2017-10

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

銀朱の残照

出張から帰ってきたティアナが高町家を訪れ、それをなのはとヴィヴィオが迎える――そんな家族の肖像。
ほのぼのとか、らぶらぶとか。
秋の哀愁のなかに、ちょっとでもそんな雰囲気が感じられたらいいなあ。

若干長めとなっています。よろしければ続きよりどうぞ。



 銀朱の残照


 海の只中に船が浮かんでいる。進行はたしかにしているだろうが、傍目には流れ、漂っているようにしか見えない。木から落ちた実がぷかぷかと川を流れていくみたいに、ただ無為に流れている。一つの大きな事件が終わった後、いつもこんな無気力さに襲われる。
 全てが上手くいく事件などありえない。いかにもやるせなく、誰かが傷つかなければならない、そういう事件をそれでも必死に解決に導き、終わらせるのが私たちの仕事だとしても、こういった広大な海を見ていると何か自分の手の中にあるものを、開いてたしかめる勇気が出なかった。
 けれど確かに終わった。事後処理ももうじき済む。
 ようやく今の仕事がひと段落ついたのは先日のことだ。私はそこでようやくミッドチルダへと戻れることになった。
 漆黒の、星の見えぬ海はもう飽きて、空が無性に恋しかった。私のたった一つの空は今どんな色をして、どんな言葉を呟いているだろう。出ていく時はまだ春の終わりで、道の畔に咲いたたくさんの桜がちょうど散ってゆく頃だった。土色の花弁の散らばる地面を雨が激しく打ち付ける中、出発となった。送ってくれたあの人がどんな表情をしていたのか思い出せないけれど、声だけはやけに鮮明だ。
 その朝、なのはさんに「いってらっしゃい」と柔らかな声色で送り出された。早朝の出発で彼女の愛しい娘は眠っており、見送りは彼女だけだった。天気は雨。彼女は傘を差して私を見送ってくれた。彼女のことだからきっと憂鬱な雨を晴らすくらいの笑顔だったのだろう。あるいは、寂しげな顔をしていたかもしれない。
 けれどあれから四ヶ月近くが経ち、ミッドチルダにはそんな風景はどこにも見られないだろう。まるまる一つ分の季節を逃してしまった。きっともう秋だ。夏祭りも海水浴も終わった、元々遊びに行く余裕などなかったけれどどうしても残念な気持ちは拭えない。あの人の浴衣姿や水着姿はどれだけ可愛らしいんだろう――。
 未だ写真でしか見たことのないその姿に焦がれながらも、毎年機会を逃している。そっと溜息をこぼした。顔を上げる気力を纏めるのに苦労する。
 仕事の後始末をやっている中でぼんやりとしていれば、部下が一人様子を尋ねにきた。翳りなど振り払い、平気よと答えれば部下は表情を僅かに曇らせて去っていく。気を遣わせてしまっただろうか。今回いかに長すぎる出張であったとはいえ、部下とて疲れているのは同じだろう。その人にだって会いたい人や、見ずに逃してしまった季節というものがあるに違いない。誰にだって護りたいものがあるからここにいて、大切な人と共にすごしたい時間を護りたくてこの仕事に就いている。
 そういえばなのはさんも、部下や教え子には決して弱いところを見せなかった。それに比べたら自分は少し甘いのかもしれない。あと少しの時間だ、と私は気を引き締め直す。
 そして部下には、ミッドチルダへ戻る前にお茶にでも誘おうかなと考えつつ、私は艦の廊下を歩く。
 次元を往く航行艦の中で、通路の大きな窓から見える海は広大という範囲を超えて途方もなかった。幾ら見慣れても広さは変わらず、会いたい人との距離を感じてしまうばかりだ。
 この四ヶ月、同じ家にいた時以上になのはさんのことが浮かぶ。むしろ離れている時にこそ、彼女のことを考えた。目の前にいると考える以上に、彼女という存在と向き合うことになるから、考える余地がないのだ。ただ存在を受け止めていればいい。想像は不要で、思考は無駄だった。けれど会えない時間には考えなければ彼女の姿を見つけられないのだ。そこにいない、目の前にいない。笑みを投げかけてはくれないし、言葉が囁かれることもなかった。当然のことが、ひどく恐ろしく冷たい世界へと私を運ぶ。
 だから私は彼女のことをいつも考えている。仕事の合間、移動の時間、任務地に降りる瞬間、眠るひとときに。
 想像を重ねすぎると現実との食い違いに疲弊することがあるかもしれない。けれど不思議なことに現実のなのはさんは全く、想像の中の彼女と相違なかった。なのはさんについて、勝手な想像が出来ない理由を考えても考えつかないが、そんなことはもうどうでもいいのだろう。
 だってようやく会える。長かった、夏はとっくに過ぎてしまった。はたして忘れたりはしていないだろうか。私に会いたいと僅かにでも思っていてほしいというのは、贅沢過ぎる願いだろうか……。

 数日後にミッドチルダへと戻ってきて早々に、二日間の休暇に入ることとなった。かの人の家を訪れる前、私は少し本部に寄る用があり、そこで先ほど別れたばかりの部下に出くわした。私は急ぎたかったけれど流石に無視をするわけにはいかない。
 部下は淑やかにこちらに向かって来て、一つ袋を差し出してきた。部下が黙っていたので私も黙って受け取る。開いてみれば、そこには小さな花があった。黄色いそれは誰かを思い出してしまうようなものだった。
「お疲れ様です。この花は昨日食事に誘っていただいたお礼として、ちょうど花屋へ行く用事があったのでついでで申し訳ないんですが買ってきました。これからあの方に会いに行かれるんでしょう。贈り物に、いかがですか」
 私はもちろん受け取った。ありがとうと言うと、部下は会釈をして廊下を引き返していく。
 後始末も済ませて外に出ると、冷えた風が服の隙間からもぐりこんできて心地よかった。爽快な秋の風というのはどうしてこうも気持ちがいいのか、春のはじまりに吹く風はどことなく憂鬱であるのに比べ、秋の風は哀愁に満ち、愛しくすらある。
 そして空は青い。見上げればそこに空があるという、当然の事が嬉しかった。幾つもの惑星が浮かんだ青空の下を歩き、涼やかな風を頬に受けながら高町家への道のりを歩く。思わず駆けだしてしまいそうになるところを、私は意識して歩幅を緩めた。
 ああ、それでも気持ちが急いてしまうのは仕方がないことだ。
 すでに彼女には連絡を入れておいた。「今日そちらに向かいます」と伝えれば、なのはさんは弾んだ声で「うん」と返してくれた。そんなやりとりをつい思い出して口元が緩むのを、私は懸命に堪えた。
 高町家の家の前に辿り着くと、呼び鈴を鳴らす。今は正午を二時間ばかり過ぎている。それにしてもこの家主が出てくるまでの時間がどうにも心臓に悪いけれど、職場で培ってきた平常心を掻き集めて握りしめる。みっともない。高町なのは教導官のかつての教え子で、今は執務官の自分がこんな、情けない。
 ――けれど、きっと仕方がなかった。今日は空が青くていい天気で、なんでもない一日。そんな日に普通ならある仕事も休んで私を迎えてくれたということ。今、学校を終えていない時間だというのは明白なのに、最初に応じてくれたのがヴィヴィオだということ。
「ティアナさん? 帰ってきたんですね」
「ええ」
「ママ、なのはママっ。ティアナさんだよ」
 可愛らしい幼い声に、ほっと胸を撫でる。しかし束の間、待ち望んだ声と顔を目にしてまた心臓が震えた。
「ああ、ティアナ」
「はい」
 四ヶ月、と思った。彼女は変りない――いいや、少し、痩せたかもしれない。仕事がつらいのか。たまに便りは貰ったが、彼女がそこに苦痛や不満を記すはずもなかった。また無茶をしているのかと不安になりかけた私を引き戻したのはやはり彼女の声だ。求めてやまなかったなのはさんの顔には確かな笑みが浮かんでいた。だから安心した。
「ティアナ」
「はい?」
「うん、ええとね……ティアナ」
 彼女はそれ以上言葉が出ないようだった。私も、どう答えたらいいか分からない。
 やがて彼女は何かを見つけたみたいに頷き、口元を緩めた。
「おかえり」
 ただいま、と私はようやく言えた。お帰りと言われることの幸福を初めて知ったような気分で応える。それから改めて迎えて入れてくれたなのはさんの後ろを追った。

 家に入って早々ヴィヴィオに花を渡すと、少女は予想通りにいたく喜んでくれた。少女に手を引かれてリビングに向かうと、良い香りが鼻を掠める。
「ごめんね、もうすぐ準備ができるから。あ、お腹は空いてる?」
 私は肯く。良く見ればなのはさんはエプロンを着けていた。彼女が半身を翻せば、腰で結んだ紐が揺れた。
「ちょっと早いけど夕食にしないかなって思ってたんだけど、よかった。あとは温めるだけだから、もうちょっとだけ座って待っててね。その間にサラダを盛り付けるよ」
「あ、じゃあ私、お皿を並べているね」
「ありがとねヴィヴィオ。今日は肌寒いし、ビーフシチューを作ってみたんだ」
 手伝おうか、と言わせる隙がこの家族にはない。私はただ座って料理が並べられるのを待っていた。彼女たちの好意がたっぷりとしかも丁寧に盛られた皿を、ありがたく頂くのが一番彼女たちにとって嬉しいことに違いなかった。
 なのはさんとヴィヴィオが二人、忙しく行き来する。それらの準備が全て私を迎えるためのものだと教えてくれているようで、この場に当然のように招いてくれるということが私には嬉しくてたまらない。
 食事を済ませた後はリビングでのんびりと寛いだ。この四ヶ月の間のことをヴィヴィオに話聞かせてやりつつ、隣に座るなのはさんは何度も深く頷いた。陽が傾きかけた頃、ヴィヴィオが最初に入浴することになった。今日早起きだったヴィヴィオが眠くなる前に、というなのはさんの言葉で、少女は渋々ながらも潔く了承する。
 追いたてる母親の視線には可愛い娘だという色がありありと浮かんでおり、浴室へ向かう少女も母親を気遣う様子が僅かに覗けた。
 こういった一連の事象を見てしまうと自分は本当に、ここにいてもいいのかと私は考える。私は自分の家にも帰らずに真っ先にこの家に来た。それは間違いではないのか?
「ティアナ」
 俯きかけた私の手にそっと柔らかな手の平が乗せられる。
「ちょっと疲れちゃった?」
「あ、いえ」
「それにしても、ティアナがいるのって久しぶりだよね。すごく不思議な感じがする」
「おかしいって意味ですか?」
「違うよ、そうじゃない。ううん、正直に言うと夢なんじゃないかって思うんだ。ヴィヴィオがティアナの名前を呼んだとき、実は夢の続きかなって思った。いない間に何度か見たの、ティアナがここに帰ってくる夢。わたしに都合のいい夢だね。……でも、だからおかえりって言ったのをティアナがただいまって返してくれて、とても嬉しかったんだよ」
 私は黙って首を振る。
 ――またやった、と私は思った。ただいまと言った時の気持ちを、一瞬のうちに忘れてしまっていた。なのはさんは気付いたのだろう。気付かせてしまった。本当に、私は。
「ティアナ?」
 私は立ち上がり、ソファーに手をかけて彼女の前を覆う。なんて愛しい。
「なのはさんが。あたしも、なのはさんと会えて嬉しいです。あなたにお帰りといってもらえて、あたしはそれだけでもう十分すぎるくらい幸せなのに、あなたのことをどうしようもなく抱き締めたい。あたしだってずっと寂しかったです。忙しさだけじゃ紛わせないくらいに、会いたくてたまらなかった」
「長かったね」
 腕で己の体重を支え、辛うじて抱き締めるのを堪えた私の背中を、髪を彼女は撫でた。私も彼女の前髪に唇で触れる。精一杯の親愛のあかし。
「あ、ねえ後ろを見て。ちょうど日が沈むみたい」
「ほんとだ。もうそんな時間なんですね」
 私は首を傾け、赤い光を視界に入れた。あまりに赤いものだから身を起してソファーに座り直す。横にいるなのはさんをのぞけば、夕陽が目に沁みたのかうっすらと瞳が赤かった。私は知らぬふりをして外を眺める。昼の終わり、夜の始まり。
「青い空も大好きだけど、この時間の空も好きなんだ。教導の最中に傍で、それか書類仕事でオフィスにいる時の窓越しに、この朱い空を見るたびにティアナを思い出した」
「ええ」
 私も。知らぬ地に降りて空を見上げる時、どんな空であっても必ずそこに彼女を浮かべた。
 時間はゆるやかに、これ以上になく優しく流れている。二人きりになるのが幾ら久しぶりだとしても、時間は変わらない穏やかさで過ぎていく。そのうちに夜の虫が鳴き始めるだろう。少しだけうるさくなる。心地良い喧騒がやってくる。
 陽が沈むのを眺めているとヴィヴィオが「空が真っ赤だ!」と叫びつつやってきた。先ほどまでの純然な朱ではなく、紫がかった今の赤は、それはそれで美しかった。少女が叫びたくなるのもわかる。
 少女は髪の毛先から雫を滴らせながら、楽しげに窓際に張り付いた。少女の髪の黄金に赤が混じり、そこで一つの絵が出来上がった。濡れた髪がなんだか湖にたたずむ妖精を想像させて、思わず私は小さな笑みを漏らした。
「どうしたの?」と彼女が首を傾けた。ヴィヴィオが妖精ならば、彼女はいったいなんだろうな。
 私は考えつつもいいえ、と瞼を伏せる。そんなものに置き換えるよりも、彼女ら自身の方がよっぽど美しいことに気がついて。私には少しロマンチストなところがあっていけない。
「ねえね、ティアナさん。ママと一緒に入ってきたら?」
 私は考えて言葉に甘えることにした。出張に行く前はよく入っていたから抵抗はなかった。なのはさんも同じようで、よし、と立ち上がる。扉を引いて廊下へと出ていく前にひとたび後ろを振り返れば、先ほどまでの沁みるような朱は失われ、薄暗い青へと変わっていた。やがて降りてくる群青を思い描き、息をつく。
 ヴィヴィオはもうソファーに寝転がって本を読んでいた。私はゆっくりと扉を閉めてから、そう言えばすごく疲れていたことを思い出して、欠伸をこぼした。

 秋の虫の音が涼やかな夜だった。
 その翌朝、いい匂いにつられて起きてみると、台所でなのはさんが朝食を拵えていた。匂いの正体はスープだろう。少し癖のある香りだった。共に過ごしたあくる日の朝はいつも作ってくれたからよく覚えている。
 ――そうだ、帰ってきたんだ。
 この四ヶ月の間に起こった様々な困難を反芻する。睡眠時間を活動できる限界ぎりぎりまで削って事件に取り組み、考えて行動して戦って、疲れ果てながらも人の涙を見て、叫びを聞いて、だけど戦った。ようやく事件を終わらせて被害を食い止めた今回。それでも救えなかった人の悲しみがあった。拾えなかった命を通り過ぎなければならなかった。
 だけど事件を終わらせたことで何かが変わっていると信じている。笑顔が一つでも増えていれば良い。ちょっと間違えば失っていたかもしれない大切な人や時間を、今こうして護れているならばそれでいいと思う。
 なのはさんがここにいる。こうやって朝食の準備をしている背中を眺めていると、長い時間の苦痛が洗い流されるような心地がした。
 きっと口にすれば、朝から何を言うのかと彼女は思うだろう。あるいは顔にこそ出さないこの他人想いの彼女が、私について気を病むのも苦しい。なにより素直に言うのが照れくさかった。だから私は寝ぼけたふりをして、彼女を後ろから抱き締める。傷つかずの首筋に鼻先を埋めて、くすぐったいと言われるのを待つ戯れ。
「もう、危ないよ?」
「なのはさんはそんな間違いなんてしませんよ」
「わたしはいつも間違えてばかりだけどね」
「それでも、危険を人から何よりも遠ざけるのがなのはさんだから」
 だからこうして抱き締めている。遠ざけた危険をそのまま自分の内に抱えてしまうような人だから、せめて一緒にいたいのだ。言えば突き放されて笑顔で遠くに行ってしまうに違いないから先に丸ごと抱き締めてしまう。
 こんなにも心地良い中で、彼女と一緒ならどんなことも受け入れられそうだと思う。
 でも、私は体を離した。目だけで微笑み、そっと頬に触る。料理の邪魔をされ、不貞腐れた彼女の膨らんだ頬はあたたかい。
 いい香りだ、と思った。
「朝の香りだよ。ちょっと庭を散歩してきたら?」
 スープと、彼女と、それから朝がそれぞれにやってくる。靴をひっかけて庭先に出れば、空は朝の色に染まっていた。淡く虚ろな空は、それでも一日の始まりにふさわしい空である。大きく息を吸い込めば私は再び目が覚めたような気分になった。
「すこし、困らせちゃったかな」
 寝ぼけたふりをして、実は本当に寝ぼけていたのかもしれない。
 僅かに苦笑して部屋に戻れば、テーブルにはすっかり朝食の品々が並んでいた。眠っていたヴィヴィオも今はきちんと制服に着替えて卓についている。今日は学院へ行くんだと分かった。にこにこと笑みを浮かべる少女は、やはりなのはさんに似ているかななんて。そんな失礼なことを思ったけれど、少女にとっては不名誉でも何でもないに違いないと思い直す。きっと言えばさらに笑みを深めて喜ぶことだろう。
 ふと親友の顔が浮かんだ。スバルの馬鹿みたいな笑顔もこんなふうに屈託がなかった。そういえば一日のというのは、一人でなくなったときから誰かの笑顔を見て始まったのだ。それが執務官になってからは当然ではなくなってしまった。だからこんなにも、人の笑顔というものが愛しく感じられるのだろうか――。
 スープをすすりながら、隣に座る少女と正面のなのはさんの顔をのぞき見ながら私はぼんやりと考えてみる。が、いつものように結論には至らない。
「ごちそーさまっ」
 そのうちに朝食を終えたヴィヴィオが鞄を下げて玄関を出ていく。なのはさんが見送るというので私もついて行った。
「行こうか、ティアナ」
 自然に手を差し出されてしまっては、とても断ることなんてできない。私はその手をとる。もちろん。

 さすがに校門までは断られてしまっているようで、途中の道までということになった。友達と合流するのがそのあたりらしい。説明するなのはさんはしょんぼりとしていて、とても過保護には見えない彼女のことだから恐らく、ただ愛しい娘と一緒にいただけのことなのだろう。そう考えると妙に納得する。なのはさんは、道中が危険だからとか心配だからという理由で誰かと一緒に行動する人ではない。もっと離れた位置から、襲い来る害悪を撃ちに出かけていくような、そんな人だ。私にはそう見える。
 この二人が朝の僅かな時間を共に過ごそうとするのは、お互いが大切だからだ。だってヴィヴィオも、恥ずかしそうにしても決して嫌がって断ってまではいないじゃないか。
 ふふ、と小さな笑みがこぼれる。友人と行く少女の背を、なのはさんが見送っている。その彼女が私のこぼした笑みに気付き、不思議そうに首を傾けた。
「ところで今日はどうする?」
「どうって、なのはさんは仕事があるんじゃないんですか」
「ああ、えっとね、今はちょっとお休みを貰っているんだよ。だから一緒にいられるよ」
「今はって、今日はってこと?」
「ううん、ここ二ヶ月ほどかな。だからこうしてのんびりとヴィヴィオの見送りができるわけなんだけど」
「だから昨日家にいたんですか」
 頷く彼女に、私はやれやれと首を振った。
「初耳です」
「う、ごめん。言ってなかったっけ」
「聞いてませんね」
「……ごめんなさい」
 私は溜息をついて、「いいえ」と口元を緩めた。驚きはしたが、休暇を取ること自体が悪いことであるはずがない。機動六課にいる頃からさんざんに休め休めと旧友たちに言われていたところを見ていた立場からすれば、むしろ喜ぶべきことだ。
 まあ言われていなかったのは、少し寂しいけど。それだって忘れていたわけじゃないだろう。休暇をとらなければならない事態とは何なのかと、事件解決に向けて忙しいだろう自分に言うなどとてもできなかったに違いない。
 あるいはわざわざ言うことでもなかったと考えていたのか。
 ――どちらにしても。
「それじゃ一緒に過ごせますね」
「うん!」
 この人は一体なんだってこんなに幼い笑顔ができるのか。
 傷に塗れて、押し潰されそうで、実際に押し潰されてしまったことがあっても決して自分を忘れないだろう彼女。壊れない保障などどこにもないのに、それでも無条件で信頼してしまえる不思議な人だった。
「今日はティアナとずっと一緒なんだね」
 これでも我慢してたんだよ、と彼女は付け加えて。
 ああ、敵わない。腕に抱き付いてくるなのはさんから懸命に視線を逸らし、これが道端でなければよかったのにと私は思った。

 いくらか歩いたところには公園があった。登校への道のりの最中にあるこの公園は、ヴィヴィオがストライクアーツの訓練に使用しているらしく、ただ広い敷地にもかかわらず整備が生き届いているようだった。
 街灯は端に並べてたてられ、銀に差す朝日が眩しい。後ろに広がるのは採食豊かな山々。紅葉に気付いたのはそれからだ。視線を落とせば、秋の訪れに頬を染めた葉が地面を埋めている。夏よりずっと淡く、春よりもなおさらぼんやりとしながら遠くに感じられる空は、澄んだ蒼。蒼と朱と黄が交わり、光になる。それが秋色だった。
「前は春の終わりごろだったかな。機動六課のときのような桜は咲いてなかったけど、青い葉ばかりっていうのも綺麗だよね。けどいちばんは秋なんだ、前に言ったかな」
 枝を踏み鳴らして先を往くなのはさんの後を私はついていく。
 小さな歩幅でひょこひょこと歩く彼女を追い越さないように歩くのは大変だったが、隣に並んでいいとも思えなくて、私は周囲の景色を眺めながら時折足を止めた。
 この公園は広い。歩こうと思えば、きっといつまでも歩いていられる。
「涼しいね」
 風にあおられる髪を押えながら、彼女の声が軽やかに舞う。
「ティアナが帰ってくるのが、冬になる前で良かった」
 それはどういうことだろう、と聞こうとして、だけど彼女は微笑みで私の質問を拒絶した。
 風が出てきて涼しいというよりも、少し冷える。彼女も同じことを思ったのだろう。
「そろそろ戻ろうか」と彼女は言った。

 秋は美しい。だけどたった一瞬でいろんなものを奪っていく。何も変わってなどいないのに、風の一陣が通り抜けた瞬間にどこか空っぽになった気分になる。漂っていた哀愁を無意識に拾い上げ、ありもしない寂寥を感じてしまう。それは紅葉した葉を視線が拾い上げてしまったときに、風の冷たさを感じとってしまったときに起こる。
 すぐに気づいておきながらすぐには行動できない。無条件で飲みこまされている、それはとても恐ろしいことだ。
 そんな秋を、彼女は好きだと言った。街灯の銀色の輝きを頬に受けながら、私のほうを振り返って笑った。朝焼けを過ぎた後の清涼な空の下、蒼い瞳を覗けないぎりぎりの距離に立って、私に何物も悟らせない。
 その日はどこにも出かけずに、天気のいい昼間も寝室でごろごろと過ごした。二人広いベッドに寝そべって、ぽつりと交わす言葉には意味がなかった。仕事のこと、彼女の休暇の経緯、ヴィヴィオのこと。どれも大事なことであるが、朝公園で彼女が呟いた言葉以上に意味があるとは考えられなかった。
 冬になる前――それは、短い秋の間に?
 分からなくて、仰向けになっていた体をなのはさんの方へと倒した。彼女の手を握り、彼女の表情をのぞく。そういえば彼女の防護服、青と白は昼間の空の色だ。私の防護服の黒と青と朱は、夜明けの空の色。どちらも空だった。
 何度も考えた共通点は解決にまでは導かない。
 窓から差し込む暖かな陽の光に欠伸がもれる。
「眠い?」
「いいえ」
「あくび」
「気のせいです」
「ふふ、なあにそれ」
「もしかしたら、眠いのは幸せすぎるせいかもしれませんね」
「……にゃはは」
 さてこんな分かり切った問答も、彼女の微笑みを見るためだった。
 私はそこで一つのことに気付く。秋は確かに奪っていくかもしれないけれど、ちゃんとそのあとに埋めてくれるのだと。春の和やかな空気の中では何もかも億劫になって気紛れさえ起こす気にはなれないし、夏の灼熱にあてられればとても戯れることなどできない。冬は何かをするにはあまりにも寒すぎる。
 今、少しだけ胸が痛くて、何かを失ったような気がする。寂しくて、目の前にこの四ヶ月ひたすらに会いたかった人がいても、目を閉じれば数秒とまたず会いたくなる。昼食の準備のために台所で料理をするなのはさんを追いかけて、後ろから抱き締めて何もかもやめさせたくなる。食事よりも睡眠よりも、ただこの人が腕のなかにいてくれることが幸せだと思ってしまいそうだった。
 それでも秋が好きな理由は、これが無駄に心を擦り減らすだけではないと知っているからだろう。
「なのはさん」
 半身を起して、彼女の体に重なるようにして顔を近づける。頬を赤らめる彼女にそっと微笑むと、彼女はぱちぱちと可愛く瞬きをした。悪戯心で胸の中央に触れてみればやけに心臓の音が早かった。
「ティアナがそんなに顔を近付けるから」と言い訳をする彼女がとても可愛いらしく、私は唇を塞ぐ。暫く重ねていれば僅かに隙間をあけてくれて、私はすんなりと侵入していけた。胸に触れたままの掌からはいっそう激しい心音が響いてくる。私はつい、彼女の心の臓を舌で味わうことができればどんなに幸せだろうと思った。
 上着を丁寧に脱がせてから、そっと胸に唇をあててなぞる。皮膚の下にある骨や血や肉を想像しながら舌で撫でていると、じきに小さな声が聞こえてきた。
 明日になるとまたこの家を出ていき、仕事に出かけていかなくてはいけない。この前ほど長くはならないが、それでもしばらく会えなくなりそうだった。この二日があまりにも束の間に感じられるほどの長い時間になる。
 苦痛ではない、嫌々やっているわけでもない。希望して、目標をもって臨んでいる――それでも。
「ティアナはどうしてそんなに悲しそうな顔でわたしを抱くんだろう」
「そんなこと」
 ほら、と頬に手を添えられる。口元から頬に冷たい指が触れて、いつのまにか強張っていたことを知る。
 悲しいわけじゃない。そう言えればいい。だけど私はあまり口がうまくない。それに今答えてしまうと正しい気持ちだけにおさまらない気がして、私は必要なことだけを伝えた。
 それはきっと秋だから、と。
 訪れる夕暮れは一瞬ですぎ、あるはずもないノスタルジアが胸に広がるのを抑えきれなくなる。目を離したほんの数分の間に朱は消えうせてしまっていた。窓に広がるのはただ薄暗く何もない空だ。
「なのはさんは秋が一番好きって言いましたけど、あたしはそんなに好きじゃありません」
 言えば「そう」と彼女は俯いた。私は瞼を伏せて続ける。
「けれど、もしどれかの季節を選ぶとするなら、秋を選びます」
 それが一番正確な答えだろう。彼女は少しだけ考えて、分かったのか分からないのか私の腕を引き寄せ、共にベッドに倒れ込んだ。
「ヴィヴィオが帰ってくるまでにもう少し時間があるし、お昼寝しよっか」
 了承の笑みを見せれば、とても嬉しそうな顔で私の手を握った。
 秋に縛められた心が、なんだかひどくあたたかい。
 私が再び目を覚ましたのは、夕食ができたことを知らせるためにヴィヴィオが呼びに来てからだった。先に目を覚ましただろう彼女が迎えてくれて、やはりあたたかいなと思った。

 一夜明ければ出かけていかなくてはいけない。
 出発は朝早くに。ヴィヴィオは眠っており、なのはさんにだけ見送ってもらうことになった。
 はじめは玄関で別れようと思っていたが、彼女は一度振った手を下ろして「やっぱり途中まで」と言った。
 夜明け前となると一段と寒くなり、外に出る時に彼女はパーカーのついたジャケットを着ていた。普段なら羞恥で躊躇うが、暗ければ手を握るのも容易い。寒そうにぶらぶらと所在ない手を掴んで歩く。
 まだうっすらと街明かりが灯されていた。街灯の下を選んで歩き、昨日寄った公園を通り過ぎる。鮮やかな色の並木道まで歩いてくると、そろそろかと私は隣を振り返る。視線に気付いたのか。あるいは握る手に力が入っていたのかもしれない。彼女はどこか申し訳なさそうに頷いた。
「それじゃここで」と私は言った。「頑張ってきますね」
「うん、無茶はしないで」
「大丈夫です、ちゃんと帰ってきます」
「うん」
 目の前で、ゆっくりと指が解かれる。その間に私は、どうやったらこの手を解かなくていいか、幾つもの方法を考えては打ち消していた。あれほどの温かさが失われて、私は唐突に昨日の彼女の呟きを理解した。公園でこぼした一片の言の葉が蘇る。
「……ごめんなさい」
「うん?」
「いえ、なんでも」
 ああ、ほんとうに冬じゃなくてよかった。
 一度離れてしまえば、私はいくら彼女が冷えていっても抱き締めてやることができない。彼女はきっと望まないだろう。望まれなければ、いくらそうしてやりたくてもできない。それに時間もない。そのことを、なのはさんは理解していた。
 せめて執務官という時間の縛られる役職でなければ――いや、執務官になれたからこそ、私はどうどうとなのはさんと付き合えている。手を離す勇気は、執務官になるという夢を叶えたから得ることができたのだ。
 大丈夫、と私は思った。大丈夫。
「すぐに帰ってくるとは言えないけど、ちゃんと仕事をかたずけて戻ってくるのはなのはさんのところです、だから」
「大丈夫。わかってるよ」
「ありがとう、ございます」
「いってらっしゃい」
 朱が降る。朝がやってくる。染まり切れず、仲間外れにされた青い紅葉に、朝日が差せばどれも綺麗だと目で教える。彼女も私の視線を追って山の方を向いた。薄暗いのをいいことに、私は隙をついて上着の隠しに手を滑らせる。
 違和感に気付いたのかなのはさんは首をかしげた。私はもう一度、彼女を見つめて笑う。
「いってきます、なのはさん」
 ――ひとつ楽しみがある。
 彼女のポケットにこっそりと落とした包みに、いつ気付くだろう。その時メールが来るのか通信を繋いでくれるのか。考えると少しだけ出かけていくのも悪くない。それに贈り物を彼女が身につけてくれるなら、互いにいつでも思い出せる。そうして繋がっているような気分が得られれば、長い旅路もどうにか歩けそうだった。
 彼女の休暇が終わるまでにもう一度、今度はヴィヴィオも連れてどこかに出かけよう。
 落ち葉を踏み締めながら、私は山の稜線にかかる朝陽を眺め、歩き出した。



[ WEB CLAP ]

● COMMENT FORM ●


管理者にだけ表示を許可する

苗字変えました。 «  | BLOG TOP |  » 拍手返信なの92

Web Clap

ご意見、ご感想などあればどうぞ。
  

Recent Entries

Categories

Novel List

― Short Story ―
アリサ×なのは
心が君の名前を呼んでいた
違えた道の端  前編 / 後編
すずか×なのは
無想と空想と、紋黄蝶
フェイト×なのは
No title...フェイトver
あなたを想って流した涙は
溶けた灰色の小石
白 -white-
穴の開いた箱
なのはへ。
ヴィータ×なのは
StarDust
21.5話妄想
No title...ヴィータver
大切な Trash Box
誰よりも君に笑ってほしくて
Reinforce
真紅のグラス
Limited Sky
強奪者
蒼い棘
薄氷の上で
摩擦熱
あやふやな星
語ろうとした震え
消えない夕立ち
青と白、それから赤
優しい境界線
はやて×なのは
Sky Tears  SIDE:H / SIDE:N
夜色の羽根
eyes on...
孤島の夢
なのは×リインフォースII
小さな涙
スバル×なのは
君は空しか知らない、僕は大地しか知らない
ティアナ×なのは
月明かりよりも頼りない
貴女の血の味すら
失われた部分と残された部分
命を吹き込まれた落葉
台所で。
求めるままの逃亡
涸れた土
ティアナの適当に幸せな一日
迷子へと示す道標  1 /  /
Don't shake off.
空さえ貴方の前を覆わない  前 /  /
窓を打つ雨みたいな恋
月が堕ちてきた
もっとも不誠実な恋人
世界の終わり
銀朱の残照
僕に重ねて、君は夢をみて
ヴィヴィオ×なのは
掌で心をころがして
擬似家族
小さな声で求めて
蜂蜜
硝子内のひめごと
レイジングハート×なのは
午睡
虚空の紅玉
その他
ヴィヴィなのフェイもどき
SHOUT!  前編 / 後編
猫と主と変質者。
なのはにチョコをプレゼントされたときの台詞
なの!!
雷の憂い

― Long Piece Novel ―
幸福の在処
目次
星たちの休日
 /  /  /
別の世界を願うなら
設定 / 目次 / あとがき
追憶の色に埋もれて
目次 / あとがき
秋、はらむ空
前書き / 目次 / 後書き

― Project Story ―
聖夜 ……目次
拍手SS
一代目 手を伸ばして
二代目 時間
二代目 光の章/夜の幻
描写する100のお題 ……目次
陽の中に塗りこめて。 ……目次
振り返る ……目次

About

魔法少女リリカルなのは二次創作物、主に小説を扱っています。
このブログ内で使用している文及び画像の転載は、例外なくご遠慮下さい。

◇小説の傾向
なのはが絡んでいる百合、修羅場が多め。
なのはさんをめためたに愛し、いじめていきます。

◇リンクについて
リンクフリーですが、貼っていただく場合には下の本館にお願いします。
本館:

何かありましたら下まで。
kone6.nanoなのgmail.com(なの⇒@)



Profile

Author:秋庭加奈
リリカルなのはが大好き。
なのはさん溺愛。そしてゆかりさんにめろめろ。
詳しいプロフィールは本館のMYSELFに。

Pixiv

Monthly Archive

08  07  04  07  02  06  03  08  07  06  02  01  11  08  07  06  06  05  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09 

Link

その境界線は。(本館)

Search Area

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。