迷子へと示す道標―2       2008/05/18

迷子へと示す道標 二話「紅い世界での誓い」
一話「無言で示された標」の続きです。
ティアナが昔のなのはさんと半日だけの邂逅を果たした話。
※表記「魔導士⇒魔導師」修正しました。ご指摘ありがとうございますm(_ _)m

それでは続きよりどうぞ。



 迷子へと示す道標


 2.紅い世界での誓い

 お茶を飲み終えたので、「ありがと」と言って容器を少女に渡した。少女はそれにお茶を継ぎ足し、自らもコクコクと飲み干す。動作のついでに、ふたつに結った髪が微かに振れる。黒い紐状のリボンで結われた少女の栗毛は、どこかしな垂れているように見える。
 お茶を飲み終えた後の少女の顔には仄暗い影が差していた。空を見上げると分厚い雲が頭上を覆っていた。雨を降らせる雲ではないけれど、どっしりと重たげな雲だ。青かった空が、今は灰色に塗りたくられている。なんとなく気が重くなるような天気だった。
 こんな空でも、少女は好きなんだろうか。
「あなたはさ、どうして魔導師の道に進もうと考えたの。思い出したんだけど地球ってたしか魔法文化が全くなかったんじゃなかった? そも前提として素質そのものがない。だからきっかけというものがあるんじゃないの」
 少女は曇り空をふっと見上げた。そのまま立ち上がると、鉄格子に手をかける。「さあ?」と少女は笑った。
「きっかけは何だったかな」
 立っている時は何とも思わなかったが、こうしてベンチに座っていると格子が邪魔をして海が見えない。どうせ今は重たい印象しかない海だろうけど、それでも少し残念に思う。立ち上がろうと考えはしたが、少女につられたみたいで嫌だった。何より億劫だ。
 少女の白い服が風に揺れている。黒いリボンも。
 真っ直ぐな背筋を眺めながら、少女の言葉を脳内で反芻する。本当にきっかけを覚えていないわけではなさそうだった。おそらく今、少女の頭の中で巡っている。優秀な魔導師のその頭の中で、ぐるぐると回っている。
「いくつかの出会いがあったんだと思う」と少女は言った。
「そしてね、たくさんのことが過ぎて行ったんだ。すうっと私の体を素通りしていくみたいに、透明で。結局私の手は何も掠らない」
 少女はひとりごちる。
「皆は私の事を待っててくれるんだよ。心配してくれる。過保護っていうくらいに過剰に私の体の事を気にしてくれるんだ。ありがたいと思うけど、その度に私は苦しくなる。私の顔をみる友達はみんな表情を曇らせてしまっているから。それを見て私もまた悲しくなるんだけど、でも仕方のないことだと思う。私がそれだけのことをしちゃったんだからね」
 少女の言葉は、空に投げて届かなくて、海に落ちてしまったみたいだった。そうして、声は暗い海の底に沈んでいく。私が何を言えることもない。黙って聞いていた。
「馬鹿みたいなんだ。思い出の場所を放浪して、なんとか掴もうとしてる。何を掴みたいのかわからないままに、私は何かを探してる。願い事は一つだけなのに、それすら叶わないような気がして不安なんだ。そうやって現実逃避をしてる」
 空に手を伸ばして、雲を払おうとして失敗したみたいに、少女は振り返って苦笑する。
「あなた、怪我でもしたの?」
「ちょっとね。半年近く前に空から墜ちゃって。まあ自業自得に近いんだけど」
 さらりと少女が言った。
「もう今は大丈夫だよ。リハビリももうすぐ終わるし、歩けるようになったし」
「じゃあ、空は――」
「飛びたい」と少女が言った。
「ううん、飛ぶよ。絶対に飛んでみせる、だから」
 と少女が柵から背を離して、こちらに片足で踏み切った。しかしバランスを崩し、あやうく顔面をコンクリートにぶつけてしまいそうになって、私は慌てて少女の体を支える。無意識のうちに体が動いていた。空から墜ちた、なんて話を聞いてしまったせいか。私は思わず胸におさめてしまった少女の顔をつい間近で見詰めた。顔にかかる影さえ、憂いを帯びた魅力に満ちていた。
 綺麗だと素直に感じられる。そこには、他の思考が介入する隙間など微塵もなかった。
「……もういい?」
「あ、ありがとう。あはは、私ってどうも運動神経が悪くて、ごめんなさい」
 私が立ち上がると、少女はしゃがんだ体勢のままで、頬を指で引っ掻きながら困ったように笑う。私には、足元がふらついたせいでバランスを崩したようにしか見えなかったのだが、追及することははばかられる。隠したいことくらいはあるだろう。だけどやけに私は、少女のそんな振る舞いに苛立ちが湧き立っていた。
「仮にも教導隊入りを目指してるんなら、体鍛えた方がいいかもしれないわね」
「きついな、ティアナさん」
「何言ってんのよ。当然の意見よ」
「そうだね。そのとおりかな」
 しかしそうしたやり取りが突然馬鹿げたものに思えた。私は少女から離れる。身体を支えるときに付いた膝の汚れを払い、鉄格子に手をかける。少女も隣に並んだ。
 海が見えた。深い色に沈んだ海が、静かにうねっている。久しぶりに見る海だったが、雲が光を遮ってしまい、あまり感動がない。一度兄に連れて行ってもらったことを思い出すが、それも朧げな記憶の中にあり、うまく引っ張り出すことができなかった。こうやって段々と記憶が薄れていくのだろうか。両親はもとより、兄との楽しい日々を過ごした記憶さえいつか。
 執務官になる。そのための努力は兄との繋がりを間違いのないものにするためでもあった。
「訊いてもいい?」
「うん、できるかぎり答えるよ」
 少女がにこりと微笑んだ。頬は若干の強張りを見せてはいたが、それは笑みには違いない。はずだ。
 私はしばし躊躇したあとで少女から極力視線を外し、「今は空を飛べないの?」と問った。問った後で、やはりまずかったかもしれないと思ったが、すでに舌を転がり落ちた言葉。拾い上げることはできない。
 飛べないよ、と少女は言った。
「今はリハビリ中なんだ。さっき言った現実逃避だけど、その間に過ぎていく時間を無駄にはできないから、現実逃避しながらリハビリしてた。馬鹿みたい、だね」
 自傷や自嘲は少女の口から幾度も零れる。とめどもなく溢れだす。自分を望んで傷つけて、泣きたいのに涙をこらえなければいけない苦しみの中でもがいている。少女の言葉を聞いていると、そんな妄想が生まれてきた。だから言わなくていいことまで言ってしまうのだ。そして少女を謝らせてしまう。また自分を傷つけるきっかけを見つけてしまう。
 元々私はこんな人間が好きではなかった。あれからずっと前を目指し、暴言や妄言も無視してきた、そのはずなのだ。だから少女の言葉は少くなく私の心を苛立たせる。
 なのに一方で、少女を労わる言葉を見つけられないのが悔しかった。それは多分この少女の吐く自棄が悲しいものだったからだ。悲しくて、それから――。
「あ、ごめんなさい、喋り過ぎちゃいましたね」
「あなたみたいな優秀な魔導師にあたしが言えることなんて何もないんだろうけど、あまり自分のことを馬鹿って言わない方がいいと思うわよ。っていうかこっちが聞いてて苛々するから」
「ごめんなさい」
 私の言葉に少女が目を伏せる。こんなことが言いたいわけではなかった。だけど私の言葉はいつだって意思に背いて吐き出された。
「別に、人間だもの。愚痴ったっていいわよ。でも自分を馬鹿にするのだけはやめなさいって言ってるの、わかる?」
 少女は肯いたが、儀礼的にそうしているようでもあった。この年で精神は異常なほどに老成していた。もしかすると自分よりもずっと。
 私は大げさに溜息をついて見せる。こうすれば少女は自分を傷つけるのを弱めてくれるだろうか。
 でも私はすぐに無理だと悟った。深すぎる闇を、この幼い女の子は胸の中に飼っている。自身に巣食う闇を嫌悪しつつ、頭を撫でてすらいる。
「リハビリね。そんなに空が好きなんだ」
 私が尋ねると、少女は即答した。
「大好きだよ。だから早く空を飛びたいんだ」
 真摯な表情を一瞥し、私は再度息を吐く。
「あっそ。ま、あたしにはどうでもいいんだけどね」
 腹が煮えている。少女にもだけど、一番は自分に対してだ。何故初めて出会った少女などに感情移入などしてしまっているのか。分からない自分に苛立ち、舌打つ。
 目の前の少女の一言一言が、重たく胸にのしかかってくる。言わなくてもいい事を言ってしまう。頭上の雲が海面の輝きを奪っているように、少女は私の心から余裕を奪っているのだ。こんな暗い公園は早く通り過ぎてしまえばいいのに、何故か少女のことが気になって仕方がない。自分は帰らなければいけないのだ。もう試験は眼前に迫っていた。
 それでも足は一向に動こうとしない。影を縫われたように地面にへばりついたままだった。そうして動かないでいると分かることがある。きっと私は、時間にならないとここから帰れないのだろうということ。ここは自分が元いた世界とは別の次元にある世界だということ。
 それは地球とミッドチルダという位置関係であるというだけではなく。全体からすれば微細な時間のずれの狭間に、私はきっと迷い込んでしまったのだ。どういうことか。ミッドチルダに帰れる道が開けるのは、恐らく夕刻。その時になれば自然と道への入り口に気付く。そんなおかしな確信があった。でも確かなものだ。
 ため息はもう洩れなかった。ただこの時間が苦痛で仕方なかった。少女を見ていると何故か胸が締め付けられるような想いに駆られる。できるならば少女の小さな体を、自らの腕で力の限り抱き締めてしまいたい。力の入れ過ぎでひびが入ったとしても、全部が壊れてしまうよりはずっといい――そんな馬鹿らし過ぎる考えが浮かび、私をよりいっそう苛立たせた。
 少女との時間がもっと続けばいいと思っている自分に気づいてからは、尚更に。
「ティアナさん、もしかして怒ってる?」
「そんなことないわよ」
「私が愚痴なんて言っちゃったから。ごめんなさい。つい、というと言い訳になっちゃうんだけど、ティアナさんには何故か言ってしまったんです。今まで誰にも言ったことがなかったのに」
「それはあなたの周りの人がみんな、あなたを心配しているからでしょ。だから言えずに溜まったものが、初めて会った関わりの無い人物であるあたしに向かった」
 少女は黙ったかと思うと、少し唇を歪めて「そうかもそれません」と言った。
「別に気にしないで。でもさ、あなたもいつかまた、飛べるようになるといいわね」
 そして私も。
「はい。あの、ティアナさん」
 少女の声に振り向くと、じっとこちらを凝視していた。何よ、と私が睨み返せば少女は力なく首を振る。
「何か考え事をしている様子だったからどうしたのかと気になって。私もしかしてここにいるのお邪魔かな」
「そんなことないわよ」
 私がぶっきら棒に答えると、少女は「ほんとですか? よかった」と笑った。少女の笑みを黙視し、私は先ほどの感じた認識を強める。
 少女のそれは、砲撃みたいな笑顔。受けた誰の胸も打ち抜く少女の笑みであるのだ、と。
 それでも自分だけは違うとさっきは否定したけれど、今はもうそんな気は起きなかった。撃ち抜かれていた。きっと近くで受けすぎたから、自身の薄っぺらな防御など紙に等しいものと化してしまったのだろう。目の前でバリアだったものが朱の欠片となって弾け飛び、少女の砲撃が懐に飛び込んできたのだ。
 そう考えると、自分の胸にわだかまっていた苦しさや苛立ちも納得できる気がした。
 スバルとは違う意味で少女のことに苛立ち、胸を焼いている。昔、話に聞いた恋について。好きということについて。
 出会ってからの時間なんて、本当に関係がなかった。この少女を前にすれば、年齢も性別の問題さえも酷く薄弱なものであった。
「あ、ねえ見て。もうすぐ陽が沈むみたい。雲の隙間から黄色い陽が射し込んで、空や海がすごく綺麗だよ」
 だから問題は別のところにあった。私はここの世界の人間ではないということを、いっそ知らずにいられればよかったのに。陽が沈む、それは綺麗だと感じるよりも先に、寂寥を私に運んでくる。
「まるで世界がティアナさんの色に染まってるみたいだね」
 ぐずぐずと自棄の言葉を吐いていた先ほどまでとはうって変わった笑顔を見せる少女は、眩しくて強い瞳の光。エースオブエースへと成長していく人の輝きの片鱗がここにある。少女が、あの自分の知る高町なのはだということは、もはや疑いようがなかった。
 スバルの憧れるエースオブエースが、実は自嘲好きだと知ればどんな顔をするか。考えなかったわけではない。想像した瞬間、脳裏に落胆するスバルの様子がちらついた。以前の自分なら馬鹿にしただろう少女の噂さえ、実際に応対した今では真実であったのだと気付かされた。戦わなくとも、魔力の膨大さくらい伝わってくる。残骸でさえ首筋を汗が冷えた伝ったくらいなのだ。多少事実に彩色は施されているだろうが、さほどの違いはないように思えた。恐らく自分では傷一つ負わせることが出来ない。
 恐ろしい劣等感と焦燥感が、胸を掻き毟った。勃然とした衝動だった。銃をとり兄に教わった魔法で少女を倒して、力を証明する己の姿を幻視した。
 だがそれも今だけは思考の彼方に沈めておく。実際に触れた脇に銃はなかったし、なにより横に立つ少女の笑顔には、どんな力も太刀打ち出来ないような気がした。すべては撃ち落とされる。
「本当に綺麗。何だか私、初めて夕陽を見たような気がするよ。ティアナさんといるからもしれない」
 何も言えないまま陽が沈んでいく。
 普段なら一日の終わりを感じ……否、時間の流れさえ曖昧に歪めるくらい綺麗過ぎる光景。不吉ささえ漂わせる愁色の夕陽を、私は感嘆の息を漏らして眺めている。それほどだった。
 だけど今は辛い。この少女に私は別れを告げなければならないのだ、とそう指を突き刺されているみたいで苦しい。太陽が実は地上に忘れ物でもしていて、「いけない。これがないと明日困るんだ」などと再び全身を水平線に乗り上げ、戻ってきてはくれないか。そう願ってしまうほどだ。
 ティアナさん、と少女に名前を呼ばれた。トーンの低い声に私が振り向く。――時間だ、と直感する。
「私そろそろ帰らないといけないんだ。訓練だというのは知ってるけど、それでも暗くなると心配されるからね。ティアナさんはどうする?」
「あたし、あたしは……」
 沈黙が昏い海に飲み込まれていく。朱の陽が目に滲みて、私は俯いた。これ以上沈むところを見たくなかった。
「また会えるかな」
 少女の言葉に、俯いた顔を上げた。
「あなたとまた、会いたい」
 少女が続ける。私はじっと少女の瞳を見返し――それが自分の精一杯だった。喉は引き攣って声がでないし、鼻や目の畔が震えているのが自分でもわかる。
 情けなかった。だから強くなろうと思った。兄の魔法は間違っていなかったと証明するだけではない、確かな力。想いを伝えられる意思力、具現化できるような強さを身につけようと思った。
 たぶん私はまだ、この少女と向き合っていられるような人間ではない。今日ここに迷い込んでしまったのは、何かの悪戯か間違いだったのだ。次元の何かが狂った拍子に、私という矮小な人間が愚かにも巻き込まれてしまった。それだけの出来事だった。しかし全体から見れば些細な出来事が私にとっては大きな影響を与えていることは、もう抗いようのないことだった。
 陽が完全に沈むと、待ち侘びたように光が姿を現す。白い水泡が自身の体を包んでいく。少女が大きく目を見開いて、私を見ていた。
 言葉が何も出てこなかった。虚勢を張った言葉も、安心させる言葉も。
 少女が不安気に瞳を揺らしている。言葉もなく、胸元で両手を握りしめている。その手に触れようとして、とどまった。
 私はまだ弱いから。触れてはいけないのだと触れる瞬間に悟った。短い息が掠れたように漏れる。私はぐっと堪える。
「私たち、もう会えませんか?」
 小さな子の震える瞳を慰めることもできない私は、まだ弱い。いつか必ず強くなるけど、やっぱり今は弱すぎる。だからこの時だけでも、少女の前でだけ付け焼刃の強さを見せたかった。強がりと言われても構わない、そんな気持ちで彼女の肩を掴む。小さな体が震えた。
 少女も少しは、私との別れを惜しんでくれているのだろうか。だとしたら嬉しいのに。
 らしくもないことを想いながら、私は口元を歪めて笑った。
「会えるわよ、きっと」
 約束はできないけれど、少女にとってせめてもの希望にはなるはずだ――そこまで考えて、いや、と首を振った。希望を少女が求めているわけではないだろう。この少女は現実をどこまでも見据えて、手に掴めるものしか望まない。自分の手で掴んだものしか求めない。だからそれは、私自身に言いたかったことだ。また会えると思いたいのだ。
 この世界から抜けていく感覚が自身の体へと徐々に伝わってくる。そんな中で少女の声を聞いた。
「っ、……ティアナさん!」
 切迫した声色にどうしたのかと見れば、光をかき分けるようにこちらに歩んでくる少女の姿があった。手には見慣れたデバイスが握られている。
「これ、忘れものです」
 ここに来た時に探してなかったもの、アンカーガンが少女の手の中にあった。何故と問うこともなくそれを受け取り「ありがとう」と言った。どうして疑問などが湧くだろう。それは少女の手の中にあって当たり前だったのだから。
 私はもう一度笑った。自身の顔に浮かんだのは作り笑いだったけれど、笑みには違いない。渡されたぼろぼろのアンカーガンを握る。馴染んだ感触に、そうだと思い出したように呟く。少女は首を傾げている。私はしばし逡巡してから言った。
「あたしはまだ弱いから。だからもしあなたが戦技教導隊に入って教導官になれたら、あたしに魔法を教えてくれない?」
 私が? と少女は問い返す。私は頷く。
「きっといい教導官になってると思うし、そうしたらお願いするわ」
「にゃは……、ティアナさんが言うなら頑張らないとだね。うん、頑張るよ。いっぱいいっぱい、ティアナさんに頼もしいって思ってもらえるくらい」
「そして今日の情けない姿を挽回するために?」
「も、もう……ひどいよ。今日のは特別で」
「馬鹿ね、冗談よ」
 言う少女の頭に手を乗せて髪を撫でる。
 別れの際で、私はようやく自然に笑うことができた。光が纏う手で額にかかる前髪を払うと、少女もわずかに微笑んだ。真っ当な笑顔だけどどこか欠けた月のような、満月でありながら雲が通り過ぎていくような笑顔。少女はいろんな笑顔をもっている。私にもそれはわかる。だけどいずれにせよ、それらの笑顔は不自然であった。本当は少女は、出会ってすぐ向けられたあの砲撃のような笑顔だって持っているのだ。今このとき、少女もまた無理をしている。
 私は光の渦に溶けていく腕を持ち上げて少女から離れる。次に会った時、少女がもっと自然に笑えているといいと、そして私が誇れるほど強くなっていられればいい。そんなことを想いながら。
「また――、なのは」
 私は初めて、少女の名前を呼んでいた。 
 光に吸い込まれていき、気がつくとベッドの中にいた。静かな宵の中で月の光がカーテンや窓ガラスを突き抜け、淡く差し込んできている。私は起き上がると辺りを見回した。何の変哲もない自分の部屋だ。上からは規則正しい寝息が聞こえてくる。
 テーブルの上には少女に手渡されたアンカーガンがある。一歩も動いたようには見えなかった。薄汚れたまま横たわっている。まるで夢であったかのように見えた。
 でも夢じゃない。確かな記憶が自信の脳に陣取っている。私は昔の高町なのはと逢ったのだ。
 上のベッドを覗き込むと、寝相がいいとはいえないスバルがそれでも変わりなくいた。枕の隣には憧れる人の写真が入ったケース。そっと指先で触れる。外気に触れたそれは冷たく指の腹を押す。似ているだけではない、この人はやはりあの海の見える公園で会った少女だった。
 胸の弁にひっかかる微かな寂然を、服の上からぎゅっと握り締める。大丈夫だ、と自身に言い聞かせ自分のベッドに戻った。何気なく息を吐くと、涙がふっとこぼれた。唐突な落涙に少しだけ驚く。夕陽の残照が瞼の裏に焼きついて離れなかった。一日――半日居ただけの人なのに、私はもう会いたくて仕方がないのだ。
 今更ながら少女から受けた砲撃の重さを実感する。心にめり込むような笑顔と、魔力を削りとる砲撃とに、一体どれほどの差があるというのか。
 会いたかった。でもそれは叶わない、まだ。
 私は涙を腕で拭い、うつむく。それは強くなろうという意思を強固にした日の夜。Bランク試験の一ヶ月前のことだった。


 ⇒3.まよいご

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