その境界線は。
高町なのはを全力全開で愛していく。そんな小説を書いてます。
違えた道の端 前編 2008/04/28
なのは×アリサです。
フェイなの前提だったりするけど、出てくるのはなのはとアリサがほとんどです。
浮気話なので……まあ酷い話なわけだけど。
冷めてるようで冷めてないなのはさん。のつもり。
上から想像できるように、あまり明るい話ではないです。
すこし長いので二つに分けました。これは前編。後編は明日くらいに。
もしよろしければ、続きよりどうぞ。
――彼女が手に取ったのは、間違った選択。
だが誰が責められるだろう。彼女の前に提示されていたのは、おおよそ選択肢と呼べるものですらなかったというのに。
違えた道の端
アリサに出くわした時、まずなのはの頭に浮かんできたのは疑問だった。
どんな感情よりも早かった。次に焦りが、最後に喜びが遠慮がちに顔をのぞかせた。それらは一度にやって来たわけではなく、躾けの行き渡った生徒のように順番に列を作っていた。にも関わらず、すさまじい勢いを持ってなのはを襲った。
訓練された自分がこれでは、心の動揺はきっと相手に伝わっているはずだった。一瞬の表情の変化も、アリサが相手では不信を抱かせるには足りる。
彼女と会うのは半年ぶりだった。その間の連絡頻度は彼女にとって十全だったとはいいがたい。なのはは今更のように考える。今だからそういうことが考えられる。
しかしアリサの表情に揺らぎはない。赤い傘の下で、無表情になのはを見詰めている
なのはが流れに呑まれそうになってもかろうじて愚を曝さずにいられたのは、普段の任務よりつちかってきたことによるものだろう。それにしてもアリサとの突拍子もない邂逅は、大抵の事では揺るがないなのはの心を、少なからず動揺させた。
その中で腕に掲げた見舞の品と土産、花束のもろもろをを落とさなかったのは、高町なのはだからなのだろう。
――六月のある日。なのはは駆け足で家に向かっていた。
梅雨時期には珍しくもない雨が紫陽花の葉を打っている。コンクリートの壁伝いにはカタツムリが珍しくも這っていて、雰囲気を和らげている。傘を差し歩いて通っていれば和んだに違いない景色も、今のなのはは通り過ぎるだけだった。走りつつ、たまに黒い空を見上げては落ちて来る雨に嘆息しし前に向き直ると、家に急いだ。急ぐ理由は、何も雨だけではなかった。
その途中でアリサと再会する。
意図せぬ出会いだった。なのはが紫陽花やカタツムリの存在に気をとめたのも、アリサがその傍らに佇んでいたからだ。アリサは傘を片手に、久しぶり、と言った。彼女の顔は弱冠、憔悴しているようにも見える。取り繕ってはいたが、なのはは声の震えを聞き逃さなかった。
「久しぶり、アリサちゃん」
なのはは冷静な口調で返す。頭では意味のない原因探しを行っている。
今朝起きると空は晴れていて、出かけるにはちょうどいいと背伸びした。今し方横になっていたベッドを振り返れば、フェイトとヴィヴィオが眠っていた。ヴィヴィオはなのはの寝間着の袖を握っていつも眠るため、起きる時は小さな手を離し、フェイトへと預ける。体を近づけるとフェイトはヴィヴィオを抱き締める。ちょうどいい抱き枕が見つかったように。ヴィヴィオは腕の重さにしばし顔をしかめはするが、そのうちにフェイトの黒い肌着を握る。やがて寝息が聞こえてくる。
なんだか子育てを任せているみたいだ、となのははたまに思う。訓練や仕事が忙しいせいで普段から構ってやれない負い目もある。それでも毎朝フェイトに寄せてやるのは、一度離したままだとヴィヴィオが起き出してしまったからだ。
まだなのはが機動六課に所属していた頃、ヴィヴィオを自分の部屋に住まわせるようになって最初の朝、自らのパジャマを固く握し締めるヴィヴィオの手を、困りつつも離した朝のこと。掛け布団を元通りにすると、いつものように着替えを始める。少し遅れ気味ではあったが遅刻するほどではなかった。顔を洗い半分ほど着替えると、背後にはいつのまにかヴィヴィオが立っていた。
「あれ」
「……っ」
「どうしたの、起きちゃった?」
「……一緒に、寝る」
「ええ? それはちょっと、なのはさんこれからお仕事だから。ってああ、泣かないで」
幼子に涙目で見上げられては、さすがになのはも答えづらかった。しばらくあたふたとした後で、フェイトの隣に寝かせることでどうにか落ち着けた。かなり渋ってはいたのだが、いつまでも眠ってはいられない。
機動六課が解散となると、なのははヴィヴィオの通う魔法学院の近くに住居を構えた。ヴィヴィオのためにもちゃんとした家が必要だったし、給料を貰うだけ貰って生活費以外で使用していなかったから蓄えは十全だった。加えてフェイトの資産もあった。なのはは機動六課の執行期間を終えたあとすぐ、フェイトに結婚を申しこまれていた。なのはもそれを受けた。一年も一緒にいれば離れて住むことは耐えがくなってもおかしくはない。一緒に住めば、出張などにならない限り一日一度は顔を見ることができる。
「なのは。そうか、海鳴に行くのは今日だったね」
思考を飛ばせていたなのはを引き戻したのは、フェイトのいかにも眠そうな声だった。なのはは窓を閉めてカーテンを戻す。薄明かりが宙を漂う。ヴィヴィオも目を覚ましていた。
腰に抱きついてくるヴィヴィオを膝に乗せながら、ベッドに腰を下ろす。一方眉間にしわを寄せ、頭を覚ますよう数度振るフェイトになのはは苦笑した。
「忘れてたの?」
「違うよ、もしかして朝だからぼうっとしているのかもしれないけど」
「フェイトちゃんねぼすけさんだもんね」
それだけ疲れているということなのだろうけど、となのはは心の中で付け足す。
「寝ててもいいよ。昨日遅かったんでしょ」
「なのはが行ってから寝るよ。とりあえず見送りはしたいし、ヴィヴィオもそう言ってる」
「うん、なのはママのお見送りする」
膝元に座るヴィヴィオははっきりと答えた。未だに目をこするフェイトとは反対だ。娘よりも眠そうな親というのはどんなものなのかとなのはは考えるが、まあそういうこともあるかもしれない。本当、フェイトちゃんは朝が弱いなあと笑いながら、なのはは二人の頭を撫でた。
「戻るのは明後日だよね。桃子さん……義母さんによろしく」
「ヴィヴィオもよろしくー!」
なのはは頷く。
「ありがとう、じゃあ行ってきます」
そうしてとある場所の転送ポートから海鳴へとやってきた。晴れていたミッドチルダとは違い、こちらでは小雨がぱらついている。世界が違うからか、それとも今降り始めたのかは判断がつかない。しかし梅雨なら雨も降るだろうとなのはは自分を納得させ、短いため息を吐き出すと、実家に向かうべく足を進めた。
雨は一歩ごとに大降りになっている。
なのはは途中、店で花を買った。オレンジとピンクのバラを数本ずつ包んでもらい、片腕に抱えている。早いところ道を抜けないと、このままではいろんなものがずぶ濡れになってしまう。服や体が濡れるのは構わないが、せっかく買ってきた土産物が濡れてしまうのはいけない。こういう時にフィールドバリアを張れればいいと思うが、局員の自分が法を破るようなことをしてはまずい。なのははそう自分を諫めて、走る速度を上げた。
そこでなのはは、濃い金色の髪に目をとめる。こんな大雨だ、無視することもできたのに、自分でも意識しないで足まで止めていた。アリサちゃん、とその子の名前が零れる。水分を吸い込んでいる所為か、アリサの髪はなのはの記憶のものより深く暗い色をしている。
どうして。
なのはは一番に思う。冷静な部分がなのはに疑問を訴える。どうしてここに一人でいるのか、と。
彼女ならば車を呼べばすぐ来るだろうし、なによりも多忙なアリサがこんな場所を放浪しているのは不思議だった。前回の通話では食事をする暇もないと言っていたのだ。気をつけて先回りしないと一食くらい簡単に抜けちゃうからね、とアリサは語っていた。身体を壊さないようにとなのはが言えば、それはあんたも同じと返されて、あとはいつものようにどうでもいい事柄を続けたのだった。もう何ヶ月も前の話になる。
これまでアリサと会っていなかったわけではない。海鳴に一人で(あるいはヴィヴィオと)戻った時には必ずアリサとあった。前もって知らせればアリサは絶対に都合をつけてくれた。そのことをフェイトには教えていない。もちろん、教えることのできないやり取りが逢瀬の際に交わされているからである。
だが今回の海鳴帰郷は急遽決まったことであり、アリサに会う予定もなかった。たとえば二ヶ月、あるいは半年会っていなかったとしても。なのははそれすら忘れてしまっていたくらいだ。
だからなのはには分からなかった。アリサが当然のようにここにいて、「久しぶり」と濡れながら笑っていることが。偶然にしては出来過ぎていた。
顔が強張っている。なのはは一瞬だけ視線を逸らした。
「変な顔をして、どうしたのよ」
アリサは言うが、なのはの口は動かない。アリサは怪訝な顔を作り、小さく息を吐いた。
奇妙な雰囲気がアリサとの間に立ち込めている。なのははやはりそれを感じ取った。感じ取れてしまう自分が疎ましかった。無視出来ればどんなに楽だろう。
「あんたびしょ濡れよ。風邪引くじゃない。ちゃんとしないとだめなんだから」
「アリサちゃんも濡れてる」
そんなことはどうでもいいのだ、となのはは続ける。
「どうしてここに?」
「昨日翠屋に久しぶりに行ってね、それで今日なのはが帰ってくることを知ったんだけど、あんたなかなか来ないから」
そこでなのははようやく自分が立っている場所が家の傍だということに気付いた。転送地点から家に最短で向かうときには必ず通る道。高町家はすぐそこだった。
「ずっと連絡なかったから心配してたのよ」
「ごめん」
「忙しいのは分かってる、けど会いに来れなくても連絡くらいできるでしょ?」
なのはは何も言えなかった。アリサは呼吸か溜息か判断のつかないくらい短い息を吐き、もういいけど、と呟いた。アリサには珍しい小さな声は、傘が雨を弾く音の煩さに塞がれてなのはには届かなかった。
「それにしても傘くらい差せばいいのに」
アリサが気を取り直したように言う。なのははほっとして、「ミッドチルダに海鳴の天気予報があるわけがないよ」と笑った。
なのはが初めに感じた、あのどこか強張った雰囲気というものは消えてしまっていた。
「それもそうね。これから家に行くんでしょ」
アリサはそう言って傘を差し出してきた。なのはには断る理由もなく、そのままアリサの傘の下にもぐる。
アリサの方が少し身長が高く、髪は背に掛かるくらいに長かった。中学を卒業して海鳴を離れる時には、確か肩につかない程度の長さだったのだ。なのにいつの間に伸ばしたのだろう。記憶を辿っていくうちに、そういえば以前アリサに尋ねたこともあったなと思い当った。あれは何年前だったか。
ミッドチルダに越してから何回か目のアリサとの逢瀬を、なのはは過ごしていた。ベッドに仰向けになって彼女の伸びた金髪を指先で弄びながら、空白を埋めるためだけに特別興味もなく聞いた。お互いに裸だった。
なのはが問うと、「なのはが長い髪が好きだって言ったんじゃなかったっけ」と呆れられる。
「そうだった?」
「そうよ、確か。凄い口説き文句だったんだから」
「口説き文句?」
なのはは眉を潜め、いぶかしむ。
――私ね、アリサちゃんの長い髪が好きなんだ。深くて綺麗な金色をしていて、いつもどきどきしてた。何度会っても飽きないくらい強く目をひかれたよ――とアリサは当時のなのはの言葉を繰り返した。
「何それ」
「だからなのはが言ったんだって。まさか覚えてないの?」
「そういえば言った気もするけど」
「つまりはあんたにとって、どうでもよかったのね」
そうかもしれない。
もちろん口には出さなかったが、なのはは思った。ただアリサがそれ以上口を開くことはなかった。なのはが口を塞いで言葉を奪い取ったからだ。舌を差し込みながらなのはは二度目を始めた。一度達した体は瞬く間に熱を持ち、はじめ不機嫌そうだったアリサが足を絡めてくるまでに、そう時間はかからなかった。
とりあえず雨に濡れた服を何とかしなければいけなかった。
家に到着すれば姉が出迎えてくれる。水たまりを転がったかのようななのはの様子に大層驚きつつも、姉の美由紀がタオルを持ってきてくれた。肩を濡らしたアリサの分も持ってくるところは、母の看病で以前より気が回るようになったのかもしれない。
なのはの母はこのところ寝込んでいた。一週間ほど前に段差に足を引っ掛けこけてしまったのだと言っていた。その際に身体を打ち、少し足を悪くしたらしい。母自身は笑っていたが、姉から話を聞いたときは深刻そうな口ぶりだったので、なのははすぐに休暇を取ろうとした。あの注意深い母が、転んだくらいで大怪我をするなんて考えられなかったのだ。どこか調子が悪いのかもしれない、と不安に駆られた。
だが普段からスケジュールを詰めていたせいで、一週間先にならねば空かなかった。それでもなのはは懸命に仕事を終わらせ、海鳴に向かうことができたのだ。
ただようやく暇が空いた頃、母の調子は快方に向かっていた。それでも店に出られるほどではない。翠屋はどうなっているのだろう。なのはが姉に尋ねると、今は母を気遣った父や兄、忍が店に出ていると答えた。食事は父が事前に作り置きしているようで、母の看病役は姉で足りていたようだ。
なのはが顔をタオルで拭いていると、母が顔を覗かせる。おかえり、と快い笑みを浮かべて迎えてくれた。母は「忙しいのに、ごめんね」と言った。
「もう大丈夫なの?」
なのはが問いかける。
「すっかり歩けるようになったわ、そんなに心配しなくても大丈夫よ」
「そうもいかないよ。本当はすぐに来たかったんだけど」
なのはのうつむいた頭を、母が優しく撫でる。
「この薔薇すごく綺麗、なのはがくれたのよね? ありがとう」
「……遅くなってごめんね、お母さん」
母は首を振った。
「なのはが帰ってきてくれただけで、私は嬉しいの」
そういえばもうずっと会えていない。半年の間声も聞いていない。
相変わらず母、桃子に容姿の老いは見受けられなかったが、足を微かに引き摺っていた。それも注意してみなければ分からない。母はそのことを隠しているようだった。気遣ってくれているのだと思うと、なのはは何となく息苦しくなった。
それから母はなのはを胸に抱きかかえるとアリサに微笑んで、また部屋に戻った。それに姉が付き添っていく。
二人の背中を眺めて、机に置かれた母への見舞いの品と家族への土産物を眺めながら、なのはは自分に出来ることなど何もなかったかもしれない、と思っていた。一週間疲労で身体が前のめりになってしまうくらい切り詰めて頑張ってきたはずだった。今まで連絡もしていなかったくせに、会わないといけないという想いにかられた。姉は言わなかっただけで、もしかしたら困っているかもしれないのだ。じゃあ自分が行かないと――。
だけどそんなことはなかった。たしかにいろいろと不自由はあるかもしれないが、姉が居る、父や兄夫婦が店を経営していく。自分などいなくても平気だった。
分かっていた。なのはの価値など、ここではあまりに意味がない。順風な家族の中でなのはだけがどこか違う。違和感は、ずっと昔からあった。
「なのは?」
アリサが不審そうになのはを振り返る。なのはは力なく頭を振ると、ため息をつく。差し出して早々に花瓶に活けられ薔薇は、その重たそうな頭を細い茎で支えている。しばらくなのはは花瓶を眺めていたが、そのうちに姉が持ち、母の部屋に飾ると持って行ってしまった。見舞いのために買ったのだからそれは正しいのだろう。だが。
――分かっていた。だからなのはは別に傷ついたわけではなかった。
「……なのは」
「行こうか、アリサちゃん」
ここに自分はいなくても大丈夫なのだ。アリサの手を取ると、なのはは黙って家を出た。
⇒後編
フェイなの前提だったりするけど、出てくるのはなのはとアリサがほとんどです。
浮気話なので……まあ酷い話なわけだけど。
冷めてるようで冷めてないなのはさん。のつもり。
上から想像できるように、あまり明るい話ではないです。
すこし長いので二つに分けました。これは前編。後編は明日くらいに。
もしよろしければ、続きよりどうぞ。
――彼女が手に取ったのは、間違った選択。
だが誰が責められるだろう。彼女の前に提示されていたのは、おおよそ選択肢と呼べるものですらなかったというのに。
違えた道の端
アリサに出くわした時、まずなのはの頭に浮かんできたのは疑問だった。
どんな感情よりも早かった。次に焦りが、最後に喜びが遠慮がちに顔をのぞかせた。それらは一度にやって来たわけではなく、躾けの行き渡った生徒のように順番に列を作っていた。にも関わらず、すさまじい勢いを持ってなのはを襲った。
訓練された自分がこれでは、心の動揺はきっと相手に伝わっているはずだった。一瞬の表情の変化も、アリサが相手では不信を抱かせるには足りる。
彼女と会うのは半年ぶりだった。その間の連絡頻度は彼女にとって十全だったとはいいがたい。なのはは今更のように考える。今だからそういうことが考えられる。
しかしアリサの表情に揺らぎはない。赤い傘の下で、無表情になのはを見詰めている
なのはが流れに呑まれそうになってもかろうじて愚を曝さずにいられたのは、普段の任務よりつちかってきたことによるものだろう。それにしてもアリサとの突拍子もない邂逅は、大抵の事では揺るがないなのはの心を、少なからず動揺させた。
その中で腕に掲げた見舞の品と土産、花束のもろもろをを落とさなかったのは、高町なのはだからなのだろう。
――六月のある日。なのはは駆け足で家に向かっていた。
梅雨時期には珍しくもない雨が紫陽花の葉を打っている。コンクリートの壁伝いにはカタツムリが珍しくも這っていて、雰囲気を和らげている。傘を差し歩いて通っていれば和んだに違いない景色も、今のなのはは通り過ぎるだけだった。走りつつ、たまに黒い空を見上げては落ちて来る雨に嘆息しし前に向き直ると、家に急いだ。急ぐ理由は、何も雨だけではなかった。
その途中でアリサと再会する。
意図せぬ出会いだった。なのはが紫陽花やカタツムリの存在に気をとめたのも、アリサがその傍らに佇んでいたからだ。アリサは傘を片手に、久しぶり、と言った。彼女の顔は弱冠、憔悴しているようにも見える。取り繕ってはいたが、なのはは声の震えを聞き逃さなかった。
「久しぶり、アリサちゃん」
なのはは冷静な口調で返す。頭では意味のない原因探しを行っている。
今朝起きると空は晴れていて、出かけるにはちょうどいいと背伸びした。今し方横になっていたベッドを振り返れば、フェイトとヴィヴィオが眠っていた。ヴィヴィオはなのはの寝間着の袖を握っていつも眠るため、起きる時は小さな手を離し、フェイトへと預ける。体を近づけるとフェイトはヴィヴィオを抱き締める。ちょうどいい抱き枕が見つかったように。ヴィヴィオは腕の重さにしばし顔をしかめはするが、そのうちにフェイトの黒い肌着を握る。やがて寝息が聞こえてくる。
なんだか子育てを任せているみたいだ、となのははたまに思う。訓練や仕事が忙しいせいで普段から構ってやれない負い目もある。それでも毎朝フェイトに寄せてやるのは、一度離したままだとヴィヴィオが起き出してしまったからだ。
まだなのはが機動六課に所属していた頃、ヴィヴィオを自分の部屋に住まわせるようになって最初の朝、自らのパジャマを固く握し締めるヴィヴィオの手を、困りつつも離した朝のこと。掛け布団を元通りにすると、いつものように着替えを始める。少し遅れ気味ではあったが遅刻するほどではなかった。顔を洗い半分ほど着替えると、背後にはいつのまにかヴィヴィオが立っていた。
「あれ」
「……っ」
「どうしたの、起きちゃった?」
「……一緒に、寝る」
「ええ? それはちょっと、なのはさんこれからお仕事だから。ってああ、泣かないで」
幼子に涙目で見上げられては、さすがになのはも答えづらかった。しばらくあたふたとした後で、フェイトの隣に寝かせることでどうにか落ち着けた。かなり渋ってはいたのだが、いつまでも眠ってはいられない。
機動六課が解散となると、なのははヴィヴィオの通う魔法学院の近くに住居を構えた。ヴィヴィオのためにもちゃんとした家が必要だったし、給料を貰うだけ貰って生活費以外で使用していなかったから蓄えは十全だった。加えてフェイトの資産もあった。なのはは機動六課の執行期間を終えたあとすぐ、フェイトに結婚を申しこまれていた。なのはもそれを受けた。一年も一緒にいれば離れて住むことは耐えがくなってもおかしくはない。一緒に住めば、出張などにならない限り一日一度は顔を見ることができる。
「なのは。そうか、海鳴に行くのは今日だったね」
思考を飛ばせていたなのはを引き戻したのは、フェイトのいかにも眠そうな声だった。なのはは窓を閉めてカーテンを戻す。薄明かりが宙を漂う。ヴィヴィオも目を覚ましていた。
腰に抱きついてくるヴィヴィオを膝に乗せながら、ベッドに腰を下ろす。一方眉間にしわを寄せ、頭を覚ますよう数度振るフェイトになのはは苦笑した。
「忘れてたの?」
「違うよ、もしかして朝だからぼうっとしているのかもしれないけど」
「フェイトちゃんねぼすけさんだもんね」
それだけ疲れているということなのだろうけど、となのはは心の中で付け足す。
「寝ててもいいよ。昨日遅かったんでしょ」
「なのはが行ってから寝るよ。とりあえず見送りはしたいし、ヴィヴィオもそう言ってる」
「うん、なのはママのお見送りする」
膝元に座るヴィヴィオははっきりと答えた。未だに目をこするフェイトとは反対だ。娘よりも眠そうな親というのはどんなものなのかとなのはは考えるが、まあそういうこともあるかもしれない。本当、フェイトちゃんは朝が弱いなあと笑いながら、なのはは二人の頭を撫でた。
「戻るのは明後日だよね。桃子さん……義母さんによろしく」
「ヴィヴィオもよろしくー!」
なのはは頷く。
「ありがとう、じゃあ行ってきます」
そうしてとある場所の転送ポートから海鳴へとやってきた。晴れていたミッドチルダとは違い、こちらでは小雨がぱらついている。世界が違うからか、それとも今降り始めたのかは判断がつかない。しかし梅雨なら雨も降るだろうとなのはは自分を納得させ、短いため息を吐き出すと、実家に向かうべく足を進めた。
雨は一歩ごとに大降りになっている。
なのはは途中、店で花を買った。オレンジとピンクのバラを数本ずつ包んでもらい、片腕に抱えている。早いところ道を抜けないと、このままではいろんなものがずぶ濡れになってしまう。服や体が濡れるのは構わないが、せっかく買ってきた土産物が濡れてしまうのはいけない。こういう時にフィールドバリアを張れればいいと思うが、局員の自分が法を破るようなことをしてはまずい。なのははそう自分を諫めて、走る速度を上げた。
そこでなのはは、濃い金色の髪に目をとめる。こんな大雨だ、無視することもできたのに、自分でも意識しないで足まで止めていた。アリサちゃん、とその子の名前が零れる。水分を吸い込んでいる所為か、アリサの髪はなのはの記憶のものより深く暗い色をしている。
どうして。
なのはは一番に思う。冷静な部分がなのはに疑問を訴える。どうしてここに一人でいるのか、と。
彼女ならば車を呼べばすぐ来るだろうし、なによりも多忙なアリサがこんな場所を放浪しているのは不思議だった。前回の通話では食事をする暇もないと言っていたのだ。気をつけて先回りしないと一食くらい簡単に抜けちゃうからね、とアリサは語っていた。身体を壊さないようにとなのはが言えば、それはあんたも同じと返されて、あとはいつものようにどうでもいい事柄を続けたのだった。もう何ヶ月も前の話になる。
これまでアリサと会っていなかったわけではない。海鳴に一人で(あるいはヴィヴィオと)戻った時には必ずアリサとあった。前もって知らせればアリサは絶対に都合をつけてくれた。そのことをフェイトには教えていない。もちろん、教えることのできないやり取りが逢瀬の際に交わされているからである。
だが今回の海鳴帰郷は急遽決まったことであり、アリサに会う予定もなかった。たとえば二ヶ月、あるいは半年会っていなかったとしても。なのははそれすら忘れてしまっていたくらいだ。
だからなのはには分からなかった。アリサが当然のようにここにいて、「久しぶり」と濡れながら笑っていることが。偶然にしては出来過ぎていた。
顔が強張っている。なのはは一瞬だけ視線を逸らした。
「変な顔をして、どうしたのよ」
アリサは言うが、なのはの口は動かない。アリサは怪訝な顔を作り、小さく息を吐いた。
奇妙な雰囲気がアリサとの間に立ち込めている。なのははやはりそれを感じ取った。感じ取れてしまう自分が疎ましかった。無視出来ればどんなに楽だろう。
「あんたびしょ濡れよ。風邪引くじゃない。ちゃんとしないとだめなんだから」
「アリサちゃんも濡れてる」
そんなことはどうでもいいのだ、となのはは続ける。
「どうしてここに?」
「昨日翠屋に久しぶりに行ってね、それで今日なのはが帰ってくることを知ったんだけど、あんたなかなか来ないから」
そこでなのははようやく自分が立っている場所が家の傍だということに気付いた。転送地点から家に最短で向かうときには必ず通る道。高町家はすぐそこだった。
「ずっと連絡なかったから心配してたのよ」
「ごめん」
「忙しいのは分かってる、けど会いに来れなくても連絡くらいできるでしょ?」
なのはは何も言えなかった。アリサは呼吸か溜息か判断のつかないくらい短い息を吐き、もういいけど、と呟いた。アリサには珍しい小さな声は、傘が雨を弾く音の煩さに塞がれてなのはには届かなかった。
「それにしても傘くらい差せばいいのに」
アリサが気を取り直したように言う。なのははほっとして、「ミッドチルダに海鳴の天気予報があるわけがないよ」と笑った。
なのはが初めに感じた、あのどこか強張った雰囲気というものは消えてしまっていた。
「それもそうね。これから家に行くんでしょ」
アリサはそう言って傘を差し出してきた。なのはには断る理由もなく、そのままアリサの傘の下にもぐる。
アリサの方が少し身長が高く、髪は背に掛かるくらいに長かった。中学を卒業して海鳴を離れる時には、確か肩につかない程度の長さだったのだ。なのにいつの間に伸ばしたのだろう。記憶を辿っていくうちに、そういえば以前アリサに尋ねたこともあったなと思い当った。あれは何年前だったか。
ミッドチルダに越してから何回か目のアリサとの逢瀬を、なのはは過ごしていた。ベッドに仰向けになって彼女の伸びた金髪を指先で弄びながら、空白を埋めるためだけに特別興味もなく聞いた。お互いに裸だった。
なのはが問うと、「なのはが長い髪が好きだって言ったんじゃなかったっけ」と呆れられる。
「そうだった?」
「そうよ、確か。凄い口説き文句だったんだから」
「口説き文句?」
なのはは眉を潜め、いぶかしむ。
――私ね、アリサちゃんの長い髪が好きなんだ。深くて綺麗な金色をしていて、いつもどきどきしてた。何度会っても飽きないくらい強く目をひかれたよ――とアリサは当時のなのはの言葉を繰り返した。
「何それ」
「だからなのはが言ったんだって。まさか覚えてないの?」
「そういえば言った気もするけど」
「つまりはあんたにとって、どうでもよかったのね」
そうかもしれない。
もちろん口には出さなかったが、なのはは思った。ただアリサがそれ以上口を開くことはなかった。なのはが口を塞いで言葉を奪い取ったからだ。舌を差し込みながらなのはは二度目を始めた。一度達した体は瞬く間に熱を持ち、はじめ不機嫌そうだったアリサが足を絡めてくるまでに、そう時間はかからなかった。
とりあえず雨に濡れた服を何とかしなければいけなかった。
家に到着すれば姉が出迎えてくれる。水たまりを転がったかのようななのはの様子に大層驚きつつも、姉の美由紀がタオルを持ってきてくれた。肩を濡らしたアリサの分も持ってくるところは、母の看病で以前より気が回るようになったのかもしれない。
なのはの母はこのところ寝込んでいた。一週間ほど前に段差に足を引っ掛けこけてしまったのだと言っていた。その際に身体を打ち、少し足を悪くしたらしい。母自身は笑っていたが、姉から話を聞いたときは深刻そうな口ぶりだったので、なのははすぐに休暇を取ろうとした。あの注意深い母が、転んだくらいで大怪我をするなんて考えられなかったのだ。どこか調子が悪いのかもしれない、と不安に駆られた。
だが普段からスケジュールを詰めていたせいで、一週間先にならねば空かなかった。それでもなのはは懸命に仕事を終わらせ、海鳴に向かうことができたのだ。
ただようやく暇が空いた頃、母の調子は快方に向かっていた。それでも店に出られるほどではない。翠屋はどうなっているのだろう。なのはが姉に尋ねると、今は母を気遣った父や兄、忍が店に出ていると答えた。食事は父が事前に作り置きしているようで、母の看病役は姉で足りていたようだ。
なのはが顔をタオルで拭いていると、母が顔を覗かせる。おかえり、と快い笑みを浮かべて迎えてくれた。母は「忙しいのに、ごめんね」と言った。
「もう大丈夫なの?」
なのはが問いかける。
「すっかり歩けるようになったわ、そんなに心配しなくても大丈夫よ」
「そうもいかないよ。本当はすぐに来たかったんだけど」
なのはのうつむいた頭を、母が優しく撫でる。
「この薔薇すごく綺麗、なのはがくれたのよね? ありがとう」
「……遅くなってごめんね、お母さん」
母は首を振った。
「なのはが帰ってきてくれただけで、私は嬉しいの」
そういえばもうずっと会えていない。半年の間声も聞いていない。
相変わらず母、桃子に容姿の老いは見受けられなかったが、足を微かに引き摺っていた。それも注意してみなければ分からない。母はそのことを隠しているようだった。気遣ってくれているのだと思うと、なのはは何となく息苦しくなった。
それから母はなのはを胸に抱きかかえるとアリサに微笑んで、また部屋に戻った。それに姉が付き添っていく。
二人の背中を眺めて、机に置かれた母への見舞いの品と家族への土産物を眺めながら、なのはは自分に出来ることなど何もなかったかもしれない、と思っていた。一週間疲労で身体が前のめりになってしまうくらい切り詰めて頑張ってきたはずだった。今まで連絡もしていなかったくせに、会わないといけないという想いにかられた。姉は言わなかっただけで、もしかしたら困っているかもしれないのだ。じゃあ自分が行かないと――。
だけどそんなことはなかった。たしかにいろいろと不自由はあるかもしれないが、姉が居る、父や兄夫婦が店を経営していく。自分などいなくても平気だった。
分かっていた。なのはの価値など、ここではあまりに意味がない。順風な家族の中でなのはだけがどこか違う。違和感は、ずっと昔からあった。
「なのは?」
アリサが不審そうになのはを振り返る。なのはは力なく頭を振ると、ため息をつく。差し出して早々に花瓶に活けられ薔薇は、その重たそうな頭を細い茎で支えている。しばらくなのはは花瓶を眺めていたが、そのうちに姉が持ち、母の部屋に飾ると持って行ってしまった。見舞いのために買ったのだからそれは正しいのだろう。だが。
――分かっていた。だからなのはは別に傷ついたわけではなかった。
「……なのは」
「行こうか、アリサちゃん」
ここに自分はいなくても大丈夫なのだ。アリサの手を取ると、なのはは黙って家を出た。
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