2017-09

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『秋、はらむ空』 七章 閉ざされた自身……7

『秋、はらむ空』 各タイトル⇒目次

七話「恋の終わり」
それぞれの優しさは違って当たり前だよ。フェイトのもヴィータのもティアナのも、そしてなのは自身の優しさ、そのどれも、なのはは受け止めている。

――彼女の紅い瞳は人をそこに縛りつけ、そのあとの微笑で視線だけではなく心をも掴む。



 秋、はらむ空
 七章 ―閉ざされた自身―


 7.恋の終わり

 寂しさは味も色もない毒だ、とフェイトは言った。
「だからその毒を溶かし消すには、人との些細な触れ合いが効果的なはずだった。例え相手が一番大切な人じゃなくても寂しさを紛らわせればいいだけだから、十分な作用になるはずだったんだ」
 短い眠りの後、私と彼女はソファーに横並びになって座った。冷たいお茶で渇きを潤しつつ、夜が薄れていくのを会話で待つ。月が雲に隠れ、闇が深まる。彼女の金色の髪も光らないほど深い夜に、彼女は口を開く。静かで饒舌な語りが紡がれる。
「でも、なのはにとっての解毒は『魔法』に他ならない。戦における傷を誇りだなんていう君には。知ってる? 本当は、君には君しか必要がないんだ。ヴィヴィオを愛していながら、君はひとりでだって生きていける。人間はひとりじゃ生きられないなんて言葉は君には当てはまらない。そうだろう。だって、本当に心からヴィヴィオを必要としているなら、君は今すぐここを出ているはずなんだ。誰をも犠牲にしたって、ヴィヴィオの手を取らなきゃいけない。そうしないってことは、それほどの衝動には駆られていないってことでさ」
 フェイトはよく私を『なのは』というけれど、こうした話の連続の中では『君』と示すことが多かった。独り言に似た彼女の言葉に耳を傾けてみる。
「以前私は、君が空に好かれてるって言ったね。そうだ。君は、空があれば生きていけるんだ。だから君を引き止めるためには、地面に縛りつけておかなければいけなかった。リハビリなんてさせるべきじゃなかったんだ」
「じゃあ、どうして?」
 どうして彼女は、彼女たちは応援してくれたのか。
「それは、だって」
 彼女は苦い顔で俯いた。私はフェイトを見る。彼女はそうすると、必ず私の方を向いてくれる。それからゆっくりと口を開いて、答えてくれた。彼女は誠実な人だった。
「空を飛ぶなのはの姿が、好きだから。私も、みんなも。だから駄目だと分かっていても応援してしまったんだ。頑張る君が、あんまりにも無心に空を求めている。支えない理由がどこにあるだろうか」
 朝までの時間、私と彼女は再び寝ることにした。そうしなければ明日が耐えられない。広いベッドに少しだけ間を開けて、私たちは二度目の眠りについた。次に目覚めたのは夜明けの頃であった。

     *

 今日もヴィヴィオのことを考えていた。
 時間が流れ、ぼんやりとした日がやってきては去っていく。私は相変わらず扁平な毎日を過ごしている。あの日より幾日経ったのか数えていない。然程長い時間ではないように思うけれど、自信はない。私の中からはすでに色んな事が過ぎ去っていて、時間の経過などはちっとも重要ではなくなっていた。
 そんなある日にティアナに呼ばれた。彼女からはどうしてか、鍵を持ってきてほしい、と伝えられていた。しかしティアナと会う時は言われずとも持ち歩いている。一日の訓練を全て終えた夜中、広場を通り過ぎた先の海岸に私は出かけた。腰かければ空を見上げるのが習慣となっている私は、やはりまた空を仰ぐ。月はどうやら出ていない。夜の海は月がなければ一切輝かないのだ。
 両手を後ろにつき、ぼんやりと、ひたすらにぼんやりとしている。自身の中に空白ができればすいっとヴィヴィオのことが入り込んでくる。月が失せ、たとえば深まる闇の中に引きずりこまれようとしていても、今ここに座る理由も忘れるくらい自然にヴィヴィオのことを考えている。いつの間にかティアナがやってきていようとも構わず。
「なのはさん」とティアナが言う。私はたぶん頷いたかもしれない。うん、と言った。うん……。
「あたしのせいですか」
 ふと聞こえてきた澄んだ声が私を振り向かせる。このとき私は初めてティアナという存在に気付いた。彼女が何のことを言っているのかさっぱり分からなかった。ティアナは美しい顔を俯かせ、前髪で瞳を隠した。私はそのまっすぐな髪をすくいあげてやる。彼女は私の手から逃れるように身を引き、立ち上がった。彼女はいつの間に隣に座っていたんだろう。いや、たぶん私は気付いていた。けれど、気付いても気付かなくてもきっと何も変わらなかった。
 たぶん、きっと。そういえば私の中には曖昧な言葉が増えている。
 私は座ったままティアナを見上げた。彼女の手にはクロスミラージュが起動状態で握られていた。
 ――フェイクシルエット。
 彼女の声がそう囁くのを聞く。ふいっと風が吹いた。私は目を閉じて流れる髪を押さえる。再び瞼を開いた時に見たものに思わず呼吸を忘れた。そこにはヴィヴィオがいた。
 絶えず頭の中で描き続けたヴィヴィオそのままの姿が目の前にあった。私はあらためて、これほど愛しい存在もない、と思う。ティアナの前だというのに、私は呆然と、ただ少女に見入ってしまっていた。
「あたしといるといつでも会えるし、触れられます。あなただけのヴィヴィオです」
 私だけのヴィヴィオ。幻の、けれど求めても誰も悲しまないヴィヴィオ。
 私は少女に手を伸ばしかけて、しかし触れるまでにはいかなかった。触れようとすれば酷く腕が震えて辿り着けない。私は知らずのうちに涙をこぼしていた。ティアナの作りだしたヴィヴィオは精密で、ヴィヴィオそのものだった。目の前の幻さえ愛しくてたまらなくて、それでも少女に触れることは叶わない。幻のヴィヴィオに触れてしまえば現のヴィヴィオに触れる権利さえ放棄してしまう気がして、それ以前にヴィヴィオを追いかけないと決めた私が手を伸ばすなど許されなかった。こんな幻が、でも、ヴィヴィオなのだ。
 涙は次から次へと溢れてきた。伸ばしたままの腕の震えも止まらず、私はついに俯いた。
「……あなたの涙なんて、初めて見ました。いつも弱いところの欠片も見せてくれなかったあなたが」
 ティアナは私の前に膝をつき、言った。「鍵を持ってきてくれてますよね。返してくれますか」
 嫌だったが、返さないわけにはいかなかった。ヴィヴィオの幻影を前にして私は混乱していたのだろう。頷いて、ティアナに差し出した。
 ティアナはそれを海に抛り投げる。放擲された鍵は手から離れた後すぐに消えた。とぽん、と小さな水音だけが海の中に沈んでいったことを示している。
「これであなたはもう囚われない」
 ティアナもまた泣いていた。ぼやけた視界の中から彼女の流す涙を見つけたとき、自身の頭の中は曇っていた。私は状況を理解できていなかったのだ。全て分かったのは鍵が海に沈み、ティアナが走り去った後だった。

 色んなものが海に投げ込まれる。私も海の中に沈んでしまいたいと部屋に帰りついてから思った。咄嗟に扉を開けた後で突然外に出る気が失せ、私は足を海岸にではなくフェイトの部屋に向けた。
 彼女はもう戻っているだろうか。フェイトちゃん。私は一体彼女に会ってどうするのか。おそらくは今、私は正常でない。でも一人で部屋にこもっていたらレイジングハートの切っ先を自分に向けてしまいそうだったのだ。そんな言い訳を作り上げて扉の前に立つ。先ほど見たヴィヴィオの幻影に頭がふらついている。とどめなければ……。今フェイトと会っても、仕方がないのに。
 不在であればよかったのだろう。しかしフェイトは部屋にいて、私を快く迎え入れてくれた。
「今ね、母さんのことを考えていたんだ」とフェイトは言った。私はベッドに招かれ、寝間着に着替えて横になった。「プレシア母さんのことを最近よく思う」
 彼女も仕事上のシャツを脱ぎ黒い薄い寝間着を纏うと、私の枕元に座った。既にシャワーを浴びてきていたのか、清潔な香りが鼻先を掠めた。
「母さんは自分をアリシアの代わりとしてみていた。あるいは、代わりにすらなれない粗悪品だったのかもしれないけど、アリシアに対する何かでしかなかったんだろう。最後はもしかしたら違ったのかもしれない。振り払ったのも、私を道連れにしないためかもと思ったこともあった。なのはに救われたあの頃はね。でもそんな解釈はもうできない。アリシアの代わりに自分を造った、だから私がいる。それが真実だ。そしてなのはは」
 彼女はそう言って、私の中にある何かを否定するように微笑んだ。私の裸の手首を指でなぞり、頬を包む。微かな湿り気を残す彼女の手は熱く柔らかだった。私は瞼を落とし、彼女が呟こうとしている言葉をなるべく聞き入れないようにした。今は受け止められない。ヴィヴィオと、沈んでいった逃避への鍵のことだけ考えていたかった。けれどそれはもちろん傍にいる私の耳には入ってくる。私はフェイトの部屋にいて、彼女は独り言ではなく私に話しかけていた。
「私は誰かの、何かの代わりにしかなれない存在なんだ。それともあの子をなのはの代わりにしようとした罰が当たったのかな。私があの子を不幸に追い込んでしまったんだ」
 私は起き上がって彼女を見詰める。視線が混じり、そっと外した。
 フェイトちゃんは悪くない、そう言えればよかったんだろうが、私に人の善し悪しを肯定するなど出来なかった。だから緩く首を振り、彼女の名前を呼んだ。
「でも、フェイトちゃんがいなかったらもっと不幸になっていたかもしれない」
 たとえどれだけ空虚に見舞われても孤独に沈んでいてもヴィヴィオと出逢わなければ私はきっと、ずっと救われていて、ヴィヴィオは私と出逢わないほうが幸せだった。でもヴィヴィオと出逢わない自分というのが今となっては想像がつかない。ヴィヴィオは自然に私の中に入り込んで居場所を作ってしまった。菜乃にとってもそうだったのだろう。少女にとってフェイトはたった一人の人であった。ただ私と違いフェイト以外にいなかったというだけだ。私はそれでも生きていけるが、彼女はフェイトだけを愛し抜き、フェイト以外に見るべきものを見出せなかったのだ。あるいは探さなかった。
「なのは、君を抱きたい」
 フェイトの手が頬を包み、顔を前に向かせる。温かい手、優しい声、金色の髪。彼女をはねのける理由が見つけられない。
「なのはに触れたいんだ。抱いてもいい、好きにしてもいい。私がすると壊してしまうかもしれない」
 彼女はいともかんたんに私に触れた。私は、ついさっき幻のヴィヴィオにさえ触れられなかった。ティアナを酷く傷付けてしまったばかりだ。泣かせた。私はこうして温かい手に抱かれている。
「躊躇うことがあるならこうしよう。終わったあとはヴィヴィオを追いかけてもいい。だってなのはが今も探しに行かないのは、私のことを気にかけてくれているからだよね。もしかしてあの子みたいに私が壊れちゃうんじゃないかって心配してるんだ。自分でそうと認識していなくても、なのははこういうとろで神経質だから」
 彼女は私の横髪に触れながら、耳朶を指でかるく撫でる。
「私、自惚れているかな。それとも正解。なんて訊いてもきっと答えないよね。言ってしまえば意味がないことだ。じゃあ続けるよ」
 私は首を横に振った。
「続けなくていい。行かないから。ヴィヴィオを探さない。ヴィヴィオは自分からここを出て行ったんだもん、私の傍にいられないから出て行ったの。それを私が探せない」
「誓ったのにね」
「仕方ない」と私は言った。仕方がない。フェイトは改めて微笑し、頬に唇を寄せる。彼女の紳士的な触れ方は私の拙い気遣いよりもずっと優しいものに感じられた。私が六課にいるのは自己満足であり自身への欺瞞に溢れている。
「なのはには私がいるよ。私は出ていかないよ、離れない、ずっとそばにいる」
 彼女のキスを唇に受ける。冷えた心地のするキスは、それでも徐々に温まっていく。
「出ていこうとしたとき、私がなのはに手をかけようとしたのは憎かったわけじゃ当然なく、壊れていたわけでもない。ただ二人きりになりたかっただけなんだ」
「フェイトちゃんはわたしと離れたくないって思ってくれてる。それは分かったよ。でも、じゃあどうして追いかけてもいいだなんて言うの。身体が欲しいなら明日でもいいじゃない、明日なら」
「たしかになのはは魅力的だけど、君以外の誰もいらないけど」とフェイトは呼吸を置いた。燃え盛る真摯な瞳に私は焼かれる。
「今触れたいのは、なのはの目が赤いから。触れずにはいられないんだ。慰めるなんてきっと無理だけど、なのはの心を空っぽにしてあげる。胸にたくさんの苦しい気持ちが詰まっていって、これ以上辛くなってしまわないようにね」
 それからふっと微笑んだ。彼女の紅い瞳は人をそこに縛りつけ、そのあとの微笑で視線だけではなく心をも掴む。泣きたい、と思った。けれどもう泣けなかった。涙を流すには、フェイトが行為の中で時折囁く「愛している」という言葉が邪魔になった。
 終わりに彼女は私を抱き締めながら言った。彼女の雫が首元に零れ落ち、私は目を開ける。
「ごめんね――」

 体力は無きに近かったが、それでも私は空に上がった。昨日も今日も空にいたはずなのに、なんだかとても久しぶりのような気がする。ほんの数時間前のことだ。月が出ていて、宵は穏やかであり、孤独は冬の日の暖炉のような安らぎを運んでくる。そこは遠くで青い炎がゆらめいでいるような錯覚を呼び起こした。六課は寝静まり、私は独りきり空の中にいる。
 フェイトが言った通り、私には私しか必要がない。全部を捨ててヴィヴィオだけを求めるほど、私はヴィヴィオが必要ないということなんじゃないだろうか。しかし、それならいっそ誰からも逃れて生きていくべきじゃないかと思う。
 そう考えてしまう自分はたしかに変わったんだろう。ヴィータのせいでもティアナのせいでも決してないけれど、私は変わった。このまま誰からも見放されて、そうすれば逃げなくても独りになる。結局突き詰めていけば最後には私は独りになるし、それを望んでいるのだ。
「――ごめんね、なのはの心を空っぽにすることはできなかった」
 そうであれば、フェイトにこんな言葉を言わせなくていい。
 体力がついに尽きて部屋に戻り、枕に顔面を伏せるように寝転んだ。眠ろう、……眠ろう。


 日頃、夜は訓練をするか、他は部屋で音楽を聴いた。その中にはヴィヴィオが歌ってくれた唄がある。
 星が墜ちる。昼間の星がなくなり青空だけになって、夜空の星の光も消える。月の光がぼんやりと浮かぶ中、曲を聞きながらヴィヴィオの声を記憶の底からゆっくりと引き上げる。目を閉じたままでいればそのうちに私は眠っている。音楽を聴くのに耐えられなくなれば訓練をした。疲れたら広場の芝の上に寝転べばいい。昼間のように吹き込む風に熱はなく、髪を揺らすのは涼やかな囁きでしかない。夜の鳥の鳴き声も恐怖を煽ることがなく、むしろ夏の虫の鳴き声のようにも聞こえるようになった。重たげな羽博きが木々の合間を翔る。
 今日はフェイトに部屋に呼ばれていた。正しくは、今日もだ。
 フェイトは私を抱く時にいつも同じことを言う。愛してる、なのはしかいない――彼女は戒めのように喉の奥から響かせて、降り注いだ。細められた瞳には、離れていった瞬間に彼女が白い粉へと変貌していくような儚さがある。
 この眼差しを自分がさせているかと思うと、私自身に嫌気が差した。フェイトを嫌うなどはありえないが、かと言ってそのうちに耐えがたい苦痛に襲われるようになるだろう。身体を揺するたびに震える豊満な肉体も、唇も、指も。それらのどれもから目を逸らし、こんじきに輝く髪しか見なくなる。それが私には耐えがたかった。その時、大切な人をそんな風に感じる自分にこそ嫌悪する。
 しかしフェイトが引き止めなければ、本当は今頃ヴィヴィオと二人でどこか見知らぬ土地にいたんだろうかと考えることもあった。あるいは故郷の海鳴に戻って、二人親子慎ましく生活していたかもしれない、あるいは……。私は終わりを待つ。
 日常を無表情でこなしているうちに私は思う。……何をしているんだろう。ね、ヴィヴィオ。
 ふと月を遮るものがあった。黒い小さな影が顔にかかる。
「何してるんだよ、こんなところで。一人で」とヴィータが言った。彼女の表情は、ちょうど見えにくい位置にある。
「何って……」と私は言う。「休憩だよ。ヴィータちゃんは」
 寝そべったままヴィータの顔を見上げていた。
「言いたいことがあったんだ、なのはに。決めたことがある。お前のことを――あたしは護る」
「ヴィータちゃんはわたしの騎士じゃないよ」
「それでもだ。それでもあたしはなのはを護る。騎士なんかじゃなくてもそれだけは絶対だ。それがあたしの生きる意味なんだ」
 私は意識的な溜息をついた。
「……あのね、ヴィータちゃん。知ってると思うけど、今のわたしはヴィヴィオのことしか見えてない。だからヴィータちゃんのことは選べないよ」
「そんなのは関係ないんだ。言っただろう、なのはを護る、それがあたしの全部だ。嫌だったら六課を出ていけばいいさ。追いかけてみろよ。そうしたらあたしは……」
 私は何か言い返そうとして、ヴィータの顔を覗き込む。しかし、瞳に入り込んだ彼女の表情に、ひねり出した言葉が一瞬のうちに消え失せた。
「ヴィータちゃん!」と私は叫んだ。なんて顔をしている。これ以上の言葉をヴィータに言わせたくなかった。彼女はわざと辛辣な言葉を選んで、自分勝手なふうを装って言っているのだ。自身を抑制し、恐ろしいまでに一途に貫き通す騎士を、これまで私は見たことがない。
 “騎士の気遣い”というのを、私は話にだけ聞いたことがあった。ヴィヴィオが読んだ本にそういう話があって、それを私に掻い摘んで聞かせてくれた。
 まず『騎士は命を捨てない』。命を捨ててでもという心意気は確かにあるが、生きて主の元に戻ってくるというのが騎士の第一だった。主を心身共に護る騎士が主を悲しませることなどあってはならない。しかし死にあふれた戦時に生きて戻るのは容易ではなかった。騎士は己を鍛える。鍛え抜かれた騎士達に憧れた者がのちに語り継ぐうちに、騎士とはベルカの優れた術者を呼び表すものとなったのである。精神が廃れていく酷い時代に、それでも騎士は主の心を護った。疲れた際には安らぎを与え、上等ではなかったかもしれないがささやかな冗談も言った。戯れも交えながら、騎士は慈しみと愛とを惜しみなく注ぎ、自らの精神のすべてをかけて主を護ることを己に誓う。裏切ればすぐに罰してくれるのは自分である。主もまた、そんな騎士に愛を与える。そのようにして編み出された絆は何よりも頑丈であったのだ。
 ヴィヴィオの魔法も古代ベルカ式で興味深く思っていたのかもしれない。彼女にしては熱っぽく語った。
「いつか私も、こんな立派な騎士になるよ」
「聖王じゃなくて?」と私は笑った。ヴィヴィオは首を振る。
「王じゃ守れない。玉座の間に座っているだけじゃね。せっかく丈夫な鎧があるんだもん。盾になっても大丈夫なくらいの鎧があるなら、前に出て大切な人を護ったほうがいい」
「……そうだね。わたしもきっと良くわかる」
「ところで何でなのはさんはしょんぼりしてるの? 私が護りたいのはなのはさんのことなのに」
 私の熱くなった頬に口づけて、ヴィヴィオはにこやかに笑った。
 けれど実際にヴィヴィオは私の騎士ではなかった。これ以上になく騎士であったのはヴィータの方だった。最初からそうだった。ヴィータは話に聞いた通りの騎士をいつも貫いていた。
「どうして」と私は言う。
「どうして選ばせてくれないの。そんなことされたら、ヴィヴィオのことだけ追いかけられないよ。大切なものは少なくていいのに、どうしてみんな、こんな」
「あたしのこと、大切か?」
 首を振れば、ヴィータはもう私のことなんて忘れてくれるだろうか。護ることもやめて、はやてのところへと戻ってくれるのか。はやてならきっとヴィータを再び暖かな抱擁でもって包んでくれるはずだった。夜天の主は、私など比べ物にならないほど包容力がある。私の短い手では届かないヴィータの小さな背中も、はやてならばすんなりと抱けるはずだった。
 けれど、私は頷いてしまう。彼女はこれ以上になく真剣に私を凝視していた。嘘をつくという考えさえ放棄させてしまうほど澄んだ蒼に見つめられて、私はこくりと頷いた。顔をあげて見た彼女の月影の中の笑顔に、そしてその真っ直ぐな視線に私は弱いのかもしれないとふと思う。
「嬉しいよ、なのは」
 ヴィータは鮮やかに笑った。

 ヴィータは私に直接愛を囁かない。けれど今までヴィータがいったどの言葉も愛を伝える言葉のようだった。彼女の目が雄弁に語る。表情が私に伝えている。彼女は私に触れない、それさえも私には彼女の想いの証明のように思えた。これが勘違いであるなら私はもっと楽に受け止めていいはずだった。でもそうじゃない。どれも紛れないヴィータの気持ちだった。――さっさと行っちまえ、と騎士は言う。
 純粋過ぎるヴィータの前に、私はひたすら立ち尽くしている。彼女はやがて去っていき、私だけが広場に残る。訓練での汗はすでにひいたが動く気力まではなく、目を閉じたままでいた。雲が月を遮り、世界は一瞬暗闇に包まれる。そんなときに光をもってやってくる人なんて限られている。
「探したよ」とフェイトは言った。「ほんとうに探した」
 今日はそういえば、フェイトの部屋に行くのだと約束をしていた。忘れていたわけじゃないけれど、探させてしまったなら悪いと思う。でも、フェイトと会ってもろくな事にはならない気がして行けなかったんだ。そういった言い訳は沈めたまま、私は素早く上体を起こす。意識せずに彼女の前で身構えてしまうと、フェイトは苦笑した。
 ごめんね、とフェイトが目を伏せる。
「なのははやっぱり、ヴィヴィオと居た時の笑顔が一番魅力的だと思うんだ。今更何を言うのかとなのはは考えるかもしれないけどね。たしかに私がなのはといたいのは間違いのないことだけれど、それでなのはを困らせたりしたら自分を何よりも憎むことになりそうだから」
 そう、彼女は言った。
「今までごめんね、困らせてしまって。結局私はなのはと一緒にいたいがためになのはを傷つけ、追い込んでいたんだ。この間なのはを抱いて分かったことがある。この人が心から求めているのはヴィヴィオなんだ。私のことを大切にしてくれているのは間違いないけど、とても嬉しいけれど、欲張るあまり私は、それだけで有り余るほどの幸せを手にしているんだということを理解していなかったんだ」
 幸せ、とフェイトは言った。ようやく見つけた幸せがそんな小さなものでいいのだろうか、よくはない。制限させてしまっているのは私なのに。言えばフェイトは首を振った。「違うよ、なのは」力ない首振りに、私は肩をすくめる。
 立ち尽くしたまま苦笑を深めるフェイトは、無為に隣の芝へ腰を下ろす。黒いスーツにしわができぬよう上品に座る彼女の振る舞いは洗練されていた。思わず上着を脱いで彼女の座る下に敷いてあげたくなったほど。けれどもちろん私はそうしない。
「幸せというのは小さなものでいいんだよ。小さなものでも十分に満足できる、それが幸せというものなんだ」
 わからないよ、そんなの。ねえフェイトちゃん。
 そう考える一方で納得している自分がいた。ヴィヴィオが出ていく前、彼女と心が繋がらなくても一緒にいるだけでいいと、そう思っていたのは私ではなかっただろうか。
「思えばヴィヴィオが見つかるまで、どんなに慰めても自分じゃなのはに笑顔をもたらせなかった、それが真実で、私はそれを認めなければならなかった。なのはにとって笑顔は自分を隠す鎧にもなっていたんじゃないかって。私はそれを奪ったんだって。ヴィヴィオの前で笑うのは隠す必要がないからなんだ。気付いてよなのは」
 あるいは気付いていたのかもしれないね、と私は思う。
「それに最初から、ヴィヴィオをなのはの中から追い出すなんてできると思ってなかった。この前だって……私はきっと、なのはに触れる口実が欲しかっただけだ」
 それでもフェイトが言ったことのすべてが嘘ではなく、心から出た言葉だと私は信じている。フェイトは口が上手くない。なのに、私の心は彼女の一言で震えた。受け入れようと思ったのは、彼女が心底から言ってくれたからじゃないんだろうか。
 だからフェイトに抱かれるのは嫌な気がしなかった。私を大切に思い、大事にしてくれるのが伝わってきた。誰だって自分が大切だと思う者にそうやって抱かれれば嫌な気はしない。ただその合間に呟かれる「愛している」というのが苦しかっただけだ。彼女がそう口に出すたび彼女が疲弊していくのがわかった、だから。
「探しに行くよ」と私は隣の彼女に言った。
「きっとそれがいい」と彼女も返した。「大丈夫、きっと見つかる。私も、なのはがいなくてもちゃんと生きていくよ。壊れたりしない」
「フェイトちゃん」、私はそっと彼女の瞳をのぞいた。再び現れた月の光に照らされ、雫が淡く光っている。嗚咽もなく、ただただ彼女の体の中から雫のみが流れていく。静寂を壊さない程度に、控え目に。けれど私には十分すぎるほど彼女の悲しみを訴えてきた。フェイトちゃん、と私は再び言った。
「本当は平気なんだよ。なのはがいないくらい」
 流れ落ちる自身の涙を乱暴に拭って、彼女は笑って見せた。強がりを言う姿はいつも彼女から与えられる儚げな印象を崩さない。抱きしめたくなる。この親友を、できればこの手で護ってあげたいと思う。
 ずっと一緒にいるのがいいと思っていた。傍にいれば少なくとも彼女を壊すことはないだろうと思い込んでいた。けれど彼女に涙を流させているのは私で、頬に触れた瞬間さらに傷付けてしまうのだ。彼女に対し、永久に愛していると返せない自分では。
「フェイトちゃんのことが、好き」
「私も、大好きだよなのは」
 唇を涙が伝う。そこで彼女は、恋の終わりを告げた。


 翌日部隊長から封筒を受け取った。空模様が描かれた青と白の色をした封筒を見る。それはヴィヴィオからの手紙だった。
 仕事を終えて部屋に戻ると、一人、長い長いヴィヴィオからの手紙を私は震える思いで開く。

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