空を駆け抜ける無口な星に、あの人を見た。
2008年
05月
31日
(土)
追憶の色に埋もれて the fifth volume
――本当は、スバルはなのはさんの事が好きだったんです。
ティアナが帰り道でそう話してくれた。
「花見の席でスバルと揉めていたのもなのはさんの隣にどちらが座るかだったし、スバルがおかずを食べさせてもらった時だって、羨ましくて、つい自分もって言ってしまったんです。スバルの気持ちを知っていたから。六課の時からスバルはなのはさんの事を好きで、そして私はなのはさんが好き。そのことをお互いに分かっていたんです。なのにあたしは最後の夜で抜けがけをした」
私はあのあと、急いでティアナを探した。
スバルが電車の中に乗り込み発車を見送ると、すぐさま荷物を掴み、ティアナのあとを追った。ティアナはヴィヴィオを抱えている、決して自分の部屋に帰ったわけではないだろう。どこかで待ってくれているのだ。どこかで、きっと。……どこかに。
確信を持ちながら、しかしそれは希望に近かった。急く足が止まらない。
――ヴィヴィオを起こした後で、去っていくこともできるのだ。
駅の階段を駆け下りて入口に向かった。大きな駅だったけれど道なりが整然されていて、人混みの中からもどうにかティアナの姿を見つけることができた。表情からは何も感じることができず、私はとりあえず切らせた息をどうにか落ち付けた。
「ティアナ、よかった」
「……このくらいで、逃げません」
ただ見ているのは辛かった、と彼女は言った。あのまま見ていると、そのうち引き剥がしたかもしれない、と。
「ふふ、おかしいですね。これから決めようとしているのは、なのはさんをヴィータさんと二人で共有することなのに」
私は答えなかった。
ヴィヴィオはまだ、ティアナの腕の中で眠っていた。不安になるくらい深く眠り込んでいる。
それ以上、どうして先に行ったのかティアナに追及はしなかった。たぶん私が悪いのだろう。スバルが泣いたのも、ティアナが悲しそうに瞼を伏せているのも、全部私のせいに違いない。他の理由など見当もつかなかった。
「ここでなのはさんを待ちながら考えていました。なのはさんはあたしが好きだと言ったから、受け入れてくれたんじゃないかって。なのはさんは優しいから断れなくて、好きだと思いこもうとしたんじゃないかって。スバルがなのはさんに好きだって先に言っていたら、なのはさんはスバルの方を選んだかもしれない。あの夜、なのはさんの部屋に行ったのがスバルだったら、今なのはさんの隣でヴィヴィオを抱いているのはスバルだったかもしれない。あたしは人前であんな風に泣いたりはしないだろうけど、一人になってから沢山泣くかもしれない。そのことを、なのはさんは否定してくれますか?」
否定?
危うく声に出そうになって、慌てて押し止めた。
否定――出来るのだろうか、私が。自信がなかった。今ティアナのことを好きだというのは確かなことだったが、仮定を否定することは無理なような気がした。私はもしかして、スバルを受け入れてしまうかもしれない。
だけど私は否定した。人前で泣かないといった彼女が、声もあげず涙だけをこぼして泣いている。それなら私の心などどうでもいい気がした。いや、どうでもいいのだろう、実際に。
「違うよ、ティアナ」
私はどれだけ悲しませてしまったのだろう。長い時間ではなかったかもしれない。でも、ティアナがここで考えていたことは、ティアナを苦しめた。私はやっぱり、スバルを抱き締めるべきではなかった。私が腕に包めるものは、そう多くはないのだ。
現に今だって、ティアナを抱き締めることができない。泣いているスバルを腕に包めても、目の前の大切なこの子に抱擁一つしてやれない。
「例えティアナがスバルを出し抜いたと思っていても」
ヴィヴィオはティアナの腕の中で眠っている。私も両手に提げた荷物を預ける相手が見つからない。私の手は空かず、ティアナに触れられない。
「それでもティアナを選んだのは私だよ。想いを告げてくれたティアナのことを、私はちゃんと……好きだよ」
「はい」
「……帰ろうか」
自身の口からそれ以上の言葉が紡がれることはなかった。ティアナももう何も言わなかった。
手を繋がないまま暮れきった道を歩いていく。私たちはやがて家路につく。家ではヴィータちゃんが待っている。
玄関の前に着くと、見計らったようにヴィヴィオが目を覚ました。ティアナの腕から降りると、辺りを十分に見回したあとで真っ暗な事に驚きの声をあげた。ヴィヴィオの声が大きかったためか足音か、扉が開かれる。それも勢いよく。家の主、ヴィータちゃんは紅い髪を揺らし、おかえり、と声を詰まらせ気味に叫んだ。
待ちわびたように聞こえてしまったのは、きっと私の頭が都合のよい解釈をしている所為だ。奥の方から香ってくる良い匂いも、きっと一人分のはずなのだ。ヴィータちゃんにはありえないことを、私は望んだ。
だけどテーブルには三人分がきちんと並べてあった。ボールの中のサラダは水気が薄れ、乾いていた。もうずいぶん前に皿に乗せられたものだろう。ハンバーグもあった。
冷めても匂ってくる美味しそうな料理の香りが、鼻ではなく胸に沁みた。
自身の服を握りヴィータちゃんに向いた。おかえりと言ったきり、ヴィータちゃんは言葉を口にしなかった。てっきり色々聞いてくるかと思ったのに、入れよと付け加えた後はまったくこちらを見なかった。目をこするヴィヴィオを部屋に連れて行って戻ると、黙ったままソファに腰かけた。
何も気付いていないとは思わない。敏いヴィータちゃんの事だ、私とティアナの間にある異様な雰囲気をつかんでいるのかもしれない。
推測はヴィータちゃんの言葉で確信に変わった。
「言いたいことがあるんだろ。そんで、こんなにまで遅くなった訳が」
心臓が微かに波打つ。
「あたしは馬鹿じゃない。だからティアナがここに遊びにきたんじゃないってことくらい分かる」
おまえは、とヴィータちゃんが言う。
「そいつを選ぶんだろ」
違うと叫ぼうとして、喉が締め付けられていることに気付いた。見えない力が締め付けていて、私は声が出せない。その力の正体は、おそらく私の中にあるものだ。
違う? 違わない。ティアナを私は選んだのだ。正確には違ったが事実だった。否定してはいけない。
「ティアナがなのはを好きだってのは六課の時からわかりすぎるぐらい分かってたさ。きっとあたしだけじゃなく周りの人もな。だからティアナの方は不思議じゃない。でもお前は、あたしのことを好きでいてくれたんじゃなかったのか? 今朝、あんな会話を交わしたのも、適当な戯れだったってことか」
「それは……違う」
細い声が漏れた。自分の声かと間違うくらい、だが確かに自分の声だ。ヴィータちゃんの言葉をどうにかして止めたくて、でもその言葉を吐き出させているのは自分だと知って、こうして拳を握っているだけの情けない姿をさらしている。
「ああ、でも馬鹿だなあたしは。なのはを待って夕食までつくってさ、こういう時のためにはやてに教わって。馬鹿みてーじゃねーか」
「ヴィータちゃん、これ私のために?」
テーブルに並べられた食器に視線をやり、ヴィータちゃんを見る。彼女は大きく息を吐き出してから、親が子に言うように放った。
「今更ついでなんて言い訳はしない。出来ないだろ、なのはに」
そうだね、と私は苦笑した。意地っ張りのヴィータちゃんが自分の思いを素直に表現しようと努力してくれていることは、今までの生活で十分すぎるほど伝わってきていた。鈍感な私にもわかるようにヴィータちゃんは必死に――、なのに私は彼女の想いを裏切っているのか。無駄にしようとしてるのだろうか?
そんなことはない、絶対に。
「お願いがあるの」
私が言うとヴィータちゃんは唇の片端を持ち上げ、「なのはのことだから、きっとずるいお願いなんだろうな」と寂しく笑った。
ゆったりとした時間がたゆたっていた。
月は雲隠れし、姿を消している。人工光だけが頼りのこの部屋の中で、随分と長い間沈黙を保っているような気がする。せめてヴィヴィオは部屋で安らかに眠ってくれているといいのだけど。
私は今も舞い落ちているだろう桜のことを考えた。白い花びらが柔らかな地面に降ってくる様子は羽にも見える。自分が空を飛ぶときに舞う、あの薄紅色の羽毛のように。
――酷いお願いをしているという事は十重に理解していた。想像したとおり、ヴィータちゃんは顔を歪めている。答えたくないというように。それでも私は言葉を紡いだ。
「ヴィータちゃんが好きだよ」
でも、とティアナの手を引く。
「ティアナも好きなの。だから一緒にいたい。ヴィータちゃんとティアナとヴィヴィオの四人で暮らしたいんだ」
そして私はティアナの手を離す。
ごめんね、と口の中で唱えた。謝罪の言葉は不適切で失礼だった。だから私は心の中で呟くだけ呟いて胸の中に収める。握り締めて弾けさせてしまう。
それ以上の言葉は何もなかった。ティアナが受け入れてくれて私が決意して、あとはヴィータちゃんの気持ちだけだった。断られたらどうしようという不安があったけれど、彼女はきっと頷くだろう。
だからする、ひどくてずるいお願い。
「あたしはなのはのお願いを、一度だって断れたためしがない」
分かっている。だから必要がない限り私はお願いなんてしない。
誰か他の人、自分ではどうしようもなくなったことならともかく、自分のためにするお願いなど絶対にしなかった。私がしたのはじゃれつきながら、ほんの戯れ程度に頭を撫でたりヴィータちゃんが眠っているベッドに潜り込んでみたりだ。それだって本気で嫌がっている様子をわずかにでも捉えたならばすぐにやめた。実際には彼女が本気で抵抗したことなんて一度もなかったけれど。
しかし、だからこそ。
「なあ、分かっているんだろう。なのははそれをきっちりと分かった上で頼んできているんだよな」
私は首を縦に振ることで肯定する。首を持ち上げた後ではヴィータちゃんの蒼い瞳をじっと見つめた。私には他に言うべき言葉も見るべきものもなかった。ヴィータちゃんの力ない溜息が二人の間に流れる。
ヴィータちゃんは踵を返して扉に向かった。
「……少し。はやてのところに三日帰るよ。お前の言うことは受け入れる、だから時間がほしい」
「ヴィータちゃん」
「三日で戻るから、それまで」
返事を聞かないまま彼女はそう言って家を出るが、私はすぐに追いかけた。春の夜は寒く、凍えるようであった。彼女が震えているのはそのせいなのだと言い聞かせ、私は彼女の背中から腕を回して抱き締める。
本当に震えているのはどちらだったのだろう。
「ごめんな、あたしは独占欲が弱くないんだ。それにこんな頼みごとを聞いてやるなんて普通じゃない。でもなのはから離れる勇気もなくて、それに護るなら近くに居て、体だけじゃなく心も護りたい。たとえ一人じゃなくティアナがいるとしてもな」
「うん」
「お前すぐ無茶するから。止められるのはあたしだけだろ?」
「うん」
「それにティアナを好きになったのは悲しいけど、でもあたしのことを好きなままでいてくれたことが嬉しい」
回した腕にヴィータちゃんの手が添えられる。自分よりもずっと暖かい手だった。
「好きなんだ、なのは。一緒にいたい。そのために頭を冷やしてくるから、そしたらまた一緒に暮らそうな……みんなでさ」
「うん、うん……っ」
私はいっそう胸の前に回した腕に力を込めた。
しばらくの時間が経ち、ヴィータちゃんは出て行ってしまった。彼女を失って冷えた手を私は眺めてみる。もしかしたら自分は間違った道を選んでしまったような気がする。風は冷たくて桜が吹いているわけでもなくて、あるのはただ月のない黒い夜空だけだ。
彼女は三日で戻るといった。だけどヴィータちゃんが帰ってくる保障なんてどこにもありはしないのだ。
いつの間にか正面にティアナが立ちつくしていた。冷えた手が包みこまれる。私の手を包む人は皆、私よりも暖かな手をしていた。自分の手はどうしてこんなにも冷たいのか。
「ヴィータちゃん、もう帰ってきてくれないかもしれない」
「……なのはさんは」
私はヴィータちゃんが立ち去った道をじっと見つめていた。しばらく誰も通ることのない道だというのにどこかで期待している、ヴィータちゃんが、よお、と不機嫌そうな顔でやってくることを。でもそんな期待は本当はなかったのだ。有り得ない。だってヴィータちゃんは言っていた。
三日、と。
「なのはさんはわかっているんでしょう。ヴィータさんがなのはさんの元に帰るということを、十分に知っているはずです」
「よく、知っているんだね。私よりも私のことを知っているみたい」
「なのはさんは自分のことあまり見ていませんし、それに私やヴィータさんは、きっとあなたがあなた自身を見るよりはよく見ていると思いますよ」
たぶん、そうなんだろう。
三日が経たなければヴィータちゃんは戻らない。三日が経てばまたヴィータちゃんが戻ってきて、その扉を開けてくれると信じていた。
ティアナを振り向けば、彼女は優しく笑っていた。傷付けてしまったかと懸念したが不要な心配だった。私はそのことにこっそりと胸を撫でおろすと、ティアナの手を引いて寝室に向かった。ヴィータちゃんと私が普段眠る部屋ではない、以前まで私一人が寝ていた部屋にだ。
ヴィヴィオが眠るのはヴィータちゃんの部屋、だからここには私とティアナだけがいる。
元々、ヴィヴィオと二人で寝る予定のベッドであったから狭くはない。むしろ今眠っている方が狭いともいえるが、その方が密着する口実ができたため特に文句を言ったことはなかった。ヴィータちゃんもそう考えてくれていた、というのはさすがに自惚れすぎだろう。
この家を建てたとき、私たちは別々の部屋で眠ることになっていた。ヴィータちゃんが部屋割りを決める際に「寝るのは別々だ」と頑なに主張したのである。どうしてそんなに嫌がるのか私にはわからなかったし、折角一緒に住むんだから別にいいんじゃないかとも思ったが、かといって押しつける気もなかった。
だけど私はどうしてもヴィータちゃんと一緒に眠りたくて、夜になると枕を抱えてベッドに潜り込んだ。初めの一週間くらいは一人で部屋に忍び込んでいたが、のちにヴィヴィオに気付かれて一緒に眠るようになった。二人よりも三人の方が暖かかった。
部屋を訪れると、またかよ、と呆れながらも場所を空けてくれるヴィータちゃんに私は甘えていた。いい顔はされなかったが、拒絶もなかった。ヴィータちゃんはいつだって私のことを拒絶したことがない。
「ヴィータちゃん」
「寄るなよ、冷たいんだから」
「あたたかいね」
「お前の体はいつも冷たいよ」
「だからヴィータちゃんを抱き締めると凄く気持ちいい」
「体温が奪われてるからな」
「えへへ」
「なんだ、随分と幸せそうな顔してんのな」
「ヴィータちゃんは幸せじゃないの?」
私が一方的に抱きついた格好で、そう彼女に問う。ずるい質問にも彼女は律義に答えてくれるから。優しすぎるから。
「……幸せだよ」
高町家ではそのうちに三人で寝ることが自然になった。
そして今、部屋にいる。もともとの私とヴィヴィオの寝室に、ティアナと二人でいる。
暗かった室内に明かりを灯すと、部屋が光に溢れた。窓から飛び出していくのではないかというほどに眩しい。私は一つだけ明かりを消した。それでもまだ明るいが仄かな暗さも宿った。これくらいでいい。私たちにはちょうどいい。
私は几帳面に整えられ、清潔に保たれたベッドに腰掛ける。でも整えたのは私ではない、ヴィータちゃんによるものだった。生活感の薄い部屋の隅に配置されたベッド、かけられた白いシーツが逆に艶めかしく感じられた。
この部屋で今からすべきことが何かは決まり切っていた。未だ躊躇いがないとは言わない。闇の中、ヴィータちゃんの遠ざかる背を浮かべると胸がきりりと痛む。痛みは全身をそこに縛り付け、動けなくさせる。後押しが必要だった。
――愛してる。
呪文のように呟く。自分自身を騙す呪文だった。
言葉自体に意味はない。今はティアナを抱き締めることが重要だった。何故なら辛いのは私ではなく、私の好きな人たちだから。
立ちつくすティアナの手の平に触れてみる。表情を見るのが怖くて、彼女の手をじっと見ていた。でも当然ながらそこには何も浮かんではこない。細く長い指は所々訓練により酷使された跡が見られて、機動六課にいた時もこの子は人一倍努力を欠かさなかったと思い返す。
懸命な顔つきで挑んできたティアナはどんな星よりも輝いていた。スバルとティアナと、ヴィータちゃん。スターズ分隊は誰もかれも真っ直ぐに突き進んでいたのだ、と私はどこか懐かしい気持ちでティアナの手を眺めていた。
「今は、ティアナだけの私だから」
私が言った。ティアナの手がぴくりと反応する。
数秒間の沈黙の後、ティアナがぽつりと呟く。
「好き、ですか?」
「え?」
「あたしの事、好きですか」
「うん」
「ヴィータさんのことは」
言ってもいいものか、私は少し迷ってから頷いた。
「じゃあそんなこと言っては駄目です」
たとえ今だけでも。
ティアナは私の両手から手を引き抜く。
「駄目なんですよ。あたしはなのはさんに、そんな風に自分の気持ちを押し付けさせたくないんです」
でもどうしようもないんだよ、と言いたかった。そうするしかできないのだと。しかし私は言える立場になかった。
「今日、あなたをもらいます」
ティアナは鋭く光る瞳を私に突きさす。逃げるつもりなんて全くなかったけれど、躊躇いを見抜かれていたのかもしれない。彼女にそれから肩を掴まれるが、痛みはなかった。掴むというよりは添えているだけの力しかかかっていない。どうしてだろう、もっと強く掴んでもいいのに。その方がむしろ嬉しかった。
ティアナは肩に手を添えたままの恰好でいた。それ以上近づきも離れもしない、微妙な位置だ。
「でも、もちろんなのはさんを苦しめたいわけじゃないし、ヴィータさんを想い続けるなのはさんを抱くのはあたしだって辛い。比べられるのは避けられないとしても、今のままじゃなのはさんは絶対、あたしの後ろにヴィータさんを見る」
見ないわけにはいかないだろう。
私はティアナと抱き合うところを想像した。苦しく喘ぎながらもお互いの体を寄せ合うのだろうか。私はティアナの身体をじっくりと見たことがないし、自分にはそういう想像力が欠けていた。だけどそういった場面を今は描けた。いい筆と画板が目の前にあった。二人きりの空間とティアナの言葉。腕が悪くても、描いたものが何かくらいは分かるはずだ。気分はすでに盛りたてられている。
触れていた手の柔らかさや温かみ。赤いスカートから伸びた足が部屋の仄かな発光を受けて艶めかしいものとしてある。健康的な足なのに、ちょっと動いただけで否応に色香が漂ってくる。
いい香りがした。何か特別な香水をつけているのかもしれない。彼女の奥に隠された一滴の香りを私は無意識のうちに嗅ぐ。鼻の奥ではなく、脳で嗅いでいるようだった。
このまま衝動的に抱いてしまってもいいのではないかと思う。この部屋に二人で来た、その意味を考えるとティアナも望んでいるのだろう。迷うことなどないはずだった。ただ先ほどの言葉を浮かべ、身体の擦れ合いはときに心の擦り合いよりも傷をつけることがあるということを考慮すると、どうしても彼女に触れることができなかった。
「私はどうすればいいのかな。どうしたらティアナがそんな顔をしないですむんだろう」
私の言葉にティアナが首を振る。
「解決なんてどこにもありません。そして解決はいらないんです。言ったでしょう、あたしは貴女と居られればいいし、ヴィータさんを好きでいいと」
ティアナは言った。泣きそうではなかった。彼女はしっかりと自分というものを持っているものだけができる力強い瞳をしていた。
「ねえなのはさん、あたしが辛いくらいどうだっていうんです。あって当然の辛さだし、なのはさんも既に苦しそうにしてる。何より自分自身が選んだことだから。それに、辛くてもそれ以上の幸せがあるんです」
一緒にいること、と私は言う。ティアナが微笑んだ。
ティアナは私を抱き締め、また私もティアナを強く抱き締めた。そして三回目のキス。ティアナから顔を近づけ、顔を離した。
「何も考えないで。あたしだけのなんて思わなくていいから、心の中のものは虚無に放り投げてしまってください。しばしの間目を閉じていれば、いろんなものは感触を残さずに通り過ぎていくんです。そこには今、なのはさんが感じているような苦痛なんてない」
だけど違う苦痛は別に入り込んでくるだろう。ヴィータちゃんにお願いしてしまったこと、ティアナに我が侭を言ったことはどう追い払ったってわだかまりとなり、もぐり込んでくるはずだ。肉の壁の隙間から、空っぽになった心めがけて。
でも私は言わなかった。機動六課解散の前夜に考えた通り、私が与えることのできるものなど、たかが知れている。
彼女たちが求める最低限の幸福。
それのみである。
愛しい人が心をこめて整えられたベッドの上に、私の体が無造作に落ちる。微かな息使い以外音がなかった。あとは布を剥がされる音――つまり服が脱がされたのだ。彼女によって。自分が着ていたものが全て脱がされて、身に纏うものの一切失う。
彼女の視線が全身を舐めているのが分かる。ヴィータちゃんはすぐに逸らしたけど、ティアナは私が恥ずかしいと言っても逸らしてくれなかった。だからティアナの裸も見たいと言った。ティアナも脱いでくれた。素早い動作に、私は苦笑した。つまらない冗談のような苦笑だった。それにティアナの服の下に隠されたものに私は素直に嘆息してしまった。目の前のティアナは、ヴィータちゃんよりもずっと豊かな肉付きをした身体だった。胸は下着を取り払うと零れるように震えたし、股の間は薄くだが茂っていた。
別にヴィータちゃんに不満があるわけではない。ティアナ個人の肉体に対して、魅了されていただけだ。それほどティアナは綺麗だった。
でも、ああ。やっぱり比べてしまっている。ティアナの言った通りに。
――心を虚無に放り投げてしまえ。
何も考えない方がうまく行くことだってある、と。
そののち彼女との最低限の幸福を求める行為は、日付を越えてから随分あとまで続いた。目が覚めた朝のティアナの寝顔も、これ以上になく穏やかで、気持ちよさげに眠っているように見えた。そして彼女が目を覚ましてからは、やはり私のよく知る普段通りのティアナだった。
私の周りの人はみんな優しすぎる、と改めて思う。
そして三日後、ヴィータちゃんはこの家に帰って来た。
⇒the sixth volume (六話)



アリサ×なのは