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2020-01

『秋、はらむ空』 五章 蒼き星粒……4

『秋、はらむ空』 各タイトル⇒目次

五章 四話「望む最果て」
なのはさんは大切な人、それぞれは比べられないけど、自分自身と他の大切な人なら秤にかけることができるんだ。
なのはが捨てたのはヴィヴィオじゃなく、自身の小さな、けれど十分な幸せだった。

――私は空を飛ぶために生まれてきた人間なのかもしれないと思った。



 秋、はらむ空
 五章 ―蒼き星粒―


 4.望む最果て

 仕事のすべてを終えてしまうと、私はヴィヴィオの部屋に行った。癖のある黄金色の髪を唇で挟むようにすると彼女は私を抱き締めた。夜がしめやかに重ねられていく。
「行為と愛について、考え方としては細かい振り分けを除けば二つに分類される。ひとつは愛があって行為は生まれ、行為は愛により成り立っている、ごく密接につながっていというもの。もうひとつは愛と行為はまったく関連のないものだということ」とヴィヴィオが言った。彼女はベッドの中でよく読んだ本についての話をしてくれる。
「ふたつはまったく別物だと私は思うよ。というよりなのはさんがそうなんだよね。だけど全てが関係のないものだとも思えない。重なる部分が細い糸程の幅しかなくても、なのはさんを抱いていることで幸せを感じてしまっている私はそう思わないといけない」
 ヴィヴィオは本を閉じてベッドの下に置くと、私の方を向いた。
「きっとなのはさんは、そんなことはどうでもいいと思ってるかもしれないけどね」
 私はそんなことないよ、と言った。そうかな、とヴィヴィオが言う。
「どうでもいいとはいわないまでも、どっちでもいいとは思ってるでしょ?」ヴィヴィオは笑った。私は片眉を下げ、そうかもしれないと苦笑する。ヴィヴィオは特に気にしたふうでもなく私の頬に柔らかな唇を落とし、髪を撫でる。彼女もまたどちらでもよかったんだろう。
 ヴィヴィオに何度も髪を梳かれているうち、本当は私の方が年下な気がしてくる。愛おしげに髪に触れてくれる彼女の指を感じ、私はくすぐったく思いながら嬉しさで満たされる。幸福というものがこの世にあるのなら、今この時間に他ならない。
「ねえ、付き合い始めて今日でちょうど一週間目なんだけど、知ってる?」
「もちろん知ってるよ」
「記念日だね」
「記念日? まだ一週間だよ」
「うん、恋人っていうのは記念日を作るものなんだよ」
「ヴィヴィオは読書家だね」
 そういうとヴィヴィオは笑った。
「きっと世間の多くの人が知ってるよ。読む本には少なからず恋の話がでてくる。小説だろうと伝記だろうと。世の中の人はよほど恋愛話が好きみたい。それか自分自身にも起こりえることだからか、興味をもつ。読む方にも身が入るんじゃない。読む人がいれば書く人だっている。本っていうのは別に置物じゃないからね、当り前のことだけど読まれるためにある。でもそれにしたってたまにうんざりしちゃう」
「それでもヴィヴィオは読むんだよね」
「本が好きだから」
「簡単だ」と私は笑った。「そう、簡単なの」ヴィヴィオも笑う。
「それでわたしとヴィヴィオの次の記念日はまた一週間後?」
「まさか、そんなことになったら祝うのも大変だよ。次は一ヶ月目、そして一年ごとに決まっていくんだよ。私たちは大丈夫かな?」
「大丈夫」と私は強く言う。
「付き合って一年目も、五年目になっても祝おう。祝えるよ、絶対」
 でも結局一年目どころか一ヶ月目だって祝うことができなかった。私とヴィヴィオはその後一週間も経たないうちに別れることになってしまう。

 自分勝手に離れていったせいで三人が苦しんでいることはじきに見えだした。
 いっそ目に見えないところでだったら別の決断をしたかもしれないと私は思う。だがそれらは目の前で、隣であった。フェイトは閉鎖的になり、ヴィータは心身共に擦り切れ、ティアナの表情は日に日に剣呑を帯びていく。間違いなく私のせいだった。
 私が離れたくらいで彼女たちがここまで傷つくなどとは予想もしていなかった。いつか誰かに「なのはは自分の価値を低く見過ぎている」と言われたことがあったけれど、私はむろん笑い飛ばした。でも彼女が言ったことはまったく正しかった。いいや、問題はそこじゃない。そうじゃなくて、私は彼女たちを傷つけてでもヴィヴィオと一緒にいたいと思った自分が信じられないのだ。こうして現状を見回せばどうかしていたことくらいすぐにわかる。
 でもヴィヴィオが離れていくことは、その時の自分にとって耐えがたいものだった。一度繋がった今ではなおさら辛い。考えただけでも、それこそ狂った方がましなほど気分が悪くなる。
 フェイトとヴィータとティアナに別れを告げてヴィヴィオの部屋のドアを叩き、ただいまと言ったのは簡単ではなかった。情けなくみっともない勇気と、傷口を蹴りあげられても堪えるくらいの精神力を要した。私がそこまでして得たものは、はたしてなんだろう?
 仕事以外は部屋にこもりきり、少女の相手をするフェイトには会うこともできなかった。一度部屋に行ったが、フェイトは部屋に入れてはくれなかった。
「触れる気になったら、入ってもいいよ」
 体の触れ合いなんて関係ないとは、私にはもう言えない。フェイトを救うために触れることができないわけじゃなかったけれど、次に傷つくのはヴィヴィオだ。そうした私の逡巡を鋭く見破ったフェイトは、ごめんね、と扉を閉める。フェイトが謝る必要なんて全くなかったのに。
 ヴィータとは普段通りでありながら、まったく関係を異ならせていた。もう護ってもらってはいけないのだと自分に言い聞かせるためにもヴィータの部屋に黒うさぎを置いてきてから、何かがすれ違い始めた。ヴィータとだけは会話もできるし訓練中も話し合ったりするけれど、目を合わせてはくれない。露骨に逸らしたりはしないけど、彼女と私の視線は微妙にずれている。仕方ないことだと思った。でも、彼女には本当に騎士となるべき主、はやてがいるはずだった。だから少しだけ安心していたのかもしれない。ヴィータの心がもっと繊細だったことに、私は愚かにも気付けなかった。
 ティアナは見えないところでまた無茶をしていた。でも私に止められるはずもない。教導官だからといえば義務が発生し口にも出せたのだろうけど、どうして私に止められるだろう。ティアナは必死で無茶を重ねている。彼女の必死さはいかなる邪魔も受付けてはくれなかった。最小限向ける視線でさえ、彼女は必要ないと拒絶する。でも悲しむことはできなかった。最初にティアナを拒絶したのは私だった。
「……ヴィヴィオ」
 夜、私はヴィヴィオの部屋の机に肘をついて話しかける。私はこの何日かずっと考えていた。
 なあに、なのはさん。そう言って彼女はいつもと同じように本から顔を上げ、こちらを向く。
「少しの間、機動六課の運用機関が終了するまで。恋人として接するのはやめようか」
 付き合い始めて二週間ほどが経っていた。
 私はヴィヴィオに意見を訊きたかった。あるいは尋ねた時点ですでに私の気持ちというのは決まっていたのかもしれない。さんざん考えた末に口をついた言葉だったから。
「きっとなのはさんは私がどう言おうと離れていくよ」
 そういった私の気持ちをヴィヴィオは見透かしたように言った。
「離れない」私は立ち上がり、彼女の隣に座る。
「離れないけど、ヴィヴィオの傍にだけはいられなくなる」
「そういうのを離れるって言うの。それなら別れようってはっきりと言うべきだよ」
「別れるって?」
 不穏な言葉に私は眉を寄せる。
「別れるって、どういうこと」
「手も繋がない抱き合わない、理由がない限り触れてもいけない」
 他人事のようにヴィヴィオが説明した。
「……やだ。だって、やっと」
 夜の時間がヴィヴィオを最も強く感じられる時だった。一番会話を交わすのもこの時間だ。触れられないというのは、それらが消えてしまうということだ。
「私も嫌。だけどなのはさんがしようとしているのはそういうことなんだよ。その少しの間は今の私にとって耐えがたい時間になることは簡単に予想がつく。目の前にいて離れなきゃいけないなんてことになったら、今度は私が壊れるよ。それなら始めからそうあったほうが諦めもつく。私がなんのために諦めて家族になろうとしたか、なのはさんには解ってもらえてなかったんだね」
「じゃあ、たまになら」
 ヴィヴィオは首を横に振る。無駄だよ、と彼女は言っている。
「それじゃあなのはさんが心配してるあの人たちは納得もしないし、状況も改善されないだろうね。あの人たちのあなたへの気持ちはそんな軽いものじゃないの。自分でもわかってるでしょ? それに六課が終わって二人で暮らせるようになったとして、この一週間の幸福が再びやってくるという可能性が私にはないように思う。良く考えてみて、私たちが再び繋がってしまえば今離れたところで同じことになるとは思わない?」
 わからない、と私は言った。わかりたくなんてなかった。
「それに恋人が時間をおいてまた再び付き合うなんてことはよほどのことがないとできない。思いが強ければ強いほど気持ちや時間というものはすれ違ってしまうから。そんなのはただ辛いだけ。苦痛なだけだよ。わがままかもしれないけれど」
「わがままだなんて」
「どうして辛いのかが分かるかっていうとね、私なのはさんとずっと前に会っていて、何年も経ってからようやく今会えたんじゃないかって気がするんだ、不思議なことだけど。これは記憶がないことと関係があるのかな」
 私は、どうだろうと首を振った。そうだよね、とヴィヴィオが肩を竦める。
「だから私は今離れなきゃいけないなら、私だけを選ぶことができないなら先の可能性なんか見せないでほしい」
 人は両手にたくさんの人を抱えられない。ヴィヴィオか、みんなか。愛する人か大切な人か。初めの言葉を口にした時点で、私は選んでしまっていたのだ。
 もしかしたらはじめから覚悟していたのかもしれないヴィヴィオが、優しく背中を押してくれる
「さあ、言って」
 私は長い長い時間をおいて、唇を噛む。
 ――ヴィヴィオが好き。今度は受け入れてくれる?
 そう言ったことがあった。ほんの二週間たらず前のことだった。
「別れよう」
 自分の言葉を自身で踏みつぶし、掠れた声で言う。
 ヴィヴィオは私に微笑みかける。彼女がどうしてそんな笑顔が作れるのか分からなかった。私はもうまともな笑顔さえ浮かべることができないのに。
「大丈夫だよ、なのはさん。親子でいることまでやめたわけじゃないから。初めに戻るだけだよ。だからそんな顔をしなくてもいい。綺麗な顔が台無しだよ。私はなのはさんのこと初めは可愛いって、戦ってるときは格好良いって思ってたんだけど、本当はすごく格好悪いよね。情けなくて、だらしがなくてどうしようもない。でも私はそんななのはさんのことが大好きだよ」ヴィヴィオは言った。
「だからこそ親子でもいいと思う。二週間だけだったけど、そう思えるようになったよ。そのための準備期間だったと思えばいい。それに親子の関係はあなたがはじめに望んでいたことでしょ?」
「ああ、そうだね」
 そうだったね。
「恋人はいつか離れるかもしれないけど、家族はそう簡単に離れたりしないから」
 その時ようやく、ヴィヴィオの笑みに険が混じっていることに気がついた。
 一番辛いのは誰だったろう。私が守るべき人は誰だったんだろう。
 今となってはわからない。私がわからなければ誰にもわかるはずがなかった。


 ミッドチルダは滅多に雨が降らない。
 だがそのかわり、たまに降る雨は酷いものだった。飢えを癒すかのように激しくうちつけ、地面も街路樹もコンクリートも海も建物も、その全てを濡らし尽くすまでおさまりはしない。気分が滅入ってしまうこともあるが、いっそ清々しいくらいに激しく降るものだから憂鬱な心地さえ流してくれるような気がする。
 今日降っているのがそういう雨だった。
 長い時間、私は雨降りを見ている。時間が経つごとに空は暗さを増し、雲が積み重ねられて重たげにこうべを垂れる。そのうちどっしりとした塊ごと落ちてくるのではないかといらぬ心配をしてしまった。出動の朝は、からからに晴れているか、または土砂降りの雨かのどちらかが最も相応しいと思う。
 部隊長から任務を下されたのは昨夜のことだった。一週間の長期任務というのは珍しくどことなく不気味な雰囲気もあるとはやては言う。わざわざ先日の事件の“エースオブエース”を指名してきたのもおかしな話だった。ガジェットが頻繁に現われていたことと関係があるのかもしれない。浮かない顔つきのはやてだったが、今回は拘置所訪問時のように断ることはできないという。
「せやけど身体のこともある。シグナムに行ってもらってもええんよ」
 名指しで来たわけではないのだ。スカリエッティ事件ではシグナムとて十分すぎるほど活躍した騎士で、うまくいけば誤魔化せるだろう、と。しかし私は、そこまでは迷惑をかけられないと首を振る。何より私には機動六課を離れるための好機のように感じていた。ヴィヴィオと顔を合わせるのがつらくなった自分にはちょうど良くふってきた任務だった。
 毎日訓練で顔を突き合わせていたティアナもこんな気分だったんだろうか。フェイトやヴィータと会う機会が少なくなった理由も、あるいは。
 ヴィヴィオと別れた翌日になると私はフェイトの部屋に行った。ヴィータには何も言う必要はなく、私と顔を合わせているティアナには気付かれているだろう。だから言うべきは彼女だけだった。
 フェイトは中に居るはずだったが、やはり出てきてはくれなかった。予想はしていたため落胆はない。だから私は扉一枚隔てて彼女に向かい、静かに告げた。
「ヴィヴィオにはもう触れないよ。でもフェイトちゃんにも触れられない。ごめん。こんなことを言っても仕方がないのかもしれないけど、ごめんね。また時間が経って、お話できるようになったらいいね」
 それが私の精一杯の誠意だった。まずは自分がどれだけ恰好が悪くても謝ること。
 私は数分ほど扉の前に立ちつくした後でそこを離れる。廊下にこつこつという孤独な足音が響く中、後ろから声が聞こえた。
「なのは」
 振り向けば、彼女が追いかけてくれていた。フェイトちゃん、と心の中で呟く。
「なのは……」
 とても久しぶりに彼女の声を聞いた気がする。たった一つの言葉をいう彼女の声は繊細で優しかった。泣きそうな彼女の姿に軋む左胸を押えながら、私は懸命に笑顔をこしらえる。
「ありがとう、フェイトちゃん」
 そして、私たちは友達に戻った。

 なのはちゃん、と背中に叫ばれる。彼女は部隊長という鎧を纏い損ねた顔で私を呼びとめた。
 今回の任務に滲む悪意は私も感じ取っている。けれども、それを乗り越えられなくてエースオブエースとは言えないし、何よりそんな危険に他の人を巻き込むわけにはいかなった。私が指名されたのだ。私がきちんと任務をこなさなければいけない。
 大丈夫だよと言ってあげるかわりに、不安げなはやての腕を私はぽんぽんと叩いた。
「少し出掛けるだけだよ。きっと今はみんな、わたしがいない方がいい」
「そしてなのはちゃんにとっても?」
 私は苦笑して、それじゃあ、と手を振った。


 その世界に着くと空気はからりと、頭上は青く澄んでいた。ミッドチルダとは全く天候を異ならせている空を私は見上げる。気持ちのよい蒼い空が見渡す限り広がっており、頭上に覆うものはなく遮るものもない。雨も雪も好きだけど、一番はこんなふうに晴れた空だった。大好きな空だ。
 いつか、私は空を飛ぶために生まれてきた人間なのかもしれないと思った。
 思えばろくな飛行訓練もしないまま空に上がった。当然付け焼き刃の高速飛行技術では、英才教育を受けなおかつ努力したフェイトには敵うはずもなかったが、それでも、のちの訓練で徐々に追いつくことができた。それがどれだけ異常かは訓練をつけてくれたかの友人が教えてくれた。フェイトだって。
「君は天才かもしれないよ。空を飛ぶことにかけて、技術だけならば他にたくさん優れた魔導師がいるだろう。しかし君ほど空が似合う人はいない。それは才能と呼んでいい。これから努力さえすればいくらでもスムーズに飛べるようになる。私は確かに君より速く動けるかもしれないけど、君ほど空と共存しているわけじゃない。掌握しようとしてるだけだ。それでは速く切り抜けられるだけだ。私みたいに速く飛ぶことのみを目的とするならいいんだけどね。うん、そうだ。私は空を飛ぶのは好きだけど、なのはほどじゃないんだ。ねえなのは。君はいつか、どんな魔導師よりも上手く、スマートに、気持ち良く飛べるようになるだろう。そんな君を見て誰もが自分の技術を浅はかなものだったと思い返すに違いない」
 彼女はいつになく雄弁に語った。
 それから彼女は笑い話のようで、真剣に告げる。
「空が青いのは、君の防護服の白をより引き立てるためのような気がするんだ。君から誰も空を奪えないし、空から君を奪おうとすれば酷い仕打ちを受けるはずだよ。もし空から君を奪おうとするなら、空はひどい悲しみに暮れるんだ。でも――」
 私は彼女の笑顔を脳裏に浮かべつつ、一人、任地に向かう。
 今自分の中にあるのは、広大な海と果てしない空を初めて認めたときのような孤独感だ。でも孤独のことを私は嫌いじゃない。少なくとも孤立よりはましだと思っている。孤立は暗く重たい印象があるが、孤独は無気力的な寂しさを感じる。並べてみるとどうしたって孤独を選ぶ。私はうさぎじゃない。暗いのは嫌でも寂しさには辛うじて耐えられる。それに、孤独からは甘く香る雫が滴っていて、飲み込んでしまえばすぐにでも楽になれる。
 依頼主とは既に打ち合わせを済ませた。やっぱりまた現場調査であったが、前回よりもさらに長い期間である。範囲もずっと広く入り組み、人気はないものの獣の気配がした。完全な自然の中に私は居て、夜になれば小屋の外から聞こえる夜の鳥の声にぞっとしたし、森を歩こうとしても朝靄が邪魔をしてとても足を踏み入れることはできない。たしかに一日じゃ回り切れないな、と嘆息する。
 数日をかけて森を探索し終え、今度は空から荒野を眺めて回っていると、丘の方に小さな集落を見つける。家はほんの二十ばかりしかなかったが、警戒しつつ降りていけば道を歩いている人間はいなかった。こういう村には必ずいる猫や犬も見つけられない。自分の存在を察知して家の中に隠れてしまったんだろうか。
 森にはガジェットの古びた残骸があり、獣の獰猛な声を聞いた他は特に見るべきものはなかった。それを報告してしまうと、私は再び空を往く。
 荒れた畑と放置された物干し台を見て、違う、と思った。少し離れた位置にどこからか引いてきた川があったが、近づいてみれば苔むした岩底が乾いた姿であるだけで、とっくの昔に干上がっている。誰も住んでいないのだ。揃って移住したか、それとも。
 いよいよもって不穏な気配を帯びてきたが、私はまったく別のことを考えていた。ここにきて今日で七日目だった。
 ――ヴィヴィオのことがどうしても頭から離れない。
 遠くに来たところでヴィヴィオのことを忘れられるはずなんてなかったのだ。抗いようもないことに、だけど抗うしかなかった。ヴィヴィオと過ごした時間の匂いのする六課は、眠るには辛すぎる。ヴィヴィオは会えば私にいつもの笑顔を見せてくれたけど、私は歪な笑みしか返せなかった。彼女はそれでも朗らかに笑って食事に誘ってくれた。夜部屋で一緒に眠ることはないけれど、体が重なることだってないけれど、ヴィヴィオは家族になろうとしていた。整理がつかないのは私の方だった。彼女の温度は優しくて温かくて心地良く、愛しかった。裸にならなくたって、一緒に横になって話を聴いているだけでいい。夢と現を彷徨いつつ、ヴィヴィオの話をたまに相槌を打ち、やがて闇が深くなり薄まっていくのを眺めている。
 しかしそもそも今の状況を作り出したのは全部私自身であった。だからこんながらんとした世界に来て集落を見下ろし、空の中でヴィヴィオのことなんかを考えている。
 自分はなぜ生きているのだろうと思う。いや、自分を忌みながらも死のうとしないのは何故だろう。
 確実に分かっていることといえば、自分の命に未練などないということだった。自ら生を断ちにはいかないだろう。しかしもし体を引き裂こうとするものがあれば、私はいともすんなりと受け入れてしまう。
 自身に迫ってくる悪意を悟りながら、そんな思いがふいによぎった。次の瞬間には自身の体は無機質な刃に貫かれている。
「……ああ、なんだ」
 避けようと思えばできたのかもしれないと手の甲に流れてくる血を見ながら思う。
 防護服がちぎれ、右腕は半分ほど裂かれている。同時に脇腹と足を貫く刃を見る。白が赤に素早く染まっていくのを私はやけに他人行儀に眺めている。振り向いた先に初めて見る型のガジェットがいる。
 私はアクセルシューターを素早く練り上げてぶつけ、ガジェットから無理やりに離れる。だが勢いはあまり、力も入らなかった私は地面に墜ちた。土埃が血と混じってどろどろになるのにも構わず、手の中のひび割れたレイジングハートに告げる。彼女もまた壊されかけていた。
《...All right,my master》
 私は微笑む。主人の意図を汲み取り防御を展開しないでいた彼女は、やはり頼もしい返事をくれた。私に訪れたいくつかの幸運の中には間違いなくレイジングハートとの出逢いが含まれる。彼女は私の最もな理解者なのかもしれない。自分の心を敏感に読み取ってくれる。
 あちこちが欠けた先端を向け、魔力を掻き集め砲撃を放つと、ガジェットはもろく容易に弾け飛んでいった。私は全ての破壊を見届けると、荒い息が喉を突き上げてきて少しだけ咳き込んだ。血が喉に絡み付いてきて吐き出すと、汚い色の血が乾いた地面に染みる。今日はちょうど一週間。レイジングハートが全機撃墜を教えてくれた。とりあえず任務は完了だ。
 私はようやく力を抜くことができた。倒れるようにして荒野に仰向けになる。片腕に光を消した相棒を抱き、空を仰いだ。どこまでも青くあたたかで、私を唯一最後まで受け入れてくれたのが空だった。雲が形を変えながら流れている。雲は、永遠を否定するための最も手近なものだと思う。全てが一瞬の中にあるのだと思えばいいし、実際にそうだった。今私は一瞬の中にいるんだろう。
 呼吸は苦しかったが、もう胸が苦しくなることはなかった。私は笑ってみせる。
「簡単だったね、ヴィヴィオ」
 ただ、色んなことを放り投げてしまった。起こってしまうと何とも簡単だったけれど、私は結局ヴィヴィオに何一つしてあげられなかった。親子になることも、恋人でありつづけることさえもできなかった。ヴィヴィオは私にとても多くのことを教えてくれたのに。
 寝る前に色んなことをヴィヴィオは語ってくれた。自分にとって少女ではなく彼女に変わってから、ヴィヴィオの全てが魅力になった。ヴィヴィオが怒るとひたすらに困ってしまうけど、それでも機嫌を直してくれた時の笑顔がたまらなく好きだった。
「――ヴィヴィ」
 甘えたい気分になると、私はたまにそうと呼んだ。
「ヴィヴィー……」
 彼女は私のことをぎゅっと抱きしめて、なあに、とたおやかに問い返した。そんな彼女に更なる愛情が湧き溢れ、胸に鼻を押しつける。
「ヴィヴィ、大好き」
 頭のてっぺんに彼女の優しい口付けが落とされると、私は微睡みを感じたのだ。
 明確な死を感じるのはこれで二度目だった。以前は共に出動していたヴィータを心配するばかりで、自身のことなど後回しにしていたけど、今は私だけだ。いくらでも自分の身のことを考えることができる。だというのに、私は私について考えることなど何もなかった。
 疲れたなあと虚ろに空を見上げる。そうすると不思議なことに空がこちらに手を伸ばし、私を抱き上げてくれるような心地がした。空がなんといっているのか私には聞き取れない。
 ――君から誰も空を奪えない。
 私は誰かが言った言葉を思い出す。
 空から君を奪おうとするなら、空はひどい悲しみに暮れるんだ――。
 そうなんだろうか。空は、悲しんでくれているのだろうか。私のために? それはとても悲しいことのような気がする。自分が二度とヴィヴィオに会えないよりもずっと深い悲しみが私を覆う。私は誰にも私のことで悲しんだりしてほしくなかった。
 ふと横目に黄色い花が見えた。震えながら首をひねり、私は途切れていた花を改めて視界に収める。
「でも。そして君を取り戻すために、空はその力で花を咲かせるんだ。君を世界にとどめるだけの小さくて可愛い花を」
 黄色い花びらをいくつもつけた小さな花だった。こんな荒野に花が咲いている理由を、私は知っている気がする。

 それにしてもこの世界は、今日もいい天気だった。

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魔法少女リリカルなのは二次創作物、主に小説を扱っています。
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