その境界線は。
空を駆け抜ける無口な星に、あの人を見た。
追憶の色に埋もれて third
2008年 05月 28日 (水)
『追憶の色に埋もれて』三話。
the second volumeの続きです。
今回は少し短め。
ヴィータがちょっとずつ……、そしてなのはがティアナに尋ねる。

よろしければ続きよりどうぞ。



 追憶の色に埋もれて  the third volume


 辺りを暗い闇が包んでいる。日没はとうに過ぎた。私はモニターで操作し、樹の幹にライトを灯す。仄かな明かりが生まれ、桜が白く発光した。
 これらの装置は、あらかじめはやてちゃんが三日後のために用意していたものだ。八神家のみんなは夜桜まで楽しむ予定を立てている。私たちがそれを使う予定はなかったけれど、こうなってみればありがたかった。気の利くはやてちゃんのことだ、もしかしたらそこまで考えた上で設置していたのかもしれないが、予想の域を出ることはない。それに都合よすぎる考えでもあった。
 スバルもヴィヴィオも、一向に目を覚ます気配がなかった。もう二時間は眠っている。冷たい風が吹き始めたので、私とティアナは二人にタオルケットをかけてやった。その中で私は、今朝ヴィータちゃんと交わした言葉を思いだしていた。
 食卓についた彼女は、私の用意したご飯と味噌汁、それにたくあんを、いそいそと口の中に放っていた。高町の家では朝はいつも洋食だったが、ヴィータちゃんの好みも考え、和食と洋食を一日ごとに作ることにしていた。
 私は、夜までには帰ってくるよと確かそう言った。夜桜を楽しむつもりはなく、日が暮れるまでには戻ろうと考えていた。
「じゃああたしの方が帰るのが遅くなるかもな。もし早かったら夕食は作らなくてもいいよ、疲れてるだろうし、適当に食べるからさ」
「ううん、作るよ。ヴィータちゃんは私の旦那さんだもん」
「ばっ、お前……だって、あたしたちはまだ結婚してないだろ」
 私は浮かれていたのかもしれない。「まだ?」と口元に薄ら笑みを浮かべて顔を覗き込んだ。深紅の髪よりは淡く、しかし白い肌よりはずっと濃く赤く染まっていく彼女の顔は、どんなものよりも可愛らしく、胸をくすぐった。
「し、真剣に考えてはいるぞ。いつまでも曖昧なままでいるわけにはいかないし、はやてもたまに言ってきてるから」
「本人の気持ちが知りたいな。ヴィータちゃんの心は、どんな形をしてる?」
 私が真摯な顔を作り詰め寄ると、彼女は逸らしていた眼を一度だけこちらに向け、また逸らした。
「……お前を一人になんて出来るか、ばか。ってことだよ」
 彼女の言葉を聞くと私は椅子を弾くよう勢いよく飛びあがり、可愛すぎる恋人を背中から抱き締めた。痛いと言われてようが放す気にはなれなかった。幾ら力を入れても足りない気がしたのだ。ヴィータちゃんと離れたくない、と激しく感じた。
「なのはは寂しがり屋のくせに、一人でも平気なんだからな。聞きわけのいい子供みたいな大人なんだ。なのにそのことに誰も気付かない、放っておけるわけないだろ」
 ありがとう、と私は言う。でも、と付け加える。
「それって義務感から?」
「ほんっと、お前は遠まわしな告白が通じないやつだよな。鈍いわけじゃないのに、いい加減呆れるのにも慣れてきたぞ」
「真っ直ぐな言葉が聞きたいんだよ。その方がずっと胸に響いてくるから」
 彼女は胸を大きく上下させ、息を吐いた。小さな彼女の胸を包んでいた自身の腕によく伝わった。本当は言葉を聞かなくても、したたかに打つ鼓動で伝わってきていたけれど、私はやっぱりヴィータちゃんのその言葉が聞きたかった。
 願い通り、ヴィータちゃんは腕を解いた後で静かに私に向き合い、好きだと告げてくれたのだ。
 私はそんなやり取りを朝、交わしてきたばかりだった。
 ――最低だな。
 目の前に落ちてきた桜を、掌に乗せる。指に力を加えて擦り合わせると、花弁は造作もなく潰れ、汁が滲み出た。汚い色が掌の中に広がった。その手は先ほどまでヴィヴィオの髪を梳いていた方の手だった。
 桜の枝越しに空を見上げる。黄昏時を過ぎた空は、赤から黒に変わっていた。それからティアナの方を向く。淡麗な顔に憂いを添えたティアナの方を。
 ティアナは無言で目を閉じていた。私の言葉を否定せず、何かの宣託を待つように瞼を伏せている。
 求めてくれる人を、私は拒絶できない。その強さを持たない。
 誰か一人を選び、他の誰かを傷つけることに脅えている。何より私自身が二人共と一緒に居たいと望んでいた。これが最低でなければなんだというのか。だけど私には選ぶことはできなくなっていた。ティアナと再会しなければ生まれなかった気持ちは、もう消えなかった。
 ティアナが引かない限り、私はティアナと一緒にいたいと思ってしまった。こんな自分にティアナの方から愛想をつかせるまでは、ずっと。
「ねえ、一緒に住もうか?」
 だからそう提案した。
「受けてくれるなら、ヴィータちゃんに言うよ。ヴィータちゃんと私とヴィヴィオとそしてティアナとで一緒に暮らそうって。ティアナが嫌じゃなければそうしたい」
 私がお願いすれば、ヴィータちゃんは必ず断らないと知った上でそうするのだ。だからこれは卑怯なこと。傲慢な我が侭。
 ただそれでも断られて、家を出て行かれても仕方がないことだと思っていた。ヴィータちゃんだって私のすべてを受け入れるわけではない。全部を投げだしてでも愛してくれているという自信も、また愛するという自信もなかった。
 だから願いを受け入れられなくとも、私は仕方ないと諦められるだろう。外的には大したダメージもなく。その時はティアナとヴィヴィオと三人で暮らせばいい。ティアナにも愛想を尽かされたら……ヴィヴィオと二人で。そして一人で。
 ――こんな自分だから、ヴィータちゃんは私を一人にしないでいてくれるのだろうか。
 一緒に住んでほしい、と私は繰り返して言った。
「ティアナの事が嫌いじゃない。むしろ好きだから、ティアナが私を求めてくれるなら一緒にいたいと思うよ、だから」
「そんなの嫌ですよ」
 ティアナが言った。そして小さくかぶりを振り、諦めたように付け加えた。「そう、以前だったら断わっていたでしょうね」
「ティアナ」
 口を動かし息を吐くと、闇がかきまぜられたように見えた。しかし錯覚だろう。闇は変わらずにそこにあった。その闇の片隅で、申し訳程度に白い光が落ちる薄紅色の桜を照らし出している。
「なのはさんと一緒にいたい」
 言うティアナの声は、微かに震えていた。自分たちを取り囲む闇の中で、しかし震えながらも悠然と前を見据えていた。舞う桜のような潔さを、私は何故か感じた。
「三年前、機動六課解散の前夜には、一番じゃなければ意味がないと思っていました。好きだけど、相手も自分の事を本当に好きでいてくれて、受け入れてくれなければ幸せになんてなれないし、ただ辛いだけだと。でも違った。離れてからそれがよくわかった。“あたしは別に一番じゃなくてもなのはさんがいれば幸せになれる”んです。何故なら、なのはさんの存在があたしを幸せにしてくれるから。なら、あたしがなのはさんの提案を受けないはずがありません」
「……どうしてティアナは、そんなに私の事を好きでいてくれるんだろう」
 それはずっと私の中にある一つの疑問だった。
 私たちがまだ機動六課にいた頃、ホテルの警備から模擬戦までの一連の出来事の後では、ティアナの態度は全く違うものになっていた。素直になった。真っ直ぐな視線で私を見つめてくれるようになった。強くあろうという意志が、以前は兄の魔法を肯定するためだけのものだったのに、それ以降、私の教え子として誇れるようにというものになっていた。全部ではないにしろ。
 ――なのはさんの教え子として胸を張るために!
 そう叫んでくれた。ティアナの言葉を聞いたとき、強烈な歓喜に襲われた。
 だけど私は分からなかった。ずっと、そこまで真っ直ぐな思いを向けられるほどの人間だろうか、と悩んだこともあった。だがまさかフェイトちゃんやはやてちゃんに言うわけにもいかなかった。アリサちゃんやすずかちゃんなら、あるいは相談することができただろう。二人には不思議と愚痴じみたことも言えた。二人は私が家族以外で、最も心を許せる相手だった。フェイトちゃんとはやてちゃんがそうではないというのではなく、どこかで二人は特別だったのだ。
 そうやって相談する相手もいないまま、日々が過ぎた。いつしか疑問は頭の中で薄らいでいき、溶けて行った。しかし残滓はそのまま脳の中にあった。いま再び寄せ集められ、疑問という形に成ったのだ。
 ティアナが自分のことを好きでいてくれる理由があるとすれば、それは何なんだろう? 好きな理由を問うほど馬鹿げたことはないだろうけど、考えないわけにはいかなかった。
「簡単ではない問いですね、それは」
「そうだね。でも私には何も分からないから、出来れば教えてくれると、ティアナの事をもっとよく知れると思う」
「……簡単なことですよ。ただそれをなのはさんに伝えるのが、簡単ではないんです。自分の中では単純な答えがでているけど、なのはさんに説明しようとするとたちまち混乱し、真っ白になって、言葉が埋もれていくから。伝えられるまでになるには時間が必要でした」
 その時間が、今は経ったということなのかもしれない。ティアナが私を真っ直ぐな視線で見つめている。話してくれるのだと目がいっている。私の愚かな問いに、ティアナは丁寧に答えようとしてくれていた。
 「初めは疎ましく感じていました」、とティアナはやがて話し始める。


 ⇒the fourth volume (四話)

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