2017-11

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『秋、はらむ空』 五章 蒼き星粒……3

『秋、はらむ空』 各タイトル⇒目次

五章 三話「幸福の裏側」
本文中に出てくる曲は実際にはない。もし同名のものがあったとしても全く別物なのでご了承を。
なのはの技、スターダストフォールはアニメでも見たかった。

――だからどれだけあの人に重ねたって、平気なんだよ。



 秋、はらむ空
 五章 ―蒼き星粒―


 3.幸福の裏側――ANOTHER SIDE

 眠たいのに意識は妙にはっきりとした顔で、なのははしきりに寝返りを打っていた。そんな彼女にヴィヴィオは眠れないの、と優しく問いかけてみる。ううん、とぼんやりとした声が聞こえてきて、この人はなんて可愛いんだろうとヴィヴィオは思わず口元を緩めた。
「じゃあなのはさんがぐっすり眠れるよう歌ってあげるよ。特別子守唄というわけじゃないけど、ゆったりした曲だから」
「でもどうして?」
 なぜ唄を知っているの、となのはが尋ねる。たしかに部屋で音楽をかけた記憶も、歌ってもらった覚えもなかった。だが歌を知る機会は他にもあるのだとヴィヴィオは思う。
 それは六課から少し離れた所に位置する図書館の一隅。孤立した場所の、腰が沈むほど柔らかな椅子を思い浮かべればいい。現実から逃げるように耳を覆うヘッドフォンから流れてくる様々な種類の音楽に、ヴィヴィオは自分でも意外なほどに没頭した。その場所を知ってから、ヴィヴィオは朝図書館に行き、本を読むのに疲れると音楽を聴く。
「もっとも私にはどれがいいかなんて分からないから、並んでる端から聴いてたの。受付の人も丁寧に教えてくれたし、今度時間ができたら一緒に行こうか? それとも二人で住むようになってからそこにコンポとディスクを買って、休日の眠たい午後なんかにのんびり聴いたほうがいいかな」
「どちらも素敵だと思う」となのはが言った。
「じゃあ本棚も置かないといけないね。ところで曲のタイトルは?」
「〈Starfall〉――星降りっていうんだけど、たぶん知らないと思う」
 曲名を見た瞬間に綺麗な響きだとヴィヴィオがディスクを手に取ると、まっすぐ受付に持って行った。女性はにこやかに対応し、「あまり知られていない曲なんですがとても美しい曲なんですよ」と勧めてくれた。ヴィヴィオはお礼を言って元の場所に戻ると瞼を落とす。視界が閉じればあとは音の世界がすべてになった。腕を組み、作曲者の思い描いた世界を共有するのは、小説を読むときに得られる心地良さに似ている。
 鼓膜を打つ旋律はこの上なく繊細だというのに、聴いている者の身を僅かだが戦慄させる。おびただしい数の星が散りばめられた夜空を目にしたときのようだとヴィヴィオは感ずる。
 しかし、それでも〈Starfall〉は受付の女性が言ったとおり、美しい曲だった。少しの畏れは感じても、曲が終わる頃には心底から寛いでいる。繰り返し聴いているうち、この曲がヴィヴィオの一番のお気に入りになるのにそう時間はかからなかった。
 それにしても『星が降る』という意味で一般的に広く使われる〈star rain〉と表現されていないのをヴィヴィオは不思議に思った。ただ曲を何度も聴いているうちになんとなくの理由を悟る。星降りというのは雨のように降ってくるわけじゃない。比喩でもなんでもなく、ただ圧倒的に抗いようもなく“星が降って”いるのだ。
 ヴィヴィオは自分のその想像におかしくなる。なのはもそういえば星だった。
「なのはさんはこの曲名と似た技を持っているよね」
「スターダストフォール?」
 うん、とヴィヴィオが肯定する。いつかモニターで見たなのはの戦う姿を思い出したのだ。到底本人には言えないが、素晴らしく格好がよかったとヴィヴィオは密かに思っていた。
「まあ岩石も星も、そう違いはないかもしれないけど」
「あのねなのはさん。もし降ってくるとして、それが石であるよりも星の方がずっとロマンチックだよ」
「たしかに。わたしは小石を降らすことはできても、星までは降らせないや」
 なのはが言うとヴィヴィオも笑った。
  ――仄かな風光を渡る青の中
  ――点々と漂う存在はいつしか力を失くし
  ――君は掌を宙に受け、待ちあぐねている……
 二人の空間に深く安らいだ色を落としながら、星降りの唄は静かに始まる。

 幸福な時間というものが無為に過ぎていく。ヴィヴィオとなのはとの間に降り注ぐ暖かな陽光はしかし、他の空間から熱を奪うものだった。だからそれは長くは続かない。短く、短すぎる時間である。あるいはヴィヴィオはそのことを覚悟していたのかもしれない。人間関係において優れていたはずのなのはが考えに至るには少々疲れ過ぎていたのだ。
 ヴィヴィオは眠るなのはを見詰めている。傷の幾つも刻まれた肌に指を乗せて、彼女を確かめる。こんなにも傷だらけの身体なのに、彼女はとても傷つけられたようには見えない。ただ美しく簡単に触れてはいけないもののように手を伸ばそうとする者に突きつけてくる。“実際的に”なのはに触れた者は少なくない。同時期にということを考えれば十分多いだろう。だが身を切るように体を開く彼女のことを、愚かだと、淫乱だとは誰も思わなかった。口にしたフェイトでさえ、内側で燃え盛る炎に唆されて言っただけだ。本当に思っていたわけではない。なぜなら“本質的に”なのはに触れた者は誰ひとりとしていなかったのだ。ヴィヴィオでさえ触れられた気がしなかった。なのははどこまでも孤独だった。心の隅で、孤独を望んでいた。
 それでも彼女は愛された。その愛を跳ねのける理由を彼女はもちえなかった。下らぬ倫理感よりも大切な人の想いを跳ねのける方が大事だとはとても思えなかったのだ。そこで偶然ぬくもりを得てしまった。ヴィヴィオを失った腕によみがえった温かさは格別だったのだろう。彼女はもう温もりなしで強くありつづけることができなくなっていた。
 決して強くない彼女が強くあろうとしてぬくもりを求めた、その結果。必然として弊害が生まれる。
 それがフェイトとヴィータとティアナだった。そして彼女たちを放っておくほど、なのはは無情になりきれない。ようやく見つけた愛しい人を失うという選択をしてでも。

 フェイトは菜乃を以前にもまして自分の許に抱え込むようになった。
 部隊長のはやての目にも余るほど、その独占の仕方は露骨だった。はやてはもちろんそんなライトニングの隊長に「しっかりして」と言うが、既になのは以外が口を出したところで無意味な領域にきていた。仕事以外は部屋に籠るという徹底ぶりはエリオとキャロを不安な気持ちにさせた。育ててくれた姉の、あるいは親の異変に嘆かない子供などいない。
 フェイトはフォワードメンバーや他の六課の人間とも遊ばせず、菜乃をできるだけ部屋にいさせようとした。少女が外出しようとすればフェイトはいい顔をしない。フェイト自身は忙しく構ってやれなくても、他の誰かと接しさせることはできなかった。少女はもうフェイトにとって“なのは”なのだ。中身は随分と違うけど、外見は間違いなくなのはのものである。時折のぞく今のなのはの面影に泣きそうになることなんてしょっちゅうだった。
 ある日、少女の下着に血がついていたとき、フェイトは一度少女を押し倒した。震える少女の首筋に鼻を埋め、匂いを嗅ぐ。なのはの匂いはしない。フェイトとずっと一緒の少女からはフェイト自身の匂いしかしない。
「なの、は」
 少女の表情が目の前で歪む。それでも少女は抗わない。
 もう我慢する必要はないんじゃないかとフェイトは考える。今なら少女を自分だけのものに染め上げるということが可能だ。時期はきた。少女もフェイトの突然の暴挙に目を見開くもやがて力を抜く。少女はいつだってフェイトのやることに反対などしなかった。フェイトがフェイト自身を傷つけるものでなければとても従順であった。たとえフェイトが自分を、あの『高町なのは』の代わりに思っていると既に知っていたとしても、少女にとってフェイトは唯一であり、友達(家族よりも恋人よりも大切だという友達)だった。
 だがフェイトは僅かだけ膨らんだ胸に手を当てたとき、声を聞く。「フェイトちゃん」というなのはの声だ。発したのは下に居る少女だろう。だがフェイトにはなのはの声に聞こえた。自分を捨て、ヴィヴィオのところにいってしまったなのはの声がどうして聞こえるのだ。
 でも聞いてしまえばフェイトにはそれ以上続けることができなくなってしまった。
 フェイトは上体を起こし、少女からはじかれるように離れる。不思議なことに謝罪は浮かんでこなかった。離れてでさえ自分を縛り付けるなのはという存在が憎くあった。こんな仕打ちはないだろう。でも凄く愛しい。それに、考えてみれば引き返すべき時に引き返さなかったのはフェイト自身なのだ。
 フェイトはふうと溜息をつく。出てくるのが溜息だけでよかったと思う。フェイトは少女の頭を撫で、前髪にそっと唇を落とす。少女は僅かに震えている。
「怖がらせちゃったね」
「平気だよ。それよりもフェイトちゃんの方が震えてる。なにか怖いことがあったんだよね」
 こういうところは変わらずに敏い。フェイトはもう一つ溜息を吐きだしそうになったが、少女を抱き締めることで押し込んだ。
「なのがいてくれたら、私は大丈夫だよ」
「ずっといるよ。私はフェイトちゃんのところに以外、行きたい場所なんてないんだから」
 だからどれだけあの人に重ねたって、平気なんだよ。
 少女の言葉にフェイトは、そっか、と呟く。やけに冷静に受け止めている自分にフェイトは気付いている。
「フェイトちゃんが大好き。ずっと一緒にいたいよ」
 なのはの顔で、なのはの声で。少女はそう言った。なのはが一度も言ってくれなかった言葉だった。
 心を手酷く痛めつけられていたフェイトには、実に残酷に聞こえた。怒りはない、あるのは悲しみだけだ。愛していると言われなかっただけましだろうか、それとも嘆くべきところなのか、フェイトには分からなかった。
 だから身からこぼれた落ちた哀しみの石を拾い集めるように、フェイトは少女を腕に抱いてしばし眠りに沈む。

 ヴィータは教官の仕事にしばしば出動した。教導そのものは変哲もなく異変もない、いつものごとく厳しいものであった。問題なのはその量だ。ヴィータは通常組まれているフォワードメンバーの訓練に加え、書類仕事をこなし、ここで常人ならばへとへとになってベッドに飛び込むところだがヴィータはさらに任務を入れた。教官資格を持ち、魔導師達に評判のいいヴィータは依頼がくるのをいいことに、詰め込めるだけを詰め込んだ。必然として機動六課を空けることが多くなる。弱音を吐くことなく一層の力を入れてしごき戻ってくると、ヴィータは自室の狭いシャワールームで気絶するように湯を浴び、布団に自身を投げる。微睡みというよりは意識を閉ざした中で、薄い呼吸を繰り返すことで明日への生を仕方なく長らえている。
 こんなヴィータを主であるはやてが心配しないはずがなかった。同時に仲間が見咎める。シグナムがそうだった。シャマルはただただ哀しんでいる。診てあげたいのに肝心のヴィータが拒んでいるのだ。湖の騎士に対し唇を歪め、「これから一件教官の仕事が入ってるんだ。だからそんな暇はない」と。それでも無理やりにでも止めようとして、シャマルは伸ばした手を下ろす。もし無理やり止めたらこの小さな騎士は壊れてしまうような気がした。ヴィータが仕事に没頭することでどうにかもたせている殻を破ってしまうような恐れが、幾本もの鋭い針となってシャマルの手を突き刺す。ヴィータはなのはのいる機動六課を離れることで自分を保っているのだというのがシャマルには分かった。そしてシグナムにも。
 しかしシグナムはヴィータに面と向かって話ができた。主はどうしてか動かないでいる、ならば将がしっかりしなければいけないだろうという義務感から、また出ていくヴィータを引き止める。振り返ったヴィータが怪訝そうにシグナムを見返すが、その瞳には鈍い光が宿り、今止めておかねばならないとシグナムに訴えかけている。
「お前の主は、誰だ?」
 シグナムは問う。当然のことだったが、ここ最近の様子を見るに、ヴィータは分かっていないような気がした。
「はやてだよ」とヴィータは言う。険しさ一色だったヴィータの顔に微かな慈しみが差す。
「分かっているようには見えないがな」とシグナムが思っていたことを言えば、ヴィータは、ははっ、と軽快に笑った。
 なのはに離れられたことも効いたのだろうが、それよりも騎士であることを否定されたのが何よりも辛かったのだろう。壊れてはいない。まだ壊れてはいなかったが、昏く心を病んでいた。あるいは元からだったのかもしれない。こうなる程だ、今までは表から見えなかっただけで、八年前の事故でなのはを護れなかったと嘆いていた頃からヴィータを蝕んでおり、心に厚く張らせた皮が、なのはの拒絶によって取り払われることで露わになっただけのことなのかもしれない。
「分かっているさ。あたしの主ははやてで、一番守らなきゃならないのもはやてだ。あたしに、あたしたちに安らぎと平穏を与えてくれた大切な人だ。もちろん分かってる。その時が来たら全力で護るに決まっているさ」
 だけど、とヴィータが言う。
「だけどあたしが命を落とすのは、なのはのためがいい」
 ヴィータはさらりと口にする。気付いているのだろうか、その矛盾に。
 それからもヴィータは続けた。
「あたしを心に深く刻んでくれることを夢にまで見る」とか。「あたしは騎士だから。主ははやて。大切で、大好きなはやてだ」とか。「でもはやてにはシグナムがいるだろ。シャマルもザフィーラも。だからあたしじゃなくても別にいいんだ。でもあいつを本当に護れるのはあたしだけだ。フェイトにだってティアナにだって無理だ。あいつらは結局傷付けることしかできない」とか、普段およそヴィータが言わないであろう台詞がぱらぱらと口から零れ落ちる。シグナムはただ聞くだけであったが、ヴィータが一呼吸ついたときに尋ねた。
「なのはにはヴィヴィオがいるだろう」
 シグナムには聞くに堪えたなかった。ヴィヴィオ? とヴィータは首を傾げる。心底おかしいことを訊かれた時のように大きな目をさらに丸くし、きょとんとしてみせる。
「ヴィヴィオは一度あいつの前からいなくなったんだぞ。護るとかそれ以前の問題だ」
 このときシグナムは、さすがにヴィータの頬を殴り付けた。懇意にしている少女について、ヴィータがこのように言うなんてどうかしている。いなくなったのはヴィヴィオのせいでは決してないはずだ。
 既に衰弱しているヴィータは容易に尻をついた。見てみろ、お前が今どれだけ弱っているか。床はさぞ冷たいだろう。シグナムはヴィータに目で怒鳴る。お前は今、正常な精神ではないのだ。はやく気付いてくれ。
 しかしヴィータは頬に手を当てることもなく、シグナムを睨みつける。
 ヴィータはこれ以上になく正常だった。睨むことも、当然冷静に自分自身を見ることもできる。
「なあシグナム。あたしが今弱ってることくらい分かってるつもりだよ。完全に理解しているとは思わねーけどな。でもおかしくまでなっちゃいない。ヴィヴィオのことも、別に貶してるわけでも嫌いだって言ってるわけでもない。思ったままのことを言ったまでだ。好きだよ、ヴィヴィオのことは。素直だしいい子で、訓練にも熱心だ。よく食事も一緒にしたし、読んだ本について話してもくれた。あたしにはわからないこともあったけど話しているヴィヴィオは楽しそうで、あたしも楽しかった。なのはを大事に思っていることも知ってる。けれどたまに考えるんだ。以前のヴィヴィオはもっとあいつのことを想ってたって。比べることがおかしいなんて空論はこの際いらないんだ。今どうであるか、それだけだろ。なのにヴィヴィオは簡単に好きとか言って、それでなのはに全部捨てさせて……なんだよそれは。本当に好きならさ、全部まとめて包んでやるもんじゃねーのかよ。なのはの大切なものを捨ててまで独占してなんになる。あたしはあいつがなのはの傍に居ることはまったく構わなかった。それどころかなのはがそれで笑っていられるなら素敵なことだと思っていたんだ。でも今のあたしの考えは違う。あいつは結局フェイトたちと変わりないんだよ。ただなのはの中でヴィヴィオが特別だっただけで、それが全てには違いないんだろうけど、肝心のヴィヴィオ自身はそうじゃない。真になのはのことを守れるとはとても思えねえ。いずれ傷付けてぼろぼろにする。お互いにな」
 あたしには分かっているとヴィータはと強く言い切る。それなら今のうちに壊してやった方がいい。
「お前は……」
 護りたいのと同じくらい、本当は誰よりも壊したいのだな――。
 そして自分自身、なのはを傷つける存在としてフェイトやティアナと変わりがないということをよく知っているのだ。
 シグナムが再び突き出した拳を下げると、ヴィータもその背を起こして立ち上がる。小さいのに、大きな存在感をシグナムは感じる。闇の書事件の最中だってこんなに感じたことはない。あのとき、全身血みどろで疲弊しっきっていても、心だけは弱らせなかった。主はやてのことを一心に思っていた。だが元来ヴィータは一途な性格である。これと思ったことには身を滅ぼすほどに一途になりきれるヴィータがなのはに魅せられたことで、一層その傾向を強めたのだろう。
 はやてにはまだヴィータのことを穏やかな抱擁で包みこんでやることができた。だがなのはは違う。ヴィヴィオを損なう以前ならともかく、今のなのははもうヴィータをそんな寛容な気持ちで抱きとめることなどできはしなかった。あの二ヶ月がなのはの中から多くのものを削り取ってしまったのだ。
 ヴィータの心はまるで融通の利かない、固く張りつめた、しかも毒素を含んでいる石の集まりだった。投げるためには受け止める側に柔らかなクッションが必要だったのだ。受け止めるべくものがなければ、高所から落とされた石は簡単に砕け散る。
 だからヴィータは投げられない。溜まっていくばかりの石を体の中に限界まで溜めこんでしまうが、それでもいつかは外に出さなければいけない。壊れてしまうと分かっていても外に放らなければ、やがて石から洩れる毒に冒されて病んでしまう。
「なのはを傷つける全てのものから護り、あたしが傷つけてやりたいんだ」
 自分は後悔すべきだとシグナムは気付く。ヴィータの青くなった頬を見詰めつつ、シグナムは、私は間違えていたのだろうかと思った。勝手な見解をもって「偽った気持ちならうまくいかない」などとよく言えたものだ。「早めに言ってやったほうが楽になる」まったくなんてことを言ってしまったんだろう。根拠もなく思ったままに出した言葉だった。シグナムとしてはなのはがこれほど素直に自分の言葉を一つ一つを捉えるなんて思ってもいなかった。なのはは自分で考えることができる人間という認識がシグナムの中にはあった。間違ってはいないだろうが、今のなのはには当てはまらない。考え過ぎて疲れ果てたなのはの耳に、シグナムの声は優しく浸透しすぎていた。そしてヴィータを見てしまうと、なのはの気持ちが本当に偽ったものなのかさえ疑わしくなる。なのはは本当の気持ちをヴィータにも捧げていたのではないのか、だから急に突き放されたヴィータは苦しんでいる。たとえ偽りであったとしても今のようになってしまうなら、言った方が楽だったとはとても思えない。
 シグナムは、迷うことなくヴィヴィオの元に向かったなのはのことを考え、きつく目を閉じる。
 ヴィータに対してはそれ以上のことは何も言えなかった。殴られても一切の混じり気なく睨み返すこの紅い騎士に対してシグナムが言えることなど何もないのだ。本当はなのはにだって何一つ言う権利などなかった。もしかしたらなのはは助言など求めてはおらず、ただ話を聞いてくれる人物をのみ求めていたのかもしれない。だというのにシグナムはなのはに囁いてしまった。不器用で仲間想いのシグナムの言葉はいかにもなのはの耳に優しく響いた。孤独に侵されつつあったなのはは、自身に差し伸べられた唯一の手としてみたのだ。
 しかし、そうであっても今更どうになるものでもない。それに助言したのはシグナムだが、選んだのは間違いなくなのはだった。シグナムに罪はないし、ヴィータの心に抉られた傷跡はなのはでしか治せない。
 ――なのは、お前は何をしている?
 シグナムはそっと嘆く。
 少し前の苦悩し俯いたなのはと、最近のヴィヴィオと幸せそうに歩く姿が脳裏で行き交い、シグナムは殴りこんで行きたくなる気持ちを歯ぎしりして堪える。言えるわけがなかった。なのはも散々苦しんだ末にようやく僅かだけの幸福を手にしようとしているのだ。シグナムにはとても言えない。
 主はどうしているんだろう。はやての心情をもちろん知らないシグナムは溜息をつく。同じ分隊のテスタロッサの顔も、そういえばしばらく見ていない。
 ヴィータはまた夜になるとうさぎを抱いて眠るようになる。別れから一つ増えた黒いうさぎは部屋の隅に置いて、白いうさぎだけを抱え込む。夢の中でさえヴィータは片時も離す気はなかった。

 肉体に過度な負担をかけるのはもう一人いた。二度と必要のない無茶はしないと言ったティアナは、そんなことは放り捨てて訓練に没頭している。グローブをはめていても擦り切れた指は見る影もなくぼろぼろで、故にティアナはこの間にヒールを習得しなければならなかった。負ってすぐの、それも指にできたような浅い傷ならば治せる程度のものだったが、ティアナには必要な魔法だった。こんな指は誰にも見せられないとティアナには自覚できていた。
 スバルには泣きながら止められたし(何しろ応援しようとしたそばからの出来事だった)、ヴァイスには口酸っぱく注意された。
「そんなことをしても何にもならねえだろ」とヴァイスが言う。ティアナには当然分かり切っていることだったので黙って背を向けた。しかしヴァイスはしつこく引き止める。
「またなのはさんに叱られちまうぞ」
 名前を聞いて頭に血が上り、ティアナは咄嗟に振り返る。一緒に居てはいけないといわれても訓練で顔を合わせ、模擬戦ではあの人に打ち込みに行かなければならない。接近戦で間近に見るあの人の顔は、どんなに求めてももう触れることのできないもので、なのに手の届く場所にある。薄紅の光に撃ち抜かれて意識を閉ざすことができたらどんなに楽だろう。しかし確実に強くなり、加減も油断も許さぬように教えられてきたティアナには、やはり全力で向かっていくしかなかった。ヴァイスには分からないから言えるんだとティアナは心の中で舌打ちをする。一体、何が悲しくてこんな……。
「叱られる、か。あたしはその方がいいかもしれない」
 自分のことを心配しこちらに一歩でも近づいてきたら、たとえ返り討ちにされたって抱き締めてしまうのに。
「叱られるのがいいのかよ?」
 呆れたように呟くヴァイスに、「いずれにしても」とティアナが言葉を切る。
「あの人だって無茶してたんです。今だってもしかしたら。なのにあたしのことを止められる権利なんてありません」
 それでも教導官という立場をして「だめだよ」と言ってくるようなら、いっそ落胆もできよう。落胆しながらもそんななのはのことを愛しく思い、やっぱり自分は抱き締めたはずである。だが違った。なのはの優しさは、少し切っ先を傾けただけで人を深くまで傷付けることのできる刃のような優しさなのだ。息も苦しいくらい傷付けることができるくせに、ぎりぎり命までは奪ってくれない。訓練の合間に時たまなのはがこちらを向き、ティアナをほんの一瞬気にかける。ティアナが気付いてしまう程つたない目配せで、ティアナこそが心配になる。
 月の明るい夜にクロスミラージュを手にしていると、自分は何故これほど懸命に訓練をしているんだろうと思う。額から頬、顎にかけて汗まみれで、白い訓練着は泥に汚れている。胸を締め付けるように縛ったバンドはいい加減息苦しいし、魔力の消耗は手足から体温を奪う。
 ティアナはついに膝をつく。四足で這うように手を地面につけ、頭を下げる。前髪が土を擦るのも構わずティアナは何度も呼吸を繰り返した。星の声をかき消す程の大きな呼吸は、月すらも雲の背に隠れさせる。空はたちまち暗い闇に覆われ、ティアナは自身の体を見失う。汗混じりの涙が草を揺らす音も、力尽きて地面に寝転がる音も、呼吸の音も静かに消え、最後に残ったのは自分の鼓動だけだった。
 ティアナはゆっくりと目を閉じ、瞼の裏側から昏いだけの夜空に星が走るところを想像する。映し出されるのは昔に見たなのはの光である。ティアナの瞳はそれ以外、他の何も映すことはない。部屋に帰って勉強しないといけないのに、背中が冷えていることに気付いたときには既に起き上がれなくなっていた。ティアナは諦めたようにグローブを外し、手の平で瞼を覆う。
 それにしても疲れた、とティアナは思った。


 一晩いなくなっていたなのはが陽が暮れる頃に帰ってきた日のことを、最近はやてはよく考える。
 ティアナが訓練に出てこなかった翌朝、なのはまでいないと報告を受けると、はやては親猫をかぎわけられなくなった子猫のように酷く当惑した。
 なのはが逃げたくなるくらい追い詰められているのも、ティアナが手をとり抜け出すほどの愛に駆られていたことも、はやては究極的にはどうでもいい。それよりもただ無意味なくらいに心配だった。
 ヴィヴィオがここにいる以上、なのはは戻ってくるだろう。頭では理解できていても、心の中までは見えず、このままいなくなってしまう可能性も否定できない。このことが地上本部に露見すれば、なのはは管理局を辞めさせられてしまうのではないかと危惧した。でなくとも機動六課から外され元の教導隊にもどされるか。
 本当は怒るつもりも咎めるつもりもなかった。抱き締めて、帰ってきてくれたことを喜びたかったのだ。けれどそれははやての立場が許さない。
 呼び止めた自分を、どこか悲しげに見詰めるなのはの背を見送りながらはやてはどうしたものかと思う。誰も幸せにならないという恐ろしい未来までが浮かんできた。
 この日をきっかけに、はやては六課の運用期間の見直しを真剣に検討しはじめていた。

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なのはさんをめためたに愛し、いじめていきます。

◇リンクについて
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