞こえてくる。遠い、自分のものではないような名前がエコーする。届いてくる。私は嘘で塗り固めた詩に声を乗せて歌っている。そんな嘘に騙された観客が、握り拳を上に突き上げながら叫んでいる。――目の前の一人を除いて。
 観客の中でも一際大きく騒ぎ盛り立てている女の子の隣で、その人はじっと何かに耐え忍ぶように、あるいは頭を空っぽにしたように立っている。最前列の中心より少し左寄りの席に立つその人は、慢心でなければ自分を見上げていた。
 私はその人から目を逸らして、また何でもなかったように歌う。ライブが終わる。

 軽い気持ちで参加したバンドだった。
 大学で同じ講義を取っていたそれほど親しくもない友人に無理やり誘われたカラオケでのこと。そこに同席していたギタリストの男に誘われ始めた音楽だった。カラオケはそれほど嫌いではなく、むしろ好きな部類だったが、誰か他の人と行くことはほとんどなかった。カラオケにはたまに一人で行っていたが、多くは部屋で近所迷惑にならない程度に歌っていた。唄を歌うことは、時間をやり過ごす最も有効な手段だった。
 家から離れて二年。母が経営する翠屋を継ぐ意思は今のところない。自分がいなくとも自分よりも余程頼りになる兄や姉がいる。もっとも兄は仕事人間であるため、姉がおそらく継ぐのだろう。父は既に十四年前に他界している。
 ライブを終えて軽い打ち上げを済ませた後、部屋を出ようとすると背中に声がかかった。振り向けばギタリストの男が「お疲れ」と軽く手を上げている。男はそのまま近寄り肩を叩こうとするが、私はすっと身を引いた。男は肩を竦めたが、私は何も分からないようなふりをして、笑顔でかわす。男は諦めたように息を吐いた。
「お疲れさま」
 私は満面の笑みをその場で振りまいた。ギタリストの男はふっと視線を逸らし、その後ろにいたドラムの男はおう、とスティックを持ったままの手を上げた。使い込まれたスティックは、天井で点灯している光を浴びて鈍光りをしていた。私がその部屋を出ていこうとすると、やはりギタリストの男が引きとめた。
「どうした。疲れているようだけど、風邪か?」
「そんなことないよ」
「そうか。気をつけろよ、喉は大事だからな。お前の喉はお前の、そして俺達の宝物だから」
 それに呼応するように、ドラムの男がスティックをカチカチと鳴らせる。キーボードの男は無言でグラスを片手に酒をあおっていた。私はそんなメンバーの様子に苦笑し、先ほど男がしたように肩を竦めて見せる。ありがとう、と返すと、今度こそ私はその部屋を出る。胸やけがした。
 外に出ると、秋風が服の隙間から入りこんでくる。もうすぐ冬が来る。
 陽はすっかりと沈んでしまっていた。それどころかあと数時間ほどでまた昇ってくる時間である。時刻を確認し終え、携帯電話を上着のポケットに突っ込むと、ドアの方に人影が見えた。暗がりではあるが二人いるのが分かる。私は通り過ぎようとするが、ふとその中に見憶えのある顔があった。
 やたらと元気の良い女の子と、最前列の、右寄りの席にいた人だ。元気な子の方とは対照的に落ち着いた、というか。気力を削ぎ落としたような感じの人間だった。思わず興味を引かれたのは、果たしてなぜだろう。近付いて分かったが、その人は凄く綺麗であった。それは本当に息を呑むほどに綺麗な人だったのだ。暗がりでもわかる整った顔立ちは、腕のいい芸術家が彫刻刀で丁寧に石を削り、懸命に創り上げた一種の作品のようだった。石の彫刻に埋め込まれたアクアマリンの瞳が、ひっそりと暗闇の中で佇んでいる。澄んでいるわけではないが、彼女は緑がかった綺麗な藍の瞳をしていた。
「な、なのはさん」
 その人の隣にいた女の子が、両手をぎゅっと胸の前に持ってきて叫んだ。その子は綺麗というよりは、可愛らしい感じの女の子だった。
「あの、私なのはさんのファンで、その、憧れてて。いつもなのはさんの歌で元気をもらっているんです」
「ありがとう」
 十分に魅力的なその子に微笑みかける。
 これは私の悪い癖だ。気もないのにこうやって笑って、ほら、相手も顔を真っ赤にしてしまっている。ごめんね、と心の中でその子に謝罪すると、視線をちらと隣の子に向けた。
「名前は」
「スバル・ナカジマです」
「そっか。それで隣の子は、知り合いなのかな?」
「知り合いっていうか親友なんです、ティアは」
 その言葉に、隣の綺麗な少女の眉がしかめられたような気がした。
 その子――スバルと名乗った少女が、隣で無言を保つ人物に向けて「ね」と笑いかける。するとその人はスバルから顔を背けた。仲が良い……のではないのだろうか。あるいは照れ隠しか。どちらにせよ判断のつくものではなく、自分にとってどうでもいい事には違いない。
 歩こうか、と口にしたのは何となくであった。すぐ帰らなければいけない理由はないし、何より私が今日出会ったばかりのこの子と別れ難かったのかもしれない。
「なのはさんと話せるなんて、幸せだなあ」
 スバルが頬に両の手を当てながら嬉しそうに笑っている。今まで見てきたファンの子たちの中でも、可愛い部類に入るのではないだろうか、などとスバルの顔を見返すが、私の視線はすぐに元の場所に引き戻される。元の場所、つまりアクアマリンの宝石が埋め込まれた彫像のある方に。
 唇を結んだまま動かないその人の名前を、そう言えば私は知らない。どうでもいいといえばそうかもしれないが。
 街灯の明かりが白く彼女の髪を照らしている。元の色が何であるのかは判別しがたく、左右で二つに結われていることだけが判断できる。歩く度に髪が揺れて、真っ直ぐな毛先が淡く発光しているように見えたが、もちろんそれは幻覚だ。
 色とりどりのネオンが瞬く中を通り過ぎるのは仕方ないが、私は未だそれに慣れずにいる。出来るならば早く通り過ぎたい。
「ティアって言うの?」
 ほんの紛らわしに尋ねたつもりだった。
 先ほどスバルがそう彼女の名前を呼んだのを覚えていた私は、間断なく喋る短い髪の少女スバルに向くと、彼女は大きく頷く。
「はい、そうです。ティアって――」
「ティアナ・ランスターです」
 短い髪の少女の言葉を遮るように、今まで沈黙を守っていた彼女が言った。
 意志はどうやら強そうな子だった。ただスバルについて来ているだけかと思えば、そうでもないらしい。まだ何も分からないが、ほんの僅か、彼女の性格の一端を見た気がする。
「そっか」
 先ほどからずっと、彼女の細い髪が揺れていた。光の具合で銀色にも見える彼女の髪の毛は、本当は何色なのだろう。そんな淡い興味が湧く。
「綺麗な髪をしてるね」
「ありがとうございます。でも触らないでくださいね」
「もちろん分かってるよ。許可なしに触れたりなんてしないから」
「許可ですか。許可をすることはないと思いますよ」
「それは、……残念」
 眉間に皺を寄せたままのティアナ。私が冗談めかしで笑うと、隣を歩いていたスバルが短い髪の毛を手の平に乗せて言ってきた。
「あの、私のでよければどうぞ」
 苦笑。交わす意味もない。私は手の平に乗せられた髪の房ではなく、つむじの方から頭を数度撫でてやった。ティアナは興味を失ったように、視線を別のところに逃がしていた。私でもスバルでもない、どこか他の場所に。
 それから一際明るい通りを過ぎて、ティアナの髪の色が鮮やかな朱であることを知る。スバルとの何気ない会話の中で、ティアナが首を傾けた時に跳ねた髪は、本当に綺麗だった。

 その夜のことを、私はよく覚えている。
 言葉はなかった。衝動というのも違うだろう。きっとこういうことに思考は必要ないのだ。機会というしかない。それは避けることのできないイベントであった。理由などどうして見つけられよう。
 同じ性でありながら体を交える、というのが現実としてあるということを知らないわけではない。もう自分はそれなりの知識を持っていたし、そのことに顔を赤らめるほど少女でもない。だがどうでもいいと考えるほどくたびれても年をとってもいなかった。
 こういうことをしたのはこの日が初めてだった。なのに迷いが無かったのは全くもって不思議なことだった。初めては好きな相手と、なんて夢を見ていたわけではない。来る時がくればおのずと過ぎ去ることなのだ、と。しかしそれでもやはり震えはきて、嗚咽も零れてしまうと思っていたのに、実際にはそんなことはなかった。ごく平静にベッドに腰を下している。
 二人を目の前に立たせたまま、唇を歪める。目の前に差し出されたのはただの果実であるのだと納得させるべく、奥歯を噛んだ。踏み切れていない足を動かすために、俯いて、それから唇を噛む。血の味が躊躇していた足を動かした。それが前にであるか後ろにであるかは、もはやどうでもよかった。動きさえすればいいのである。
 私はスバルをはじめに抱いた。彼女の豊かな胸が、高い声と共に震えた。冬だというのに汗のかいた額に前髪が張り付いている。考えることは何もなかった。すぐに果てたスバルをベッドに寝かせ、私はティアナを手招く。スバルはしばらく目を覚ましそうにない。
 脱いでという言葉に大人しくティアナは従った。布の擦れる音。綺麗なティアナの裸体を鑑賞する自分。
 私は絨毯の上に座り、ティアナを抱き寄せる。唇を重ねると、先ほど噛んで傷ついた部分が痛かったが、気にするほどでもない。私はさらに深く唇を合わせる。端からこぼれた吐息は、はたして誰のものだっただろう。
 見知らぬ場所に心だけ投げられてしまったのか、私はどこか遠くに打ち上げられてしまったみたいだ。
 始まってしまえば止まらない。皆が夢中になるほど楽しいものではなかったけど、どうしてか止まらなかった。そういう矛盾をどうすればいいのか私にはまだ分からなかった。
 時計の針が進む。時を刻む音が、彼女の嬌声に混じって消えていく。朝が来る。

 水滴がどこかで落ちた。蛇口を捻りそこねていたのか、ぼんやりとした思考のまま水の滴る音を聞く。
 そっと開いた瞳が映すのは幻想、隣で眠るの人は夢幻――そんなことを願ったが、もちろんここは現実だった。ベッドから抜け出してシャツを羽織ると、手早く朝食を作り始めることにした。三人分だ。
 作り終えてもまだ脳は冷めず、鬱蒼としていた。私は曇る頭の中を覚ましたくて、冷たい水で顔を洗う。鏡に映った自分の顔は、普段と変わらぬもの。周りの人が綺麗だ、と。可愛い、と言ってくれる顔。特に変化もない己の顔を眺める。鏡に映っている人物こそが高町なのはだと私は信じるしかない。昔思い描いた姿で生きていなくても。
 部屋に戻れば、スバルが目を覚ましていた。笑顔を見せてやる。好意的に思われて損はない。スバルは起き抜けであるというのに、顔を赤く染め、おはようございますと言った。
「おはよう、その子はまだ起きないか」
「ティアは寝起きがあまり良くないんです。ほら起きてー」
 間延びした声をかけながら、スバルはゆさゆさと体を揺する。呻き声を漏らす少女の、朱の髪が視界に入る。私は極力そちらを見ないようにして、テーブルの上を乱雑に片してから食事を並べることにした。
 それから目を覚ましたティアナと、何が楽しいのかにこにこ顔のスバルを脇にして朝が始まる。
 だがそれは一日の始まりであるというだけで、関係の始まりを表したものではない。
 この関係は決して永続するものではなかった。一日だけの、それも玄関まで送っていけば終わりで、その一瞬後には見知らぬ他人に戻る。割り切れるかどうか不安もあったが、実際に背中を見送ってしまえば、呆気ないほどに終わった。関係が消化されていく。また変わらぬ日常が戻ってくる。
 でも。
「ああ、あのさ」
「はい?」
 扉を閉じかけたところで、呼び止めた少女が振り向く。
「連絡先、聞いてもいいかな」
 私は二人を見送った後すぐ部屋に戻り、ベッドに伏せた。脱力し、そうしてふとシーツに沁みた紅い斑点に気付く。時間の経過で黒くはなっていたが、それは血であった。
 私はティアナのものだと思った。スバルは胸や恥部を舐めるだけで簡単に達してしまい、指で貫くまでに至らなかったのだ。寝るとはとても言えない、ただ愛撫しただけ、抱き合うだけだった。しかしティアナとは違う。ティアナとの行為は、はっきりと寝たといえるものだった。通常の恋人同士がするように。
 ティアナの肢体はしなやかだった。指を滑らせればそれだけ反応を返した。それでいて彼女の表情には影がかかり、私の心の琴線を弾く。彼女が何度達しても、私は止まらなかった。冬なのに汗が頬を伝っていた。交わされる吐息が酷く熱くて。
 今、枕に顔を埋めながら私は考えをめぐらす。暗い観客席がざわめき立つ中でただ一人、不機嫌面をしていたティアナのこと。二つに結われた髪が解かれ、シーツに広がった時のこと。自身の胸が、どうしようもなくざわついていること。
 ティアナの顔を思い浮かべただけなのに、胸を全力で蹴り上げられるような痛みがある。たった一度の交わりと切り捨てることが出来ずにいる。きっと向こうにとっては、一夜の過ちでしかないだろうに。おそらく彼女は友人の戯れ遊びに付き合っただけなのだ。
 私は苦笑した。自身の感情に戸惑っている、自分に。だから気紛れと一笑して終わらせてしまう。もう出会うことのないその人の連絡先を聞いたのも、単なる気紛れでしかないのだと。
 ――ああ、あのさ。
 ――はい?
 ――連絡先、聞いてもいいかな。それとついでに……、ティアナも。
 自分の求めるものが何であるか分からないまま、くすむ秋空を見上げてみる。口からは知らず、昔の親友の名前が零れた。

  ◇ ◇ ◇

 砂糖を揺れる瑠璃色の液体にこぼした。スプーンで回せば、音もなく溶けながら揺れて回る。人差し指でガラスをピンとはじく。カランと鳴る音に、また一つ甘くなったことを知る。
 夕闇に街が包まれ明かりが点灯し始めると、昼間とは一転して落ち着いた雰囲気を纏う。ミッドチルダ東部12区内のパークロードにある喫茶店に私はいた。
 カップを口元に運び、黙想する。もう何杯目だろう。夕食どきで段々と混み始めた店の中で、穏やかに流れる背景音楽に目を伏せる。夕食どき、といっても家族のいない自分は時間を心配して帰ることもない。店員には多少煙たがれるかもしれないが、品を注文すれば自分も客である。文句などないはずだ。
 私はいつもこんな場所で一人時間を潰している。他の人から見れば勿体ないのだろうと思う。だが私には他にすることがない。スバルの休日がすべて私のために宛がわれるわけでもないし、であるならば部屋で寝ているか、こうしてお茶を飲んでいるかしかなかった。一つだけ、行く場所が無いわけでもなかったけれど、その場所にはここ半年ほど足を向けておらず、何となく行きづらかった。それに家にいればいつでもそれは出来る。
 と、テーブルの上に乗せた携帯電話ががたがたと震える。メールの着信は、つい先日まで名前も知らない、会ったこともない人からだった。相手を確認すると溜息が胸を押し上げてくる。
 その人と会った後、私は訳もなく陰鬱な気分になる。決して不快なことを言われるわけでもされるわけでもない。そうならば会うことを拒絶してしまえばいい。だがそうではなかった。
 高町なのはという人は、不思議な雰囲気を持っている。魅力といえば正確なのか、その人は、説明のつかない魅力で、他の人間を惹き付ける力を持っていた。スバルであれ、他の人間であれ、どこか彼女に引き寄せられてしまう。私のように。
 可愛らしい笑顔、強い力を宿した瞳。それから綺麗な声の、人。
 そうスバルから何度も彼女の話を聞かされていたけれど、その話から受けた印象のどれも違うような気がした。
 私の前で彼女は笑顔を溢さない。笑ったとしても、笑顔に見えない。綺麗で可愛らしい顔は、氷結させられたように冷たく私を見詰めている。それでいて群青の瞳からは、弱々しい光が数閃放たれるだけで、すぐに逸らされてしまう。玄関で私を迎えてくれる時も、無言で腕を引き寄せて抱き締めるだけ。私と彼女との間にそれ以外何もない。
 それでも拒めないのは、家族のいない自分をどんな形であれ見詰めてくれるからだ。
 まだ私が学校に通っていた頃のこと。親から受け継いだこの顔が、一般的に綺麗というだけで寄ってくる男の人は沢山いた。中学生だった。スタイルにも恵まれていたから、相手に不自由することはなかった。だが好きだと思っていても、最後までしようという気にはなれなかった。
 男の人といれば死んだ兄を思い出す。親しかった兄に頭を撫でられたことも、鮮明に。
 だからこそ比べてしまった。気持ちのこもっていない交際に、愛など見出せるはずもなく。そもそも相手はその行為が目的で近づいてきているのだ。出来ないと分かれば、他のより付き合いのいい女性に行ってしまう。
 そんなことを何度も繰り返してきたからか、友人はいなかった。スバルだけがよくしてくれた。でもそれだけ。スバルにとって私は大勢いる友人の一人にしか過ぎない。そもたまたま知り合っただけで、お互いいる環境は全く違う。家族に恵まれたスバルが心から自分を見つめてくれることはない。優しくしてくれる、親しみを込めて笑ってくれる。――でも、それだけ。
 だけれどもなのはさんは、何も見ていないようで自分のことを見てくれている。そのことが二度目の交わりの時にわかった。一度目とは違う、二人きりでする行為の端々で、彼女は私を見てくれていた。優しさや慈しみが見出せなかったとしても、十分だった。好きだなんて戯言を彼女に押しつける気もない。そもそも彼女に恋愛感情を抱いているかどうかすら怪しいが、それでもやはり彼女の持つ魅力には、抗う力を無効化してしまう作用が働いているように思う。
 ただこの髪に触れることはまだ許していない。髪に触れるということは私にとって特別な意味を孕む。兄が、お前の髪はいつも綺麗だな、と時折梳いてくれた髪。今でも手入れを欠かさないこの髪に触れることは、未だ誰にも許せていない。今まで付き合った男の人達や友人、スバルにもだ。
 私は喫茶店を出る。いくつかの店を通り過ぎ、ある場所でふと足を止める。ひっそりと流れてくる子守唄のような音色の出所を見上げれば、そこには古びたバー『Lullaby』があった。久しくここにも来ていないな、と暫しのあいだ想起を巡らしたが、結局は首を振るだけにとどめる。
 私は足を踏み入れることなく、再び歩きだした。私は無言で彼女の部屋に向かう。それ以上の目的など今はなかった。己の心に広がるのは、ただ平坦で、何も無い平原だった。
 陽は沈み、空には白い月が掛かる。美しく淡い月の光が胸に注がれていく。空っぽの胸に注がれて、そして何所にも引っ掛かることなくすり抜けていく。その度に私はひどく悲しくなった。
 今日もまた、なのはさんの部屋で自身を意識的に無防備に曝け出す。受け止めてくれることの心地良さに酔いながら。なのはさんの胸の中で、砂糖が溶けていく時のように揺れる。そうしてゆっくりと時間が流れていく。

  ◇ ◇ ◇

 インターホンが鳴らされ、玄関でティアナを迎える。
 一度きりと決めた逢瀬は、週に三度交わされるほど頻繁なものになっていた。誘うのは勿論こちらからで、相手は無言でインターホンを鳴らすだけ。心が自分に向けられているとは思わなかったが、それでいい気もした。永遠に続く関係などない。永遠なんてないから。変わっていくのなら私は今だけティアナと居てもいいと思った。
 だから決して何かに抗いたかったわけじゃない。
「ティアナ」
 噛み締めるように名前を呼んだ。私にとって名前を呼ぶことは、とても意味のあることだから。
 私は手にしていた土産に気づいても構わずに彼女を抱き寄せた。鍵をかけると私は性急なまでに強く唇を押しつけ、深い口付けを交わす。零れそうになる唾液も啜る。そして行為の終わりには、自身の唾液を彼女の口腔に流し込み、嚥下させる。顔を離すと、彼女の喉がこくりと上下したのが見てとれた。
 ティアナは綺麗だ。陽の下にいれば花よりも可憐だろうし、暗闇の中に佇んでいれば、宵に浮かぶ白い月さえ引きずりこんでしまう。華やいでいるわけではないが、彼女には閑寂とした端麗さが備わっているように見える。
 つまり彼女はずば抜けた美人なのである。
 私は彼女の容姿が好きだった。曖昧な内側よりも外側に見える明確なものの方が、私は信用できた。結局のところ他人が何を考えていようと、そしてそれをどれだけ詳しく説明しようとも、共有したり理解したりすることなどはできやしない。もしそう感じたならそれは錯覚だ。自分のことなど案外知らないものだし、それを伝えようとしたところで見当はずれの場所を掠るようなものなのだ。
 だから私は誰かに自分の事を理解してもらおうだなんて期待はしていないし、思ってもいない。
 もちろん昔からこうだったわけじゃない。子供の頃にはそれなりに真っ直ぐな気持ちで人と向き合っていたような気もする。その相手がごく少数だったにせよ、たしかにそういう人がいた。でも昔のことだ。今は違う。
「なのはさんはきっと、誰のことも見ていないんでしょうね」
 ティアナがぼんやりと呟いた。私はそんなことないよ、と返す。
「たしかに皆というわけじゃないけど、ティアナが私の胸にいるってことくらいならなんとか見えてるよ」
 彼女は息を整える。額を肩に乗せていて表情は見えない。
「たまに分からなくなるんです。なのはさんといると、どんどん分からなくなっていくんです」
 何がとは訊かなかった。眉を落とし、少し悲しんで見せた。
「それは私の事が嫌いだってこと?」
「そうじゃなくて、」と言葉をそこで詰める。
 私は彼女の背中に腕を回し、静かに撫でてやる。
「分からなくなってしまうんです。あたしの中はからっぽ、ですから」
 確かにそう感じることはある。彼女の瞳の奥は驚くほど澄んでいて、だというのに何も見えない。ティアナを見ていると、背を追っているうちに見失ってしまうくらい長い距離を歩いても辿り着けない、広大な平地の上に立っているような気分になる。
 自分だって感じる。ティアナと居る時だけじゃない。ここに生きている人間が本当に高町なのはなのか、信じられなくなることがある。鏡を見て自分だと認識しても、たまに朧げになるくらい。ただ彼女と違ったのは、それで不安にはならないということ。私は今みたいに誰かに寄りかかって瞳を揺らしたりしない。頼る人もいなかった。
 私とティアナはお互いに、いつできたのか分からないような傷を舐め合っているだけにすぎないのだろう。そこに恋愛感情を持ち込むのは、ただの逃げだ。恋という感情は綺麗だから、きっと誤魔化したいんだ。誰だって瘡蓋を無理やり剥がされるのは痛いから。
 ティアナの催促を受けて、私は再び唇を重ねる。左手で耳に触れながらキスを深めていった。
「ねえ、ティアナの髪に触れてもいい?」
 耳の柔らかい部分を指先で弄りながら言った。
 今まで何となく撫でられずにいたティアナの髪に視線をやりながら尋ねたが、返ってくる言葉は何となく予想できていた。
「それは、駄目です」
「うん」
「ごめんなさい」
「大丈夫。だからそんな顔しないでほしいな。むしろ私がごめんと言わなきゃ。あとね、ティアナの好きな部分は他にもたくさんあるから、私は満足してるよ。例えばこの指が、ピアニストの指みたいに凄く綺麗で好きだよ」
 私は手を取り、彼女の指に唇を当てる。瞼を落とす彼女に向けて微笑んだ。弱々しい微笑みだったから、彼女を安心させられていたかは分からないけど。
 私は頭を撫でる代わりに、今度は互いの指を絡めた。私は顎に指をかけて顔を上げさせ、ティアナの冷えた唇にそっとキスをする。気付いてくれなくてもいい。数秒だけのそれは、私なりにただ、先程のものとは少しだけ違う意味を含めたキスだった。


 ⇒2.名もなき詩人2

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魔法少女リリカルなのは二次創作物、主に小説を扱っています。
このブログ内で使用している文及び画像の転載は、例外なくご遠慮下さい。

◇小説の傾向
なのはが絡んでいる百合、修羅場が多め。
なのはさんをめためたに愛し、いじめていきます。

◇リンクについて
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